釈放の儀。
家族に小さいのが増えてから、サワガニ、カタツムリ、カブトムシ、トノサマガエルなど毎年一度は捕獲し、観察後に釈放するという儀式を行っている。
今年はクワガタを京都や滋賀を探しに行き、大人の事情によってお目当てのノコギリクワガタのオスを3匹捕獲する事に成功した。
うちの小さいのだけでなく、たくさんの子供の観察材料となり大活躍してくれた。
そして「このタイミングで!」と心に決めていた、大型台風の心配がなくなった今、その釈放する時が来た。
不思議なもんで3匹にもそれぞれ性格が異なり、
・うろうろするやつ
・いつも怒っているやつ
・いつも潜るやつ
の特徴を楽しませて頂いた。うろうろするやつは他のものと出くわす確率が高くなる故、ケンカのシーンが多くなり、立派な顎が少し欠けていた。多動と野蛮さからスサノヲと心の中で名付けていた。
いつも潜っているやつはアメノウズメの舞を待っているんだろうか、と仮想しながらアマテラスと名付け、いつも怒っているやつは消去法でツクヨミと乱暴に名付けた。
野生から人に飼い慣らされ、また自然帰化して生き延びていかなくてはならない。
その際には「うまく生き延びてくれよー」と呑気な人間の祈りではきっと足りず、もはや成熟した信心パワーが必要な気がしている。
木の麓に樹液が汁だくしているクヌギを見つけ、それはもはや菩提樹の如く。
成長できなかった童心のままのでかい人間の無理だらけの設定を強引に突き進め、彼らは再び丸く美しい地球の表層に足を下ろした。
神は人智に割り切れないもの。大前提。
では結局、成熟した信心パワーとは一体何なのか。
今のところそれは「見返りを求めない感謝」だと思う。
ありがとう。うるうる。
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