そこから芽生えた微かな情熱
今からおよそ20年以上前に放送されていた「進ぬ!電波少年」というバラエティ番組の一企画である「電波少年的懸賞生活」で、見事ゴールしたなすび氏はすごい偉業を成し遂げた人物なんだなと、途中の「韓国編」から父親と共に視聴していた側であった小学生の頃の私は、何も考えることなく単純にそう思っていた。
当時テレビに映っていた前代未聞の真っ裸と、途中から仙人みたいな髪型と化したあの姿は、もちろん編集の力もあってこそだが「当選の舞」などを中心にコミカルに演出されていて、お茶の間を大いに笑わせてくれていた。
けれどもその裏でなすび氏自身は、純粋に楽しんでいた私たち視聴者が想像を絶するほどに、途轍もなくしんどい思いをしていたと思う。
例えば、テレビ越しに映されていたアパートの一室で、懸賞だけを頼りに生活していた彼と、そこから見ていたお茶の間の自分を置き換えたら、実態が段々と見えてくるだろう。
「一人暮らし」自体を経験したことのないあるいはしたくない人は、おそらくその時点で挫折してしまうかもしれない。
そして何より、備え付けのものを除いた食料品から日用品までを、すべて「懸賞」で当てなければならない。
そのために、日中はひたすらハガキを書き続けるという過酷さは、考えただけでも筆舌に尽くし難い。
あの一室で独りひたすらハガキを書いて、当たっては喜び外れては悲しみに暮れる。またさらにハガキを書いて、当たっては喜び外れては悲しみの繰り返し…。
普通の感覚であれば、いつどこでどんな形であれギブアップしてもおかしくない状態だ。だがそれをやってのけたなすび氏は、改めて「すごい人」だと思っている。
私もいつ頃だったか忘れてしまったが、総集編なるものを改めて見ていた際は、色々と驚愕することばかりであった。
特に何日か連続して当選品が届かず、落選したサイン(?)を知らせるカタログなどの紙物ですら、まったく届かなくなってしまったシーンには思わず息を呑んでしまった。
放送終了後から現在に至るまで、様々な憶測やよからぬ諸説がこのインターネットを中心に飛び交っている。
だが唯一それらを払拭できる証明があるとすれば、それはなすび氏が懸賞品を当てるためにひたすらハガキを書いてきた他に「日記」を綴っていたことだろう。
実際に所々で画面下の字幕代わりに出てくる直筆の切り取ったその画は、当時日テレのアナウンサーだった大神いずみ氏の朗読と相まって、じわじわと笑いを引き寄せてくれていた。
そしてそれが書籍化された際には、ベストセラーを達成している。今更ながら今一番に読みたいと思う本は、その生活のすべてを綴った「懸賞日記」であり、早く電子書籍化してほしいと微力ながら願っている。
もし私が一人暮らししたいと思ったことや、此処で日記なるものを綴るようになったことのきっかけがあるとするならば、もしかしたらこの「電波少年的懸賞生活」を見ていたからなのかもしれない。
もちろん現実的に懸賞だけでは、絶対に生活は成り立たないのは重々承知だ。
それでもあの頃は、(今ではほとんど自主規制がかかりそうな姿を除いて)一人暮らしができていることやハガキを書く中で日記を綴っているということについて、尊敬の眼差しで憧れを抱いていたからこそ、私自身をもっと遠くへ連れ出す小さな契機になったと思う。
それはさておき、私はそのなすび氏の半生を描いたドキュメンタリー映画「ザ・コンテスタント」が国内で上映されることを密かに心待ちにしている。
昔から見ていた一視聴者としては、どんな展開で描かれるのか気になり始めている。また一つ、待つことへの楽しみが増えてきたのだった。