政治( 歴史)講座ⅴ258「歴史書や建造物を破壊して捏造歴史を盲信する朝鮮と真実の歴史に感謝する台湾の比較」
吾輩が尊敬する人物に朴鉄柱と言う人物がいる。彼は韓国人である。しかし、戦後、李承晩大統領時代に反民族行為処罰法に基づき、日本統治時代に朝鮮発展に貢献した主要人物、有名人、知識人が多く親日反民族行為者認定にされ処罰された。彼は、朝鮮半島から日本を見ると「心」の文字に見える。「北海道・本州・四国・九州」は「心の文字」に見える。日本は朝鮮にあらゆるものを与えた。教育・近代文化・鉄道・学校・農業生産技術・工業技術を与えた。日本は戦争に負けたが戦争目的を達成した。それは、アジアの人々を欧米の植民地支配から解放し、独立させる目的は達成したのである。GHQは大東亜戦争を太平洋戦争と呼ばせて、戦争目的をアジア植民地解放から真珠湾攻撃という侵略戦争とのプロパガンダで日本人に洗脳教育を実施した(WGIP(War Guilt Information Program)ウオーギルテイプログラム)。
日本は自分の身を犠牲にしながらもアジアのために戦った。侵略戦争というプロパガンダの自虐史観から脱却して自信を取り戻して、皇紀2600年の万世一系の歴史に誇りを持つべきと主張した韓国人です。
さて、翻って現在の朝鮮半島を見ると、北朝鮮は金王朝の独裁政権でロケット開発と核兵器の開発資金を捻出するために人民を餓死させることも厭わない国となっている。南朝鮮の韓国は、内政の経済疲弊の失敗を日本の歴史問題に目を向けさせ、日帝残滓の国民運動を活発化して、文化財の破壊や国民に文献が読めないように漢字文化を廃止し、ハングル文字のみとして、焚書政策で過去の歴史文献に接触できないようにしたのである。この様にして、愚民政策が進み、捏造歴史教育が簡単にできる体制と反日教育体制が完成したのである。であるから、今でも近代史は彼らには理解できないのである。
今回は、戦前に大日本帝国の一部であった台湾人と朝鮮人の違いを報道記事から記す。
皇紀2682年6月27日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
はじめに
朝鮮人を表現する言葉に「事大主義」がある。
そこで、康 熙奉氏の主張を掲載する。
・・・地政学的に見れば、朝鮮半島は常に大国に囲まれている。西に中国、北にロシア、東に日本、そして、その先にアメリカ。これほど多くの大国に囲まれた国というのは、世界でも朝鮮半島しかない。それだけに、小さな国が生き残っていくのは大変だ。これは、「物事をやたらと大きくする」という意味ではない(韓国にはそういう傾向の人が多いのは確かだが……)。本来は「大に事(つか)える」という意味で、小さな国が大国に従うことをさしている。いわば、小国が生き残りを図る処世術なのである。歴史的にも、朝鮮半島は事大主義で生き残ってきた。たとえば、高麗末期の1388年を見てみよう。当時、随一の将軍だった李成桂(イ・ソンゲ)は、高麗王から、領土紛争をしていた中国大陸の明(みん)を攻めるように命令された。
しかし、李成桂は反対論を主張した。「小さな国が大国に逆らってはいけません」そういう論理だった。
高麗王朝を倒して1392年に朝鮮王朝を創設した李成桂は、「朝鮮」という国号を決めるときにも明の意向を窺うほど大国に気を遣っていた。
彼は、恐ろしい中国がその気になれば、朝鮮半島が一気に呑みこまれてしまうことを骨の髄まで知っていたのである。
それゆえ、朝鮮王朝の前期は、明に対して常に臣下の礼を取っていた。朝鮮王朝には、そういう歴史があったのだ。
現代も、韓国の地政学的な立場は変わらない。中国とロシアと日本に囲まれていて、その存在に敏感にならざるを得ない。
特に、歴史的に見れば、中国とは陸続きであったために常に攻め込まれてきた。有史以来800回以上も攻められているという説もあるほどだ。
海に囲まれていた日本は、防衛上では地理的な恩恵を十分に受けてきた。しかし、朝鮮半島は違う。民族の生き残りをかけるためには事大主義もやむを得なかったのであり、それは現代も状況は変わっていない。韓国は、狭い国土の中でも人々は韓国語を話し、伝統の文化を享受し、国としての独立を保っている。しかし、分断国家である現実は苛酷だ。たとえ、どんなに韓国が統一を願ったとしても、それは大国(特に中国)の意向に大きく左右されてしまうのである。重ねて言うと、日本と韓国では、地政学的に置かれた立場が大きく違う。日本は海に囲まれているうえに、韓国があるがゆえに危険な中国ともワンクッションを置くことができている。しかし、韓国は直接的に中国やロシアと相対し、分断国家としての悲哀をことごとく味わってきた。
そうした困難の中で、韓国の事大主義というのは、小さな国が生き残っていくうえでの苦渋の選択なのである。その厳しさは、大国に囲まれてみないとわからないかもしれない。文=康 熙奉(カン ヒボン)・・・
しかし、反日政策はどこの国に阿(おもね)るのであろうか?
