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第二の故郷にかえった日
11月某日。特に明確な目的を持たずして、私はかつて住んでいた町へと、なんとなく向かっていた。
ここにきて急に、懐かしく思うようになったことが一理あるかもしれない。それかもしくは、おそらく二度とその地に足を踏み入れることはもうないだろう、という思いが含まれているかもしれない。
曖昧にして方向性がまとまらないまま、私は愛車を走らせていた。はじめは途中まで、別の目的地に向かうつもりだったはずだった。だが、そこに近づくにつれて、自分の思考は別のものが急に働き出した。そして、何らかしらの引力によって吸い込まれるように、私は向かう場所を急に変更したのだった。
過去に住んでいたその町は、念願だった東京での仕事が決まったことに伴い、地元…もとい親元から独立して移り住んだ初めての場所であり、自分にとって第二の故郷と呼ぶべき場所であった。
駅から徒歩で2、3分という利便性の良さは、いろんな意味で助けられたものである。特に体調を崩しては長い間苦しみ続け、自ら移動することもままならなかった時期においては、この場所を居住地として選んで正解だったと、後々になって自負するぐらいだった。
やがて転居先が決まってから移り住むまでの一ヶ月間は、なんとか引っ越しの費用を抑えようと休日や有休を利用して、愛車に荷物を積んで走らせては半日かけて搬入や搬出を含めて往復していた。
そんな側から見ればどうでもいいことを思い出しながら、およそ一時間かけて第二の故郷に到着した。当時、通い慣れたショッピングモールで軽く買い物を済ませた後、愛車を停めていた屋上の駐車場で、前方に見える景色を一人ぼんやりと眺めていた。
現在となっては見慣れた光景なのだが、そういえば上京したての頃は、無数に立ち並ぶビルや高層マンションなどに見惚れては、胸を踊らせていた時期もあったっけなと、思い更けっていた。
そしてその下を、幾つもの電車がおよそ100キロのスピードで通り過ぎていく。車社会が当たり前の地元にいた頃は、普段の生活においてもなかなかお目にかかることのない光景の一つでもあった。
ただこうして、至る所に電車をはじめとした交通網が整備されている都会に、何年以上も住み続けていると、嫌でも自然と視界や騒音なるものに対して、一定の慣れが生じてくるものだ。
そう考えるのも束の間、自分にとってこれ以上の長居は無用だった。過去を懐かしむために訪れたのではなく、過去の自分自身と決別するためにこの地にやってきたのだ。
その日の帰りの道中は、相変わらずの渋滞に巻き込まれた挙句、二時間以上もかかってしまった。一時間ほどと予定していた所要時間を上回る形となり、愛車との最後のラストドライブは、ある意味で消化不足に終わってしまったのだった。
せめて最後くらいは、颯爽と気持ちよく駆け抜けたいと願っていたものだが、なかなか思い通りにはいかないものだと、改めて痛感したのである。だが、ここで粗方を洗い流してくれたらと、少しは前を向いて迎え入れることができるかもしれない。
…なんて、何をどう言っているのか訳もわからない言葉を並べるように、自分に云い聞かせるのであった。
いよいよ次の週は、愛車とのラストランが待っている。自分の20代を長きに渡って支え続けてきた日々に終止符が打たれようとしていた。
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