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恥じて死すより、生きて汚名を注がん

「タダノくん、営業部で仕事してみる気はないかね?」


私が上京したての頃に入社した会社で、Bという所属長から、異なる部署で仕事する旨の提案を何度も訊かれていた。その時の私は、Bが主張している意図がなんなのかわからないまま、頑なに「今いる部署で頑張りたいです」と返答していた。

入社からわずか一ヶ月後、私はBからの指示を受けられなくなってしまった。それどころか、当初から続いていた会話を交わすことも一切なくなってしまう。以降、なぜこうなってしまったのか、という疑問と不安に張り巡らされる日々を過ごしていた。

日常における大まかな業務以外は、翌年の3月末に退職予定となっているT氏に任せていた。私が、どれだけBに仕事を振ってもらう旨をお願いするも「Tさんの指示に従え」の一点張りであった。


こうしてろくに仕事をもらえないまま、半年間の試用期間を経た後、私は突如Bに呼び出される。ガラス張りとなっている小さな会議室に入り、その場に居合わせていた常務を交えて面談を受けた。

このタイミングで呼び出されていたことに対して、私は心無しに覚悟は持っていた。話の内容は、私の戦力外通告であった。

Bからの話は「コミュニケーションが取れていない」や「頼んだ仕事が約束通りできていない」など、私自身の仕事におけるスキルの無さを挙げていた。けれどそれらは、私を自主退職させるための捏ち上げにしか聞こえなかったのである。


それ以前にBは、社内では唯一忌み嫌われる存在とされていた。後に他の部署の先輩達から聞いた話でわかったのだが、周囲との関わりを一切持とうとせず、自分の体面やプライドを第一に考える人間であったそうだ。

そもそも論としてBは、これから共に進めていくであろう直属の部下に仕事を与えることもしなかったうえに、入社して間もない私に対して前述のようにわざとらしくもしつこい程の、別の部署での活躍という提案の連発を働いている。

一連の行為が一つでも、俗に言うパワハラに該当してもおかしくない。にも関わらず、私はその場で反発をしなかった。強張った表情を貫くBの、ただならぬ意向でもって追い出そうとしているのが目に見えていると察したために、この手の人間クラッシャー上司に何を云おうと無駄であると悟ったからだ。


Bが私を自主退職へと追い込ませようとしている一方で、同席していた常務からは残ってほしいと諭された。今思えば、あと少しだけ足を滑らせれば落ちてしまいそうになる崖に立たされている中、そうした言葉をかけられたのが唯一の救いだったと思う。

結局私は、別の部署に異動する形で、その会社に残ることとした。始まったばかりである一人暮らしの生活を、こんな一方的な形で終わらせたくない他、ここでもし辞めてしまったら、自身の経歴に傷がついてしまう恐れがある。

断腸の思いだが、他に自分の主張を受け入れて貰える手段が見当たらない以上、そう決断せざるを得なかったのである。こちらも無表情を貫く裏で、やるせない悔しさを悟られないように拳を強く握りしめていた。


自分のキャリアを左右した面談からおよそ3年後、Bは退職した。

特に辞める理由については噂の一つも流れなかったが、私はこれといって驚きもしなかった。自分にとって、天敵とも云える人物がいなくなって清々するというのも、一理ある。それよりもBが退職する旨の話を、取締役のS氏から事前に聞かされていたからというのもある。

出勤最終日、皆の前で挨拶を一通り述べた後で、乾いた拍手が事務所に鳴り響く。もしかしたらこの中に、私と同じような感情を持った同僚や先輩方がいたのかもしれない。


その夕方頃、私は事務所を後にしたBと階段ですれ違う。特に会話も挨拶もまったく交わすことなく、Bから「チッ」とだけ微かに舌打ちをした音だけ聞こえた。

これまでにも、階段をはじめ廊下などですれ違うたびに、Bは決まって露骨に舌打ちをしていた。よほど、自分の存在が気に食わなかったのだろう。それは、散々なまでも嫌がらせを受けてきた自分も同じ思いである。

だが、これでおしまいだと思えば、少しは気が晴れるというものだ。最後の舌打ちが僅かな空間に鳴り響いても、私は何事もなかったかのように気にすることもなく、事務所へと戻っていった。


…という過去を今さら改まって振り返ってみても、心の底から反吐が出ることに変わりはない。なにせ、その出来事をきっかけに自分の仕事におけるキャリアは、大きく湾曲してしまうぐらい狂ったものとなってしまったのだから。

理由がどうであれ、Bが私に仕向けた一連の行為は絶対に忘れない。そして、いつか自分が人の上に立つ場の人間となった時、同じ行為を働いてしまうのことのないよう、今一度云い聞かせるのである。

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タダノツカサ
最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!