中国?ロシア?米国?
否、米国に負けた戦後の日本を追い越すことが出来ず、文化的にも、GDPも、技術力も日本を追い越すことが出来ない悔しさ(マウント願望)と劣等感が反日行動にさせるのであろう。
「朝鮮」という呼称に潜む歴史的真実…決して「朝陽の鮮やかなるところ」ではなかった 民族と文明で読み解く東アジアの成立ち
宇山 卓栄著
2022/06/26 06:00
「朝鮮人」は差別語ではない
文在寅(ムン・ジェイン)前大統領は「朝鮮民族の統一」を政策の最優先課題に掲げ、北朝鮮との融和を進めましたが、失敗しました。尹錫悦(ユン・ソンニョル)新大統領は「北をなだめる時代は終わった」と発言し、前政権の民族融和政策とは一線を画すとしています。
韓国の人々や北朝鮮の人々を総称する時には、「朝鮮人」を使います。しかし、「朝鮮人」という言い方は差別的なので使わないで頂きたいと、私はある雑誌の編集部から原稿校正を入れられたことがあります。「朝鮮人」と言わずして、何と言うのかとその編集部に尋ねたところ、「韓国人」と言うべきだというのです。1948年以前に韓国などという国は無かったのに、どうして、それを「韓国人」と書くことができるのかと問うと、現在は韓国という国があるのだから、現在や過去に限らず、その名称を使うべきだと強く要請されました。私はその雑誌の記事掲載を断りました。
別の雑誌の編集部からも同じ指摘を受けたことがあり、この編集部とは韓国建国以後の話では「韓国人」を使い、それ以前では「朝鮮人」を使ってよいということで折り合いがつきました。どうやら、一部のメディアでは、「朝鮮人」という言葉は禁忌ワードとして認識されているようです。これを差別語と捉える人は「朝鮮人」の言葉に負のイメージを勝手に連想させているだけのことです。「朝鮮人」に負の意味はなく、それは民族の名を純粋に表す言葉です。これを差別語とする「ポリコレ意識」こそが逆差別です。「朝鮮人」の他に、「半島人」という言い方もありますが、これは全てが差別とは言わないまでも、何かの隠語のような響きがあるかもしれません。「朝鮮」という地域名があるのに、それをわざわざ「半島」と言い表そうとする作為を感ぜずにはいられないからです。
朝鮮人自身、歴史的に「朝鮮」の呼称を誇りにしていたようです。李氏王朝は「朝鮮」を「朝陽の鮮やかなるところ」、つまり「東方の地域」という意味で解釈していました。ヨーロッパ人は東方の中東地域を「オリエント(日が昇る方)」と呼びましたが、これとよく似ています。朝鮮人自身がこのように解釈をして、「朝鮮」を用いていたのですから、「朝鮮」や「朝鮮人」が差別語ということはないのです。現に、北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」と、国号に「朝鮮」を使っています。中国は「シナ」を使うなと要請しましたが、北朝鮮や韓国が「朝鮮」を使うなと要請したことはありません。
「朝鮮」はもともと国号ではなかった
「朝鮮」を最初に言いはじめたのは中国人で、彼らは実は「朝鮮」を「朝陽の鮮やかなるところ」という意味で用いたのではありません。楽浪郡付近を流れる川(どの川か不明だが、大同江の可能性あり)は「湿水」、「汕水」、或いは「潮汕」と呼ばれており、これらの川の読み音が「朝鮮」に転じたとされます。「朝陽の鮮やかなるところ」というのは朝鮮人が勝手にそのように解釈したに過ぎないのです。中国人が、「貢物が少ない国」という意味で、「朝貢鮮少」としたことから、「朝鮮」となったという解釈もありますが、流石にこれは後付けの理屈でしょう。
「朝鮮」がいつから使われるようになったのか、はっきりとしていませんが、紀元前1世紀初頭、司馬遷によって書かれた『史記』には、「朝鮮」という記述が見られ、この頃には、中国では「朝鮮」の呼称が既に使われていたのです。しかし、「朝鮮」は中国や朝鮮で一般的に普及した呼称ではありませんでした。この古い呼称に目を付けたのが、14世紀末の鄭道伝(チョン・ドジョン)という人物でした。鄭道伝は李王朝の建国者の李成桂(イ・ソンゲ)の参謀でした。クーデターによって、実権を握った李成桂は高麗王家を都から追放し、1392年に自ら王位に就きます。李成桂は高麗に代わる新たな王朝名を定めるため、上国と崇める中国の明に使者を送り、王朝名を下賜して欲しいと依頼しました。その際、「朝鮮」と「和寧」の二つの案を明に提案しています。既に忘れ去られていた「朝鮮」の呼称を案として持ち出したのが鄭道伝でした。因みに「和寧」は李成桂の生地で、現在の北朝鮮東北部の咸鏡南道の金野郡でかつて永興郡と呼ばれていたところを指します。「和寧」は本命案の「朝鮮」に対する当て馬候補の案であったと思われます。結局、明の洪武帝は「朝鮮」を使うよう、沙汰を下しました。しかし、この時に下された「朝鮮」は国号ではありません。李王朝は明に藩属しており、朝鮮王は明の一諸侯王に過ぎず、その領土も明の帝国の一部に過ぎず、主権を持った国ではなかったからです。「朝鮮」はあくまでも地域を表す名として、明が下賜したものなのです。
