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外国人労働者として働く立場で差別を考えた

外国人労働者を接客の仕事に従事させる現場などで、一部の日本人が彼らに差別的態度をとることが問題になっていると言います。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35833050X20C18A9000000/

私もブラジルで外国人として労働許可を得て生活している身です。きちんと許可を受けて受け入れられたはずの国で差別に直面することの辛さが相当なものであることは、容易に想像できます。むしろ私がこの国で受けたことのあるごく限られた差別のケースよりも、彼らがそういう思いをする頻度は遥かに高いのだろうなと思い、胸が痛みます。

外国人労働者に何を見ている?

今問題視されている差別は、どういう意識から来るのでしょう?日本語が完璧であれば差別されないという程度のものなのでしょうか。もう少し根は深い気がします。

自分に何かしらの余裕がないから彼らに当たり散らすとか、相対的に自分が強い者として君臨するために彼らを蔑むというのは、もはや論外。もしかすると、例えば:外国人はどうせ無尽蔵にいるのだから、目の前にいる人を敵に回したところで別に知ったことはない。彼らはどうせいつか日本を離れなければならないのだから、今はどう扱ってもよい。本来は日本人がやるべき仕事を外から取りに来て、一体何様なのだ。もし何か問題になっても、彼らに訴えられることはなくて自分は安全だ、ということなのでしょうか。

相手をまるで感情のないロボットのように扱うのが、行き過ぎとも言えるサービスを受けることが日々当たり前となっている中で期待感だけがいたずらに高たかめられてしまい、その「既得権益」を守りたくて、それを理解する日本社会で生まれ育った者だけからしか相手にされたくないということであれば、それは見事に「人を介したシステムが完璧に機能する日本」ならではの発想だと思います。国内にいても日本人だけに囲まれて暮らすことはもはや難しいわけで、それを認めて諦めてもらうしかありません。

関連する過去記事:

https://comemo.io/entries/9493

政府のメッセージの伝わり方

もしもこの差別意識がそういう考えから来るものになってしまっているとすれば、外国人労働者を「期間限定で」受け入れようとする今の制度が原因になってしまっているようにも考えられます。「一定期間の就労を認める」が、国内向けに「一定期間働くのを特別に認めさせてあげている」というメッセージになっているように見えるからです。

移民政策は、労働市場で競合相手となり得る外国人の流入をどのようにして自国民に認めてもらうか、ということに他なりません。確かに、国民の反発を買わないようにそれを推し進めなければならないから、どうしても「特別に」という表現になってしまう。

しかし、「人手不足なのはみんな分かっているでしょう?」だけでは、外国人労働者を後ろ向きに導入しているメッセージしか伝わりません。外国人労働者を積極的に受け入れると世界に向けて公言している以上は、「住みやすい国ですからどうぞ来てください」と言わなければなりませんし、政府はそうなるように国民にきちんと前向きなメッセージを発信しないといけないと思います。

まだ取り組み始めたばかりだから、ということはあるのかもしれません。しかしいつまでも入口を開けたから後はよろしく、では済みませんし、受け入れたが最後、やってきた彼らがいきなり社会的弱者となるのは問題です。国際問題にも発展しかねないでしょう。

今年になって、政府が外国人労働者を両手を広げて迎え入れる方針に舵を切ったことは明らかです。そこにはやや唐突感もありました。しかし一度舵を切った以上は、これまで日本生まれの日本人向けに定めていた諸制度を、外国人生活者のいる社会に適合させる方向に進んでいくことになります。

例えば社会保障制度も日本人と同等のものしていくことが必要になってくるのでしょう。私は、参政権などごく限られた権利は与えられていないものの、税金も年金もブラジル人と同様に納めていますし、社会制度上の国民と外国人の間の区別はほとんど感じたことがありません。ブラジル社会に包含されていると感じます。立場が認められることで、この社会の一員であるという自覚も芽生えますし、受け入れる側も社会の一員として外国人を迎える素地ができていくと思います。

日々の振る舞いは法令で決まるようになる

その時の一つのキーとなるのが法令です。

移民国家とはいえ人種差別が根強いブラジルでは、そうした行為を禁ずる法律や条例があり、例えばエレベーターの中など、至るところに人種差別を禁ずる法令の一部が掲げてあります。

これは私の住むアパートのエレベーターの例:

© tsukasahirano

「当ビルのエレベーターの利用に際して、人種、性別、肌の色、出自、社会的立場、年齢、接触することでは感染しない病気や障害の有無を理由としたいかなる差別的行為も禁じるものとし、(違反時には)罰金刑に課す」とある。

あまり考えたくはありませんが、もしも私がブラジルで侮辱的な差別を受けることがあれば、その時は法律に頼ることになります。そのこともあって、私自身も少しでも差別として受け取られそうな言動は避けますし、それはマナーとして自覚しているだけでなく、そうした行為を禁止する法律があることを知っているからです。

冒頭の記事でも課題として挙げられていますが、人種差別禁止というのはマナーや不文律だけで済ませるのではなく、法令で明確に定められるべきものです。異なる文化で生まれ育った者同士が共存するための行動指針の最小公約数、最低限のルールこそが法律であり、そして外国人に日本のルールに則ってもらいたいとすれば、拠り所はそこしかないのです。

そういう意味では、一度は舵を切った以上、旧態依然とした日本の法令にも大幅に見直しをかけなければならないことになるはずです。外国人労働者の導入に踏み切った行政の動きばかりが目立ちますが、これから日本の立法府と司法には、一層しっかりとした仕事をしてもらわないといけません。

そのうち、日本の人種差別禁止法に違反したとして外国人が日本人を訴える日が来るのかも。

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