noteへの駄文投稿をやめようと思う
(約 3,900文字の記事です。)
今日もコツコツとブログサイトに貼ったnote有料マガジンへのリンクをWebサイトの記事に張り直す作業をしていた。その単純作業の中で色々と気付いた事がある。
自分にとってのnoteの価値が変わってきた
まぁ、私も薄々気付いていたことだが。
これは過去にnoteでも書いたが、noteとブログの使い分けの話、マネタイズの話で何度か話した。最終的には私にとっては、あくまでも当時の私にとってのnoteは「有料マガジン置き場」という結論になった。
当時の私にとってはnoteは自由な公園だった。そうだった。そこには老若男女がいて、各自が好き勝手に色んなことをしている。それをぼ~と傍観できる場所。そうだった。
だが最近のnoteはどうもそう感じない。
公園に、人がいなくなった。
公園に、人がいなくなった。そんな感じだ。なので賑やかじゃない。ぽつぽつと人はいるが、以前のような賑やかな公園ではなくなった。木枯らしが吹いている。どちらかというと、セピア色・灰色な公園になった気がしている。当時のカラフルな公園のようには、今はそう感じられないのだ。私にとってはね。あくまで主観。
マネタイズ手段としての役目を終えた今
1ヶ月以上かかって自前Webサイト+アクセス制限機能の実装+BOOTHでのアカウント販売。これによってnoteでの有料マガジン販売の仕組みから脱出できた。
となるとどうだ?残るのは「自由な公園としてのnote」だったのだが、それも灰色になりつつある。それはつまり、自分にとってのnoteの価値がかなり下がっているということだ。
そしてこれに直結する幾つかの事実が明らかとなった。というか、以前からそうだったのだが、知恵を得た今だからこそ気付けたのかもしれない。
検索エンジン対策「最初の記事がIndexされると重複は弱い」
はっきり言ってGoogle対策の話。もし似たような記事が2つあった場合、両者にペナルティーがある。例えば私がnoteとブログに同じような記事をコピペした場合でも両者にペナルティーがあるが、個人サイトのブログ評価の低下のほうが痛手になる。noteというドメインはまぁかすり傷だろう。ドメインパワーが違いすぎる。
そうなると、noteからブログサイトへの記事の丸ごと移植はデメリットしかない。特に時間が経過してnote記事がIndexされた後にブログへの移転は、noteドメインでのIndexが消えるまではブログサイトでの移転記事の評価は上がらない、むしろ下げられたままキープとなる。
要するにnoteから記事を移転する前提ならば、最初から移転先であるブログサイトやWebサイトに書けば全て丸く収まるのだ。noteに書く必要がない。SEO対策的な仕組みで考えれば、ね。
だがもし仮に上記の問題が全く気にならないとしよう。考えてみた。
【重要】あなたのnote記事は本当に読まれているのか?
noteではPV(ページビュー、実際に記事=ページ、を読んだ数)ではなくて、いかなる場合であっても「要するに誰かの目にブログカードが見える状態」になったことを1カウントとする独自カウント制の「全体ビュー」を採用している。
これによってクリエーターとして活動を開始し始めたばかりの人であっても、何ビューかはコンスタントに追加されるのだ。優しい仕組み。
だがしかし、これは中級者以上にとっては逆に辛い。本当のPV数が見えないのだ。
なので結局はビュー数ではなくてPV数、その他色々なアクセス解析がほぼ不可能なのがnoteの特徴だ。
「スキ」がどんどんと戦略的手段になっている?
だがしかし!