「朝鮮」のはじまり
史書に登場する朝鮮のはじまりは箕子朝鮮とされます。紀元前12世紀頃、中国人の箕子が建国し、都は王険城(現在の平壌)に置かれました。
『史記』や『漢書』には、箕子が中国の殷王朝の王族で、殷の滅亡後、殷の遺民を率いて、朝鮮に亡命したと記されています。箕子は中国の文化や技術を朝鮮に持ち込み、善政を敷き、朝鮮をよく統治したようです。
朝鮮半島西北部を中心に、紀元前11世紀頃のものと思われる中国様式の出土物が多く出ており、この時代に、中国からの大規模な移民があったことを示しています。こうしたことから、今日の学界では、箕子朝鮮が実在した可能性が高いと見られています。ただし、未だそれを裏付ける史跡が乏しく、実在が確定されているわけではありません。
中世以降、中国文化を崇める朝鮮王朝は箕子を聖人化し、朝鮮の始祖とすることで、中国と一体化し、中国を中心とする「中華文明」の一員になろうとしました。そのため、箕子陵などが盛んに建設され、箕子が各地に祀られました。しかし、現在の韓国や北朝鮮は一転して、箕子朝鮮を中国側の「作り話」として否定しています。民族意識を高揚させる観点から、中国人起源の箕子朝鮮は都合の悪い存在になったのです。散々、それまで箕子を持ち上げておきながら、実に虫のいい話です。彼らは代わりに、檀君朝鮮が正式な朝鮮の起源であると主張しています。檀君は天神の子であり、紀元前2333年、平壌城で朝鮮を建国したとされます。この話は『三国遺事』に記述されていますが、『三国遺事』は正史の『三国史記』(1145年完成)からこぼれ落ちた説話集です。
朝鮮人の始祖とされる檀君は民間で信仰されてきた伝説に過ぎませんが、韓国の学校の歴史教科書では、「歴史的事実」と教えられ、箕子朝鮮が「伝説」と教えられます。また、「朝鮮」の呼称を最初に用いたのは壇君であり、朝鮮人はこの時代から自らを「朝鮮」と呼んでおり、壇君以来の古朝鮮の伝統を受け継ぎ、民族の誇りとしなければならないといったことが教えられます。箕子朝鮮に続き、紀元前195年頃、衛氏朝鮮が建国されました。都は箕子朝鮮と同じく、王険城(現在の平壌)に置かれました。やはり、この衛氏もまた、中国人です。このように中国人の支配者が続くのは朝鮮人に、国を運営する能力やノウハウがなかったからです。
衛氏朝鮮は燕の出身の武将の衛満によって建国されます。燕は現在の北京を中心とする中国東北部の地域です。劉邦の前漢王朝の成立に伴い、前漢勢力と対立していた燕の人々を、衛満が率いて朝鮮に亡命し、国を建国したのです。衛満の軍隊は鉄製の武器で武装し、優れた機能と統制を兼ね備えていたので、朝鮮人はほとんど抵抗できませんでした。高度な文明を擁していた中国人にとって、朝鮮人を屈服させるのは容易なことでした。
箕子朝鮮の実在が未だ確定されていないのに対し、衛氏朝鮮の実在は確定されています。そのため、現在の韓国は中国人起源の箕子朝鮮を否定しても、同じく中国人起源の衛氏朝鮮を否定できず、中国人が古朝鮮を支配していたという実態を結局、覆い隠すことができません。それでも、かつて、衛満が朝鮮人であるという無理矢理な理屈をでっち上げていました。衛満が朝鮮に入った時、髷を結い、朝鮮の服を着ていたことから、衛満を朝鮮人と推定でき、朝鮮人である衛満が中国の燕に滞在し、朝鮮に帰って来て国をつくったと説明されていました。韓国の学校でも、1990年代までそのように教えられていました。
植民地にするほどの価値はなかった
衛氏朝鮮は紀元前108年、前漢の武帝によって滅ぼされます。これにより、朝鮮半島の大部分が中国王朝の支配下に入ることになります。武帝は征服した地を4つに分け、楽浪郡などの漢四郡を設置し、朝鮮を中国の一部に組み込みます。これが中国王朝の朝鮮支配のはじまりとなります。
楽浪郡は平壌に置かれていたと見る説がほぼ確実視されていますが、他の三郡についての史書の記述が乏しく、具体的にどこを指すのか、その詳細がはっきりとわかっていません。韓国の学者の一部は、漢四郡が遼東(現在の中国遼寧省)に設置されたもので、朝鮮半島に設置されたものではないと主張しています。あくまで、中国の朝鮮支配を否定しようとしているのです。
