【疑惑のカルテ Ⅲ】③《過剰請求》3例目の詐欺が確定~《因縁》
私の手元に、同じ病院で撮ったとされる2枚の《エコー検査結果》がある。
この病院のエコー機器は下の画像にあるTOSHIBA、現在の「キヤノンメディカル」である。
キヤノンメディカル大分支社に電話したところ、ちょうど病院担当のK氏をつかまえることができた。
2枚をファックスで送り、見ていただいた。
「私どもが見る立場にはない」
と言いつつも、エコーの説明を丁寧にしてくれた。
上の心エコーは「Mモード法」というもので取られたものだそうだ。
ただし、
「キヤノンの機器で取られたものとは言えない」とのこと。
当然だ。
データは「手書き」だからだ。
そして下の下肢エコーについては、「キヤノンの機器で撮られたものに間違いない」という証言を得た。
キヤノンのエコーはこのように「3種類の画像」で出てきて、さらに印刷機能が付いているので、「画像を印刷できる」そうである。
この2枚が撮られたのは、同じ2016年12月。
この時期に、エコーの機器が故障した可能性はあるかを尋ねてみた。K氏は記録をきちんと調べ、「故障の記録はない」と答えてくれた。
つまり、「手書き」の心エコーが撮られたとされる時期に、キヤノンの最新機器はちゃんと動いていたことになる。
ならばなぜ、その機器を使わなかったのか?
という疑問が生じる。
その説明を受けた時には聞き流したある《矛盾》に、ごく最近になって気づいた。
これだ。
撮影月のレセプトである。
確かに「経胸壁心エコー法 880点」とある。
しかしデータは「Mモード法」だという。
この年、2016年の診療報酬がこちら。
経胸壁心エコー法 880点
Mモード法 500点
その差380点。
つまりは3800円の《過剰請求》となる。
※【12.1追記】昨日11月30日、九州厚生局大分事務所に「過剰請求」として通報。過剰請求が確定。
さらに、もう1つ大きな問題がある。
私は《心エコー》を撮っていないという事実だ。
データにある「戸髙」氏にも、「G」医師にも、私は一度も会ったことがないのだ!!
さらにもう1つの疑惑がこちら。
医師の〈オーダ票〉、入院当日のもの。
問題は検査時間。
11:35 心エコー
11:45 心電図
キヤノン担当者の話では、この病院での心エコー検査は、30分ほどかかるそうだ。
書類上は10分。
この差をどう見るか?
上の、エコーのデータ2枚を比べると、明らかに別人物の字だ。
下肢エコーを撮った女性の検査技師には、二度会った。いずれも下肢エコーを撮った。間違いない。
しかし、戸髙という人を私は知らない。
G先生は麻酔科の後藤医師だ。その人にも、入院中一度も会っていない。さらにこの人は手術時の麻酔医ではない。
手術にはIという麻酔医が入った。言葉も交わした。この人とは以前も大分医大で会っているから知っている。
さて、ここでもう1つ問題が出てきた。
別々の病院の医師(麻酔科)2人に確認したところ、
「麻酔科の医師は通常、病名を付けることはない」
と言うのだ!
むろん後藤医師の付けた病名は私にない。これは完全なレセプト病名であり、薬剤を使うためのものだ。
それ自体に問題はない。
ただ、
①エコーを撮っていない。
②検査技師にも、診断を下した医師にも会ったことはない。
というのは明らかにおかしい。
『捏造データ』……詐欺。
私は110番に電話した。
「医療過誤があり、開示してもらったカルテが怪しい」
と伝えると、すぐに2人の私服刑事2人が家に来た。
刑事一課と二課。
一課が医療過誤担当、二課は「詐欺」担当のよう。
1時間ほど話を聞いた後に、二課の刑事が、
「詐欺罪に当たります」
と、はっきりと告げた。
が、それを証明しうる客観的証拠がないと捜査に踏み込めない、と言う。
客観的証拠として最強なのは、『内部告発』だ。
その結果を新聞記者に報告したところ、「反経営陣は必ずいるはずなので内部告発は可能」だと言う。
なるほど、そうかもしれない。
しかし、私はまったく別方向からアプローチすることにした。つまりは、
・検査技師「戸髙」をつかまえる
「戸髙」というのは、私の出身地である大分県佐伯市に集中してある姓だ。特に「髙」は「はしご髙」と言い、佐伯の宇目という地区に多い。
珍しい苗字であるため、画像のシャチハタ印、三文判ともに存在しない。特注しなければ手に入らない品である。
ということは「戸髙」さんじたいは存在することになる……。架空の人物の特注印を作ることは通常あり得ないからだ。
検査技師の協会があるはずだと思い、検索した。
そして愕然とした。
普通は県庁所在地にある。
ところが大分県は、佐伯市の南海医療センターにあるのだ………
まったく予想もしなかったところで、私のエッセイ
『わが郷愁の南海コレクション』
の里、南海病院とつながった!!
はからずも、つながってしまった。
とんでもない縁。
いや、因縁かもしれない、と思った。
そして、私はこの〈闘い〉に、自分から降りることはない、と確信した。
「闘うべき時には徹底的に闘え」
高校よりも熱心に通った南海病院、緒方元院長の言葉だ。
南海医療センターに電話した。土曜日で、スタッフはつかまらなかった。
それからなんとなく、大分整形の主治医Y医師がバイトをしている佐伯市のN記念病院に電話をかけてみた。
そこでまた、愕然とした。
この春、バイトを辞めた、というのだ。
コロナの関係か?と聞くと、まったく関係はないと、受付の女性は言った。それ以上突っ込んで訊く理由もないから、電話を切った。
私は推測した。今年、南海医療センターの新しい病院がオープンした。屋上にヘリポートのあるビルだ。
患者は、新しく綺麗な病院に流れる。それに、南海は腐っても国立である。個人病院と国立の差は、特に田舎では大きい。
しかしながら。
がっかりしたことには、600点の『南海コレクション』はどこかに行ってしまった。新しい病院には、玄関に小さい絵が1つ、病棟に1つだけだという。
残りの500点以上の絵画は「どこかに保管してある」らしいが、場所は言えない、という。
私の予想は、
「すでに売った」
数十億円分の絵だ。経営者ならば売って、新しいビルの建築費に充てる、当然だ。
しかしもう、私が佐伯に行く理由は、1つもなくなった。
私の『南海コレクション』の時代が、終わった………。
(つづく)
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