トンネルを抜けると、またトンネルだった。
高速道路のトンネルは何かと緊張が走る。特に東名高速の足柄SAと大井松田ICの間は、いくつものトンネルが連なっていて、一定に車間距離を保てられるか、あるいは思わず速度の出し過ぎでパトカーに捕まってしまわないかとヒヤヒヤする。
そこを抜けた先、厚木ICから大和トンネルを越えるまで事故渋滞に捕まらないか、もしくは交通事故に合ってしまわないかと思うとさらに緊張感が高まる。
何度かそこで事故渋滞を経験したことはあるが、遭遇してしまった日には色んな意味で疲労困憊になってしまった。
幸い、事故に見舞われたことはまだ一度もないものの、大和トンネルの上りは事故率が高いからこそ、気を引き締めて安全運転に努めなくてはならない。
私は実家に帰省あるいは東京に戻るとき、上述の連続するトンネルを通り抜けるたびに、久米田康治先生原作の「さよなら絶望先生」という漫画またはアニメだったか、強烈な一文をふと思い出してしまうのだ。
「トンネルを抜けるとトンネルだった」
伊豆の踊子で有名な川端康成の小説「雪国」からの冒頭をもじったそうだが、単純なワードだけなのにあまりにも自虐的すぎて、当時学生だった私はこれだけで相当ゲラゲラしていた憶えがある。
そのトンネルを…、そのまたトンネルを…、どこまでもどこまでも…と。
まるで合わせ鏡かマトリョーシカ人形のように、どこまで続くんだよ!と同時にツッコミを入られずにはいられなかった。
しかし年齢を重ねるごとに、どうも素直に笑えなくなってきている。それよりも気持ちがさらにブルーになる。なぜなら、この一文の最後もまた強烈過ぎて、脳裏に焼き付いてしまっているからだ。
「私の人生、トンネルを抜けるとトンネルだった」
良い思い出よりも悪い思い出しか憶えていない私としては、この言葉が頭を過るたびに自分の人生ってこんなものか…と、昔よりも汚れてきた自分に対してうんざりするようになってきたのかもしれない。
たしかに今の自分や周りに将来だとか希望だとか、あらゆる要素に期待しなくなったのも事実だ。
期待そのものを持つことに、無意識のうちにやめたのだと思うし、「どうせこんな状況じゃすぐ変わらないから、あまり気にしないでおこう」というような諦めが、どこかでつくようになったのかもしれない。
そんな負のついた長いトンネルをあるタイミングで抜けた瞬間、私は一つの着地点に至った。
それは「弱い自分」を受け入れること。
一見、人によっては簡単な話かもしれないが、人はそう簡単には変われない。
例えるならそれこそ、トンネルの先から差し込む小さな光は、ちょっとやそっと動いたところでは大きく広がらず辿り着けないみたいに。
変わるためには、自分が納得する以上の努力が必要だ。
他人の評価に振り回されず進み続ける意志を持つことや、壁にぶち当たった際に衝撃を和らげるような心構えを持つことも、誰かが言わずともきっとどこかで求められると私はそう考えている。
どうせトンネルを抜けてもまたトンネルに入るぐらいなら、一瞬だけでもそこの景色を堪能しよう。なんて考えたら、重くなっていた気がやがて晴れるようになった。
きっと「逝国」というあのシンプルで自虐ネタ満載な綴りはそんなメッセージを、常人にはわからないようにどこかに忍ばせてしたのかもしれない。
いくらパロディとはいえ、ここまで渋味を増すようなこの文章を世に送り出した久米田先生のセンスは、最高だと改めて認識した。
いや、それ以上にあの「雪国」の冒頭が素晴らしいのだ。