前漢王朝は漢四郡を置き、朝鮮を領土の一部に組み込みました。ただし、それが実質的な支配と言えるかどうかは疑問です。この時代、朝鮮は中国の辺境の果ての地で、人口も少なく、貧弱な生産力しかありませんでした。前漢がこのような荒涼とした地域を敢えて予算を投じて、統治する必要などなかったでしょう。前漢の武帝は北方の匈奴と戦っていました。北の辺境に、強大な異民族が存在したことに付随して、各方面の辺境に、異民族の脅威が存在するかどうかという安全保障上の関心が大いにあったと思われます。
この関心の上に、楽浪郡などの漢四郡が置かれ、それらが統治機能というよりはむしろ、偵察機能を働かせ、辺境の情勢を中央にもたらしていたと考えられます。当時の朝鮮は前漢にとって、植民地にするほどの価値もなかったというのが実情でしょう。後の中国王朝、唐・元・明・清が朝鮮を隷属させて、徹底的に搾取しますが、前漢時代の朝鮮は原始的で遅れており、搾取すべきものさえなかったのです。
その証拠に、武帝の死後早くも、紀元前82年に、真番郡と臨屯郡を廃し、紀元前75年に、玄菟郡を西に移し、朝鮮に楽浪郡だけを残します。つまり、当時の朝鮮が統治するに足りる土地ではなかったということを示しています。韓国の学者が必死になって、中国の朝鮮支配を否定するまでもない話であったと言えます。
2022.01.27
台湾人、韓国の「反日」や「日帝残滓」を知って絶句する
「日本が植えた桜を複雑な視線で見る人もいるが、韓国起源だと理解してほしい」そう韓国文化財庁が主張するも、韓国の山林庁国立樹木園が遺伝子を解析して、韓国の王桜と日本のソメイヨシノは全く別の種であると発表した。桜の韓国起源説を身内に否定されると、今度は「日本の桜を抜いて、済州の王桜を植えよう」のキャンペーンが始まった。
1945年まで日本の統治を受けていた韓国には、その期間に流入した様々な文物があって、それはいまでは「日帝残滓」と呼ばれ、まぁハッキリ言って嫌われている。残滓とは「残りカス」という意味だから、それがあれば、すみやかに社会から取り除かないといけない。といっても「哲学、主観、客観、理性」といった日常的に使う言葉や、修学旅行や幼稚園など韓国社会にすっかり定着した日帝残滓もあるから、これを完全に除去するのは不可能だ。韓国ではこれをどう扱うかは、時の政権の意向が強くはたらく。
たとえば「反日」色の強い文政権下では去年、首都でこんなことがあった。朝鮮日報(2021/04/10)
「校内の日帝残滓を調査せよ」…ソウル市教育庁の指示で騒動に
ソウル市教育庁がすべての小中高校に「校内の日帝残滓を調査し、その結果を提出せよ」と指示を出したから現場は大騒ぎになる。
なんせそれには、「親日派の人物が作詞・作曲した校歌、号令台、児童・生徒の生活規定の中の文具、方角や番号表示が入った学校名まで含まれる」から。「東西南北」という方角や「第一」などの番号、「班長・副班長」「気を付け・礼」などの用語も日帝残滓らしい。「親日反民族行為清算支援に関する条例」を可決するだけのソウル市議会は楽でいいけど、それによって具体的に動かないといけなくなる現場は大変だ。
京畿道の議会は、小中高校にある日本の「戦犯企業」の製品に「日本戦犯企業が生産した製品です」というシールを貼るよう義務付ける条例を推進した。こういう政治家の反日政策には教育界がついて行けず、「全体主義と何ら変わらない、行き過ぎた措置」という批判が上がったとか。
さて、日本の統治を受けたところといえば他に台湾がある。
同じ歴史を持つことから台湾・韓国はよく比較されて、そうすると日本に対する現在の見方がまるで違うことに、日本人も韓国人も台湾人も驚くことが多い。台湾社会でも「日帝残滓」を除去する動きがあるか、3人の台湾人に聞いてみたら、まず彼らはその言葉の意味が分からなかった。
漢字の民だからこそ、「日帝残滓」という文字を見てもその意味が想像できない。それで上のような韓国社会の動きを話すると、「台湾ではありえません!日本時代には悪いこともありましたが、台湾は発展しましたから。特に教科書に載っている八田与一にはみんな感謝していますよ」とビックリする。巨大ダムを建設した台湾の超有名人、八田与一を知らなかったら日本人として知っておくべき、実際、台湾の人や社会について知っていくと、日本についての見方が韓国とはまるで違うことが分かって、ときに戸惑うほど。
たとえばこれだ。
台湾の観光情報や日本時代の建物や人物を紹介している Hsu Hsu さんの情報によると、「この敷地は日本時代に元:大日本帝国海軍航空隊の飛行場が有りましたので、記念するために、零戦の絵が描かれたんです。」とのこと。
旧日本海軍の飛行場だったことを記念するために、こんな絵を描くというのは韓国ではあり得ないし、日本人でも驚くのでは。
