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あなたが僕の中の少年になった日
2024年11月23日。
世間一般では「勤労感謝の日」という祝日の中、私は愛車と共に山下達郎の「僕の中の少年」という曲を流しながら、一つの場所に向かっていた。とある歌詞のモチーフにもなったかのような、曲がりくねった道を駆け抜けていく。
行き先は、愛車にとって最後の目的地…もとい終着点であった。そこに辿り着けば、一台のクルマは一人の少年となり、私の中の思い出に深く刻み込まれる。そしてその日を境に、二度と振り返ることはなくなるのである。
思えば、20代の時に愛車と出会って以来、13年という年月に渡って自分の人生を支え続けられていた。地元から離れる時や、直近で高速道路を駆ける日々に置かれていた時も。一つ一つ思い出を語ろうとすれば、収集がつかなくなってしまうほどに。
大袈裟な話になるかもだが、このクルマがいなければ、出会っていなければ、私の人生という物語はこうして語れなかったかもしれない。ましてや、現在のように地元から独立して謳歌することも、きっとなかったと思わないことはない。
そう感謝を述べるも束の間、目的地では愛車との別れが待つと同時に、新しく旅を共にする相棒が待ち構えている。30代にして、新たなグランドツーリングの幕開けを目前に、これからどんな冒険が待ち構えているのか楽しみでもあった。
けれど今だけは、長きに渡って付き添ってくれた愛車との、最後のドライブに集中したい。その思いが、何よりも勝っていた。一ヶ月前には、自ら別れることを決意していたとはいえ、ワガママみたいな思い出という形で積み残していく愛車に対して、心から申し訳ないと脳裏をよぎっていた。
目的地に到着すればこれより先、共に走る事はおろか、シートに座ることやハンドルを握ることも無くなってしまう。だからこそ今だけは、純粋に、ただひたすらに走っていたいと、そう考えることしかなかったのである。
やがて、あともう少しで終着点に近づいてくる中、まるでトリを飾るかのようなフレーズが流れてきた。
ひとときの夢の中
駆け抜けた少年は
今はもうあの人の
眼の中で笑ってる
「僕の中の少年」というアルバムは時々…というよりも、ふとしたことでよくかけている。純粋に良い曲だと思いながら聴いていたはずが、この時だけはなぜだか、これまで体験したことのない感覚に浸り、今にも胸が張り裂けそうだった。
愛車に対して愛着が湧きすぎていたからなのか、あるいは長い間共にした時間がそうさせていたからなのか、未だによくわかっていない。わかっているのは、旅の終着点についたらこの先、お互いが別々の場所に進むという事実だけだ。
ハンドルを握りしめながら、走らせていく愛車との最後の時間が、距離が、あとわずかと迫ってきている中「僕の中の少年」も大詰めを迎える。今まで当たり前のように紡ぎあげてきた時間が、永遠のものとなっていく。
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