リーダーという仕事
美容ディーラー・ミツイコーポレーション デジタルブランディングの金丸(35)です。
名古屋で生まれ育ち、新卒で2011年にミツイに入社。
5年間営業、6年間ユニットリーダーを務め、2021年に上司も部下もいない新設部署「デジタルブランディング」を静岡本社で立ち上げました。
2023年からは東京支社に身を移し、企画・戦略・社内外のDX推進を行なっております。
今回は2015年から2021年まで務めた、「ユニットリーダー」という仕事について書かせて頂きます。
1.ユニット制度がはじまるまで
ユニット制度が始まったのは2015年。
「all project」という会社の風土・文化を体現する、今となってはミツイの特徴的な制度です。
また、ユニット制度を志望理由にミツイに入社してくる方も多くいます。
今では会社の半数以上の方が、「ユニット制度があるミツイ」に入社していると思います。
しかし、ユニット制度の歴史は意外にも浅く、まだ10年も経っていません。
今では当たり前になっているユニット毎の売上実績も、ユニット制度ができる前は一人一人の「予算・実績・達成率」が配信されていました。
当時の僕は数字が何よりのモチベーション。
先輩であろうが、エリアが違おうが全員ライバルだと思っていました。
年間300回を超えるアポ・講習も、「数字」というモチベーションが自分を突き動かしてくれました。
結果として、新人賞を獲り、MVPを3年連続で受賞し、超重点サロン様のメインディーラーになり、年間1億円のお取引に押し上げることができました。
名実共に、当時のミツイNo.1営業になれた瞬間でした。
しかし、「数字」に向かって駆け上がってきた先には「何もなかった」のです。
一人で目標に向かって走り続けて頂点に達した時、隣を見ても、後ろを振り返っても誰もいませんでした。
「共に喜んでくれる人がいない」ということやの虚しさ、「実績」そのものには何も価値がないことに初めて気が付き、絶望した瞬間でした。
2.ユニット制度のはじまり
営業としてのモチベーションを失いかけていた時に、丁度始まったのがユニット制度。
当時入社5年目、27歳の時でした。
もしかしたらこの「ユニット制度」なら、個人で感じることができなかった喜びや達成感を得ることができるかもしれないという希望。
そして、「チームでまた全社No.1の数字を上げよう」というモチベーションが湧いてきました。
今の部長ですら経験したことがない、ユニット制度。
前例もない中で手探りで始まりましたが、やる気だけはありました。
しかし、全ての結果も責任も自分にあった時とは全く訳が違います。
自分だけが良くても、チームの結果は出ない。
チームの責任は自分にある。
そして、これまで生まれ育った環境が全く違い、価値観も違う人の心・行動を動かすことはこんなにも難しいことなのかと気付きました。
まさに、プレイヤーとユニットリーダーでは「競技が違う」んです。
そのことに気付けず、一年目は全く何もできないまま終えてしまいました。
3.ベストユニット賞受賞
そして迎えた二年目。
とにかく数字にこだわり、ベストユニット賞を受賞することができました。
これで、一人で目標を達成した時には感じることできなかった喜びを得られると思いました。
しかし、共に喜びを分かち合うメンバーはいたものの、まだチームとしての喜びはあまり感じられませんでした。
それは、当時からプレイヤーとして結果を残していたメンバーに恵まれるなど、自分の力に依ることが少なかったから。
また、個人それぞれの「数字」を追いかけた先の結果に過ぎなかったからだと思います。
4.ユニット暗黒期突入
そして、ここから金丸ユニットは暗黒期突入。
予算は3年連続で未達成。
日の目を浴びる機会が一気になくなります。
そして、僕自身は「ユニット制度」の本当の苦しみをリーダーとして味わうことになります。
ユニット編成やキャリアパスもあり、結果として三人で迎えることになった3期目。
メンバーは当時二年目の社員の二人。
既に数字を持っており、プレイヤーとしてのスキルも備わっているメンバーは誰もいなくなりました。
2人は、僕がリーダーになって初めて新人でユニットに配属された二人。
2人を育てなくては数字も上がらないし、2人が育たなかったら他の誰でもない自分の責任になります。
当時、マネジメントなんて一切分からなかった自分は、苦肉の策で超重点サロンの様の担当を2人の内の1人に変更。
そして、もう1人をトータルビューティー担当にしました。