*台湾南投県草屯鎮復興里集会所にこの絵がある。さらに台湾には旧日本海軍の駆逐艦(第三十八号哨戒艇)を「ご神体」として祀る廟があるのだ。
大和ミュージアムとコラボしてほしい。だから台湾人からすると、同じ過去があっても、あるからこそ「日帝残滓」の意味が分からない。
議会の決定に基づいてすべての小中高校に「校内の日帝残滓を調査し、その結果を提出せよ」 とか、「日本戦犯企業が生産した製品です」というシールを貼れという指示が出る韓国には「それほんとですか‥」と絶句してしまう。実際に台湾人に話して、その反応を確認してほしい。驚くことはあっても、共感する人はまずいない。*繰り返すけど、これは「反日」色の強い文政権になってから起きたことで、今までの政権では問題にされなかった。「行き過ぎた措置」という反発が多いのも事実。コレは別の機会で書くつもりだけど、逆も同じで、韓国人に鳳山紅毛港保安堂のことを教えたら、彼の口から言葉がなくなった。
2022.01.27
韓国起源説が崩壊したら、「桜を抜いて、王桜を植えよう」
「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」
世の中に桜がなかったなら、春を過ごす人びとの心はどれだけ穏やかなんだろう。平安貴族だった在原業平のそんな歌から、FNNプライムオンラインの報道は始まる。(2019年3月27日)
春の風物詩?「ソメイヨシノは韓国起源説」を検証する
ことしの桜はいつ咲くのか?満開になるのか?
そしていつ散ってしまのだろうか…。桜を大好きな日本人がアレコレ気になって落ち着かなくなるのは、令和のいまも平安時代も変わらない。
ただ現代では春が近づくと、韓国や日本では「ソメイヨシノは韓国起源」という説が浮上して世間を騒がせる。最初にネタバレをしておくと、この説は完全な間違い。韓国にも全国各地にキレイな桜があって、春になると多くの市民の目を楽しませている。でも桜は日本のシンボルだから、これを「日帝残滓」と思うと韓国の人たちは興ざめして、心は重くなってしまう。
日本が朝鮮半島を統治していたころに伝わった様々な文物を、韓国では「日帝残滓」と呼び、残滓(残りカス)の意味からも分かるように、これは社会から除去しなければいけない対象となっている。
たとえば3年前には済州道議会で「日帝植民残滓清算条例案」によって、小中高校にある「日帝残滓」認定されたカイヅカイブキの木が引き抜かれる動きが出た。朝鮮日報のコラム「萬物相」(2019/06/08)
たしかこのあと無慈悲に切り倒された。
といっても日帝残滓には「科学、権利、大統領、首相、長官」といった言葉や、貨幣単位のウォンや運動会など韓国社会にすっかり定着したものもあるから、すべてを取り除くことはできない。でも、国内にある桜を日帝残滓と思うと国民感情が傷つくから、韓国の文化財庁は「ソメイヨシノは韓国が起源」と主張する。統治時代に植えられた木(花?)でも、もともとは韓国の木だったと考えると、精神的な負担をなくすことができるらしい。そんなことがFNNの報道にある。
一応、その根拠はあった。
100年以上前に、韓国の済州島に自生していた桜(王桜)が日本のソメイヨシノと同じである事が分かった、という説がこの論理を維持するための根拠となっていた。それで文化財庁は「ソメイヨシノ=王桜」とし、「ソメイヨシノは韓国起源」と主張する。すべては「(花見を)楽しんでほしい」という国民感情のために。春になると韓国メディアも盛んにそういう報道をして、それが「春の風物詩」となって日本にも伝わるから、日本人の心が落ち着かなくなる。「世の中に たえて韓国起源のなかりせば 春の心は のどけからまし」という状態になる。でも2018年に、韓国山林庁国立樹木園が王桜とソメイヨシノの遺伝子を解析したところ、その2つは全く違う種であることが確認された。「ソメイヨシノの韓国起源説」を自国の専門機関が粉砕したことで社会が動揺する。
韓国の王桜と日本のソメイヨシノは見た目はソックリでも、ゲノム解析で否定されたら文化財庁も何も言えない。そんなことで、「韓国の春を彩るソメイヨシノが引き抜かれない事を願う。」と最後に言ってFNNの報道は終わっている。まぁさすがに、韓国全土にあるソメイヨシノを引っこ抜くことはない。って思うじゃないですか?「韓国起源説」が間違いだったということは、「日本が植えた桜だが、起源は韓国なんだから楽しんでほしい」という論理も崩壊することを意味する。となると韓国にあるソメイヨシノは完全な「日帝残滓」だから、こうなった。朝鮮日報(2022/01/26)
「日本の桜を抜いて、済州の王桜を植えよう」キャンペーン始まる
日本でいえば「ヤマザキ 春のパンまつり」的な?
