青い鳥が遺した物
「昔ね、あの場所には青い鳥が住んでいたんだよ」
「へぇ、そうなんだぁ!」
通りすがりの親子が、すっかり草臥れてしまったそれを見て何気なく一つの話を始める。
一昔前には…というお決まりのフレーズから始まるようにして、つい最近までSNSの中心を飛び舞っていたあの青い鳥も、いずれは過去のものと化する日もそうそう遠くないかもしれない。
私もそこにはたまに覗くこともあったが、あの日あの場所から青い鳥が去る前も、やがて去ってしまってからも治安が悪化している気がしてならなかった。
少なくともこの数年で起きた感染爆発をきっかけに、状況はさらに深刻なものと変貌してしまったとも伺える。
言葉と言葉の銃撃戦があちこちで繰り広げられているところもあれば、一人の影響を与える人が作り上げたオアシスを求めて群れを成しているところもある。
もっと奥を進むかあるいは耳をすませば、今おかれている状態とは想像し難い幸せに満ちた声が聞こえてくるかもしれない。
ただ自ら辿ってみた限りでは、大半が不協和音のような言葉が飛び交っているとしか捉えられなくなっている。
それを踏まえた上でほんの少し前と比べたら、そこに訪れる頻度はかなり少なくなってしまった。むしろそこに危険を承知してでも、割って入るべきではないと判断したのだと思う。
今も思うがままに汚れた言葉を撒き散らしている彼ら彼女らには、かつて互いに共通した目的があったはずだ。各々が願いを込めて掲げていた名札も、もう一つの自分を映し出すための顔でもあるアイコンも。
だがもう既に青い鳥が去ってしまって久しい中、いったい何を捜し追い求めているのだろうか。
「立つ鳥、跡を濁さず」という諺があったのをとっさに思い出したが、そこに突如として記された「X」という文字には、いったい何を意味しているのだろうと改めて考えてしまうものである。
仮にその鳥がその場所にいる誰よりも利口だとするならば、そう易々と意味もなく遺しているはずはないだろう。
それは単にバツ印を付けただけなのか。
そこには、青い鳥はもういないことを示しているのか。
それとも、幸運を呼んだことを証明するレリーフとして刻んだのか。
あるいは、その場所その街が陥落してしまったことを意味するのか。
もしくは、骨の髄まで吸い尽くされてしまった亡骸を表しているのか。
いずれにしてもそれらの理由において共通すべき点は、見るに堪えないほどに荒らした爪痕が、至る所に遺されている一つの結果を表していることなのかもしれない。
そしてその場所に遺された人々は、いつまで昔の看板を提げているつもりなのだろうか。バツを付けられてしまったそこには、幸運を運ぶ青い鳥はもういないと諦めてしまってもおかしくないはずなのに。
きっとまだ誰もが祈り、信じ続けているのかもしれない。日がまた昇ることを待ち望むように、ディストピアみたいな市街地に青い鳥が再び舞い戻ってくることを。