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音の神。
noteで記す日記は多数のsnsの発信と違って、自分の時間軸で更新できるし、他が気にならないのがとても良い。
たくさんの人に見てもらいたいとか、知人に見られるとかそういった気遣いもまったくないのでとても内向的な文章が書ける。
出任せで書きながら、どんな文章になるのかも楽しめる。
では、今日はもう少し若い頃の多感な時期にタイムスリップした内容にしてみよう。
まず、今は音楽をしながら、子供をみる仕事をし、家族を養い、家業を手伝う。金はないが借金もなく、こうして日記を書く余裕がある現在。
ここを到着地点とし、多感がピークを迎える学生生活最後あたりからを思い出してざっくり書いてみる。
高校一年。進学科に上から数える成績で入学するも、学力はみるみる後退し、ロック音楽の事や、女の子の事ばかり考え、授業はさぼり、バイト代で友人らと遊ぶ事で、欲する刺激に何とか応えていた。
2年に進学すると学校と家の往復が堪らなく退屈になり、学校には行かない日の方が多くなった。歳を誤魔化し、時給の高い夜遅くまで働けるバイトをし、女の子と遊ぶお金を稼ぐ。
そこには家と学校の往復からは見えない体験があり、刺激と魅力が渦巻いていた。
その学校と家の隙間をこじ開けるように、2学期に入る頃にはギターを持って家を出て、大阪の四畳半、トイレのドアがちゃんと閉まらない文化住宅に飛び出した。
また戻ってくるだろうとたかを括った両親や先生に対し、休学という事にしておいた。
人と違う経験に価値を感じ、尾崎豊のような不満を持ちながら、生温く退屈で息苦しい毎日から、ギラギラと眩しい社会に変わった。
新聞配達をしながら、CDを買い漁り、ギブソンのギターを買い、女の子と遊び、新たな人間関係、未知の世界の体験を毎日激しく過ごした。
有り余る体力に身を任せ、思いっきり社会に自分をぶつけていた。
毎日迫る善から悪までの体験は汗と血と涙を滲ませ、それで真っ黒になるまで自分を染めていた。求めずにも刺激に溢れ、より過激を知らず知らずに探していた。ギターはますます傷つきながらサウンドは歪みを増した。
みんなが学校に行っている頃に。
音楽が知りたかった。
苦労を知らない子供には大人すぎる音楽や歌詞、誰よりも早く感じ取れる感受性、そして実践を通じた体験が欲しかったし、色んなところで頭を打ちながら、真実の源を探った。
無知な思い込みで勘違いしたり、現実から目を背けたり、騙されて迷ったり、励まされ、導かれたりしながら、20代半ばにタブラと出会い、気づいたら今はインドの古典音楽をし、そこが何とも気持ち良い。
数々の欲求を満たしてくれ、癒してくれ、反芻により気づかせてくれる。
食いしばる歯は、いつの間にか緩んでいた。
自分が求めていた音楽は、自分の理解できないポテンシャルを秘めた、自分の外にある音楽だったと気づいた。
振り返れば、ここまで色んな音を浴びながら、暴走する過激さを、今ではこの音楽に包み込まれながら導かれている。
好奇心に満ちた無邪気なエネルギーのビッグバンは、音楽の神様が打ち出す太鼓の一音だった。
それも特別な時に健気に楽しく打ち出したやつ。
その音の泡の中でじたばた。ふわふわとこれからどこに向かうのか。
Sound is God.