韓国では今年から、ソメイヨシノを引き抜いて全土に王桜を植える「王桜プロジェクト2050」のキャンペーンが始まるらしい。これを主催する東北アジア生物多様性研究所は、「2050年までに全国の公園と公共施設をはじめ街路樹用として、日本原産の桜の木ではなく済州の王桜を植えよう」と国民に呼びかける。(これじゃ「春のBANまつり」じゃん。)
いまは全国で発起人を募集していて、「山林庁長の許可を得て法人を設立する予定」ということだから、かなり大々的なキャンペーンだ。「韓国起源説」が絶えたのはいいことだけど、何の罪もないソメイヨシノがこんな目にあうというのは、日本人としては激しく悲しい。引き抜かれたソメイヨシノさんをそのまま枯らすのではなくて、日本に里帰りさせられないものか。
こういう暗黒キャンペーンをネットではなくて、全国メディアが告知するというのは日本じゃあり得ない。朝日・読売新聞が「韓国の花を抜いて、日本の花を植えよう」なんてキャンペーンを載せたら、きっと大騒ぎになる。
もちろん韓国起源や日帝残滓とかにはこだわらず、そういう政治は抜きにして純粋に桜を楽しむ韓国人もいるはず。ただこれから30年間、春になるとこんなキャンペーンの話を聞くとなると、まったく心が穏やかじゃなくなる。
2021.05.09
【日台友好】八田与一と明石元二郎の功績・台湾人の思い
台湾人と書いて「義理堅い」と読む。
欧米人や東南アジアの人たちと付き合ってきた経験、つまり有効範囲は「オレ」なんだが、台湾の人たちはむかし受けた”恩”を忘れないで行動でリターンする。日本語学校に通っていた台湾人と知り合って、たまに彼に食事をごちそうしたり、観光地に連れて行ったことがある。
それから10年たったいまでも、彼は日本に来るとかかさずお土産を持ってきてくれて、このまえはこんなカラスミをもらった。
さて、5月8日は日本と台湾にとってとても大事な日だ。「えっと、何の日?」という人は台湾メディア・中央通訊社の記事を見てみよう。(2021/05/08)
八田與一ゆかりの水利施設、着工から百年超
台湾で記念式典 蔡総統も参加
八田 與一(八田 与一:はった よいち、1886年 – 1942年)は日本統治時代の台湾で巨大ダムをつくった技術者。
干ばつや水害がよく起きる不毛の地だった台湾南部の嘉南平原に、八田がアジア最大級の烏山頭ダムを建設したことで事情は一変し、現在の嘉南平原は台湾有数の穀倉地帯となった。
八田をはじめ、多くの日本人と台湾人がタッグを組んで取り組んだ成果だ。
台湾の人たちは100年ほど前のこの”恩”をいまも忘れず、八田の命日の5月8日には毎年、追悼式を行っている。
2021年の記念式典には蔡英文総統と副総統、さらに首相(行政院長)という台湾のトップ3が参加し、蔡総統は「台湾と日本が共に協力し、八田技師に学び、100年後の子孫にも美しい環境を残すよう望む」と語った。
日本では安倍前首相が「真の友人だけがつくる深い交わりをこの先もずっと、世代を継いで大事にしていきましょう」と式典にメッセージを送る。いま台湾は深刻な水不足におちいっているから、蔡総統は「このような時に八田技師の業績をしのぶことには格別の意義がある」とも言う。
これに日本のネットの声は?
・台湾も日本に色々な思い有るだろうけど、礼儀や建前を忘れないところはまともだわ
・李登輝は生前金沢も訪問してるもんな 義理深いところは日本人以上に日本人らしい
・映画「Kano」をみれば八田ダムの偉大さがわかるよ。
台湾が大人口を養えるようになったのも八田ダムと嘉南平原の大灌漑事業のおかげ。
・同じ事してもこの差
・八田與一さんて技術系以外ではマイナーな存在と思っていたけど
実プラでスレが立ったのが嬉しいなあ
八田についてくわしいことはこの記事を見てほしい。
統治時代の台湾に巨大ダムをつくって、不毛地帯を穀倉地帯に変えた八田与一。
「ぜひあなたの像を作りたい!」と言う地元の人たちに、台湾人を見下ろすような立像はやめてほしいと八田が希望したことで、ダム作りで悩んでいる姿になった。日本統治が終わって中国から蔣介石らがやって来て、日本時代の建築物や像などが破壊されると、「これだけは壊されてはいけない」と地元の人たちが八田の像を隠し、”反日”の嵐が吹きやむとまた像を設置した。八田への感謝や愛情はいまも続いていることは、毎年5月8日になればわかる。日本統治時代に築かれたさまざまな遺産の上にいまの日台友好があることは、日本人として知っておいたほうがいい。
5月8日の記念式典ではお供え物の山ができる(今年ではない)。
八田与一が特別注目されていて目立たないが、当時の台湾総督・明石 元二郎(あかし もとじろう)の功績も見逃せない。