自分もこれまでと変わらず毎週訪問することで、実質3人で担当することになりました。
当時、全ユニット最少人数「3人」で、ユニットメンバーは2年目の2人。
その状況でミーティングもクソもありません笑
とにかく現場に行くしかなくて、一緒に担当することが何よりのユニットワークでした。
その当時、本当に大変だったのですが3人でそのサロン様について共有し、どうやったら良いかを考え、「この前行った時こんなことがあってさー」なんてくだらない話をして笑い合ってました。
結果、ユニットの目標は未達成。
自身、個人も含めて入社してから初めての予算未達成でした。
予算を達成できなかったことには少なからずショックを受けました。
けれど、それ以上にこの一年で2人がみるみる成長していったことに大きな可能性を感じました。
そして、大変だったし結果も出なかったけど、ユニットしての喜びや、リーダーとしてのやりがいを感じることができました。
この時の経験が後のユニットワークのベースになりました。
5.人が育ち、成長する
そして翌年度からは更に新人が配属されます。
この時に、2年間共にしてきた2人に初めて後輩ができて、チームで人を育てる動きができました。
僕が今まで2人に伝えてきたことを、2人がまた後輩に伝えてくれる。
自分がリーダーとして育ち、人を育てることができれば、育てた人が新たに人を育て、アメーバの様にどんどん人が育っていく。
「人が育ち、成長する」ことこそがリーダーとしての喜びであり、1番の使命なのではないかと気付きました。
日の目を浴びず、結果も出ない中、リーダーとして成長する為にひたすら本を読み始めました。
また、2019年に子供が生まれたことによって、ユニットメンバーも誰かの子供であり「他人様の大事な子供を預かっている」という責任が芽生えてきました。
人の子供を見ても「かわいい」という感情しか生まれません。
しかし、自分が実際に親になると「この子の成長は誰のせいでもなく、自分たちにしかない」という責任がのしかかることに気づきます。
そうなると「この子の為に」「他人様に迷惑をかけない為に」、怒ったりするなど本気で向き合わなければいけません。
本気で向き合うからこそ、成長に驚き、喜び、何にも代えられない幸福感を得ることができます。
僕がユニットリーダーとして預かるユニットメンバーも、同じように家族に育てられた一人の子供なんだと思うと「本気で向き合わなければいけない」という覚悟が生まれました。
6.自分なりのリーダー像
僕はユニットメンバーと一緒に遊んだり、飲みに行ったり、ご飯に行くということは一度もしなかったので「愛されるリーダー」ではありませんでした。
しかし、自分のユニットに入ったことで社会人として、営業として、成長できたと思えるリーダーでありたいと思い、一人一人に本気で向き合ってきました。
本気で怒り、本気でぶつかり合い、たくさんの涙が流れました。
悔しい思いをたくさんしたと思います。
けれど、誰一人諦めることはせず、壁を乗り越えようとまた挑戦をしました。
難しいことに挑戦をして、壁を乗り越えたその瞬間、また涙が生まれます。
仕事に本気で向き合い、涙が流れるほど喜び、人が大きく成長する瞬間を見ることが、リーダーとしての何よりの喜びなんだと気づくことができました。
7.リーダーとしての財産
一人、また一人と増え、最終的には10人になった金丸ユニット。
結果として、目標として掲げていたユニット賞を獲り、7億円と言う単一ユニット最高記録の売上を上げることができました。
けれど、久しぶりに集まって話す時に、一度もユニット賞のことや数字の話は出ませんでした。
賞も売上もあくまで結果でしかない。
出てくる話は、本気だったからこそ生まれた衝突や、大変な思いをしながら挑戦した思い出。
この、一緒に一生懸命取り組んだ時間がかけがえのない財産。
ユニットリーダーはめちゃめちゃ大変で、辛い想いもたくさんします。
「役職じゃなくて、役割」なんて言われるけど、一つの役割としては責任も重すぎるし、やることも多くて、役割の範囲は超えています。
けれど、得られるものも大きいのがユニットリーダー。
「子供に、親にしてもらった」という言葉あるように、僕は「ユニットメンバーに、リーダーにしてもらいました」。
今はもう金丸ユニットはないし、僕はリーダーじゃないし、営業でもないし、支社も違う。
会社を離れたメンバーもいる。
それでも、2年ぶりに集まって思い出話で笑い合えるこのメンバーが僕のリーダーとしての一番の財産です。