だが最近思うことは、どうやらスキがリフォローのための手段だったり、スキを付けることによって執筆者を誘導して「何かしらの戦略」の中に誘導しようという「何かしらの意図が感じられるスキ」が増えた気がしている。
最近の私の記事だとWordPress関連だが、まぁ決して楽しい読み物でもないし、WordPressエンジニアならば分かる程度の駄文しか書いておらず、一般的な読者を楽しませるつもりでは全く書いていない。自分のための日記でしかない。
そこに付いてくるスキについて、幾つか考えることがあった。スキの内容にって「あ、いつも○○さんが見てくれているな、ありがとう」ということもあれば「あ、これ意図的な営業目的のスキだな」というものが分かるようになった。
noteも1つのSNSになった(成り下がった?)
Twitter Xではよくある話だったが、最近のnoteでもこれを感じる。スキやフォローが「何かしらのための手段」として活用されている気がしてならない。ピュアな「同じ趣味や目的を持つ人たちのつながりの手段」を超える何か意図的な使い方をしているユーザーが増えたような気がしている。あくまで主観。異論は認める。
noteユーザーの元気がなくなっている気がする
これも主観だが、年を追うごとに「かつてのnoteユーザー」の記事を見なくなっていっている気がしている。減少傾向ね。それにはTwitter Xの改革の影響もあるだろう。課金すればnote並に長文も書ける(修正に関しては制限があるが。)なので長文で周りに自分の意見を届けたい、という目的では課金済みTwitter Xでいいのでは?となってしまった。
逆にnoteでは何というか、流動性がかなり鈍化している印象だ。あくまでも主観ね。
まぁ要するに、最近、note、つまんなくね?と思い始めている。
note記事執筆のモチベーションの低下
となると、全体ビューは謎の数字で、実は数人~数十人程度しか見ていないのに謎の数字に騙されて、営業目的のスキに踊らされてハムスターの如く、無駄な駄文を1~2時間かけて書いて、自己満足で終わるならまだいい。ストレス発散になる。
だが事実に気付いたとき、続けられるだろうか?どうせ書くなら自前サイトのWordPressで書いていたほうが良いのではないか?noteではできない装飾やアコーディオンによる情報の非表示化もできる上に、1週間後に振り返ってダイヤの原石を見つけたらシームレスに磨きをかけて有料記事化、あるいは整理整頓した記事に移植できる。
だがnoteというプラットフォームを間に挟むとこの移植作業がワンテンポ遅れる。手間暇がかかる。特に画像の移植はかなりの茨道になる。同じ作業を画像の数だけ繰り返すことになる。
そう、管理の手間が膨らむのだ。そこがネックになる。
となると私にとってnoteに駄文を書くことの意味は何か?メリットは何か?実はそんなに読まれていない記事を「全体ビュー数」と少しのスキに騙されて、無駄に無価値な記事を垂れ流すことに、意味があるのか?
ぢゃぁ書くなよ、やめろよ。と言われればその通りだ。なのでそうします。
敢えて書いたのは、noteがスキだったから。これまでへの敬意と、これからへの鎮魂歌だよ。自分に対してのけじめというか。言葉にしないと伝わらない。残らない。残したかった、ただそれだけ。
執筆者から傍観者に戻ります
今後はあからさまにnoteでの運用方針が変わります。また同時にTwitter Xの利用再開も考えています。noteもTwitter Xも、どちらも同じSNSの枠組みからはみ出ることはなかった。なのでSNSとしての「手段としての運用」に切り替える予定です。
今日まで長らく駄文をお読み頂きありがとうございました。今後はnoteとの付き合い方が大きく変わります。執筆活動のエネルギーを自前のWebサイトやブログサイトに注力する予定です。
書くことや内容は変わりません。ですがその1つ1つの記事の今後の運用に関しての手間暇やメンテを考えると、最初からWordPressサイトに投稿しておいた方が遥かにメリットがあります。noteというメディアを経由するメリットが今のところ見当たりません。
ですので今後のnoteでの駄文投稿は大幅に減ります。
長らく当アカウントのnote記事をお読み頂きありがとうございました。今後は添付するリンク先記事をお楽しみ下さい。
それでは~。
今回の創作活動は約2時間30分(累積 約3,558時間)
(969回目のnote更新)