巨大ダムを建設したいという八田に共感し、年間予算の3分の1以上という巨額の建設予算を認めたのは明石だ。大きな事業を行うには熱意や善意のほかに、やっぱり金が必要になる。明石元二郎の協力がなかったら現在のダムはあり得ず、日台関係もいまほど良好ではなかったかもしれない。カラスミをくれた台湾人は八田与一を「台湾の恩人」と呼んでいたから、少なくともそれはなくなる。「台湾と日本が共に協力し、八田技師に学び、100年後の子孫にも美しい環境を残すよう望む」という蔡総統のことばも。
「余の死体はこのまま台湾に埋葬せよ。いまだ実行の方針を確立せずして、中途に斃れるは千載の恨事なり。余は死して護国の鬼となり、台民の鎮護たらざるべからず」という遺言によって、明石はいま台湾に眠っている。
写真は台北の林森公園にある碑石。
2020.05.09
「感謝しきれない!」日本人の八田与一が台湾で愛される理由
「日本と台湾は友人じゃない。 家族だろ?」前にそんな言葉をネットで見て「なるほど。これは納得」と思ったけれど、日本と台湾の関係はとても深くてマリアージュ(素晴らしい組み合わせ)なのは間違いない。
きのう5月8日は日台友好に大きく貢献した台湾人と日本人、テレサ・テンと八田与一の命日だった。
なので今回は台湾人から、「いくら感謝しても感謝しきれない!」と言われる日本人の八田与一について書いていこうと思う。「アジアの歌姫」で日本でも有名なテレサ・テンについてはここをクリックされたし。
台湾で彼女は特別な存在だったから、遺体は火葬されずにエンバーミングなどの特殊技術を使って、いまも生前の姿を保ったまま土葬されている。
台湾でこのように埋葬されたのは、蒋介石、蒋経国、テレサ・テンの3人だけ。ではまずは、台湾について簡単に知っておこう。
本州にすっぽり入るサイズ
あとで出てくるから、台南の位置を確認してほしい。
台湾ってこんなところ
面積:3万6千平方キロメートル(九州よりやや小さい)
人口:約2,360万人(2020年)
主要都市:台北,台中,高雄
言語:中国語,台湾語,客家語等
宗教:仏教,道教,キリスト教
東日本大震災で日本が壊滅的なダメージを受けたとき、台湾人はそれを自分の痛みにように感じて、多くの人が支援金を送ってくれた。
この背景には、1895年から1945年までの日本による台湾統治がある。当時日本は農産物を安定的に供給できるよう、台湾の農業政策に力を入れていた。
それで南部にある台湾最大の平野・嘉南平野に注目が集まったけど、ここは自然環境が悪くて、乾季には雨が降らず大地がひび割れるほど乾燥し、雨季には洪水で悩まされていた。だから、作物を育てることはとても難しかったのだ。これを何とかしようと土木技師の八田与一が派遣される。
現地を調査した八田はダム建設に最もふさわしい場所を烏山頭地区だと確信し、当時としては世界最大規模のダムをつくろうと上司に進言する。
でも返事はNO。そんな巨大ダムの建設は夢物語で、予算もばく大になってしまうから。(台湾総督府の総予算の三分の一)でも八田には譲れない理由があった。というのはダムの規模を小さくすると、嘉南平野全体に水を供給することができなくなり、隅々まで水の恵みが届かなくなってしまう。
そこに住む人たち全員を豊かにしたいという八田の願いに対して、ダムの規模と費用は現実離れしていた。でも八田が粘り強く訴え続けたことで、1920年についにダム建設の許可が下りる。ただこの建設費には台湾人住民も負担するという条件があったことから、それを知った台湾人が八田に怒り出す。
反発する住民に対して八田は、ダムが完成したら今いる人だけではなくて、その子供も孫もこれから台南に生活する人みんなが豊かになれると説明してダム建設の理解を訴えた。すべての人の理解は得られなかったけど、日本人と台湾人約2000人が協力して建設が始まる。ダム建設の重労働は八田にもどうしようもなかったけど、家族と離れて暮らす労働者を見て八田は、彼らが安心して生活できるために妻や子供と住める宿舎を作るよう上司にかけあう。ただでさえ予算のない厳しい状況だったけど、結果は説得をつづけた八田の勝ち。宿舎だけなく、学校やテニスコートのある小さな町を作ることに成功して、労働者と家族が楽しめるようにお祭りも開催した。
八田与一には土木技師としての知識に加えて、すぐれた政治家のような人徳もあったらしい。実際、現場では労働者と一緒にスコップで穴を掘り、仕事を離れても、家族同然で接してくれる八田に心を許して信頼する台湾人も多かった。つまり八田と台湾人もマリアージュだったわけだ。約50人の死者を出す爆発事故が起きたときには八田は遺族の家に走り、「申し訳ございません」と土間に両肘・両膝をつけて涙を流しながら謝罪する。日本統治以前、台湾が清朝に支配されていたときは、こんなことをした中国の役人はいなかったはずだ。歴史に詳しい中国人の日本語ガイドから、「台湾はむかし、化外の地(文明の届かない野蛮で未開なところ)と考えられていました」なんて話していたし。*話はそれるけど、明治日本の初めての海外派兵である「台湾出兵」のときにもこの言葉がでてきた。台湾で日本人が殺されたことについて明治政府が清朝政府を追及したところ、「台湾人は化外の民で清政府の責任範囲でない事件」と中国側が無責任な返答をしたことが出兵につながった。しかし好事魔多し。1923年に関東大震災が起こって、ダム建設の予算も吹き飛んだ。もちろんゼロになったわけではないけど大幅カットを余儀なくされて、八田は日本人労働者の雇用を守って台湾人労働者を半分に減らすよう上から要請される。これに対して八田はなるべく多くの台湾人を残して、日本人のほうをクビにした。不思議に思った台湾人労働者が八田に理由をたずねると、このダムを使うのは台湾人だから、これは台湾人の手で完成させるべきだと話す。これを聞いて台湾人もれなく号泣。(たぶん)こうしたいくつもの苦難を乗り越えて、1930年に烏山頭ダムが完成。
巨大ダムによって、嘉南平野は豊かな穀倉地帯になる。
将来、台南に住む人すべてが豊かになれるようにと願った八田の思いは現実になった。
八田与一の功績をたたえて、これを後世に残すために像を建てる動きがでてくると、はじめは固辞していた八田も熱意に折れて、「台湾の人たちを見下ろすような立像ではないこと」という条件付きで像の設置を認めた。それで、ダム建設のときに八田がよく地面に座って考え事をしていた姿にきまる。結果、像はこんなユニークなものになった。
台湾人と同じ目線で考え行動した八田については、台湾の教科書でくわしい説明がされていて社会の常識になっている。
政治家もいまも忘れていない。
でも日本での知名度はイマイチ。
というかかなり低くて、ボクのまわりでは台湾好きの人しか知らなかった。
中国語には、「水を飲むときには、その井戸を掘った人の苦労を思いなさい」という意味で「飲水思源」という言葉がある。1972年、日中国交正常化のために田中角栄首相が中国を訪問したとき、出迎えた周恩来首相がこう言ったことで日本でも有名になった言葉だ。台湾の人たちは義理堅くていまでも5月8日には、八田与一に感謝の気持ちを伝える慰霊祭をおこなっている。これはそれを伝える台湾メディア・中央通訊社の記事(2020/05/07)
八田與一文化芸術基金会と台湾企業は日本に対する恩返しとして、日本に医療物資を寄贈することにしたという。ことしは台南市にいる台湾人で、旅行やグルメなんかの台湾情報を発信している「Hsu Hsu」さんがSNSにこんな呼びかけをした。
「いくら感謝しても感謝しきれない」という台湾人の気持ちが、東日本大震災での日本支援につながった。
まさに「飲水思源」の精神。でも、ここまでのお供え物があるともはや神。
My Opinion.
吾輩の実家や家内の実家が東日本大震災で被災している。台湾の暖かい支援には感謝した。「いくら感謝しても感謝しきれない」という台湾人の気持ちに当時を思い出し、今号泣しながら執筆している。
これとは対照的に、日刊紙「中央日報」と「ソウル新聞」は、2011年3月12日付の1面に「日本沈没」の4文字を大きく記載。文字の背景には津波に飲み込まれ壊滅した街の写真を掲載し、地震による被害の大きさを伝えた。
「日本の大地震をお祝います」という横断幕・韓国サポーターには激怒した。韓国人にもこのようなことを非難する人びとがいるが、その非難にも拘らず傍若無人な行動を韓国人は繰り返すのである。だから日本における嫌韓感情はエスカレートするのである。非韓三原則を支持する所以である。
参考文献・参考資料
「朝鮮」という呼称に潜む歴史的真実…決して「朝陽の鮮やかなるところ」ではなかった 民族と文明で読み解く東アジアの成立ち (msn.com)
台湾人、韓国の「反日」や「日帝残滓」を知って絶句する | ゆかしき世界 (yukashikisekai.com)
【日台友好】八田与一と明石元二郎の功績・台湾人の思い | ゆかしき世界 (yukashikisekai.com)
韓国起源説が崩壊したら、「桜を抜いて、王桜を植えよう」 | ゆかしき世界 (yukashikisekai.com)
【日台友好】八田与一と明石元二郎の功績・台湾人の思い | ゆかしき世界 (yukashikisekai.com)
「感謝しきれない!」日本人の八田与一が台湾で愛される理由 | ゆかしき世界 (yukashikisekai.com)
東日本大震災での「台湾からの支援」が圧倒的だった2つの理由 | 「3.11から10年」の今を生きる | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)
外務省: わかる!国際情勢 世界が日本に差し伸べた支援の手~東日本大震災での各国・地域支援チームの活躍 (mofa.go.jp)
日本人が忘れてしまった震災時の韓国人の「がんばれ、日本!」の「親日」エール #あれから私は(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース
「日本沈没」と報じた韓国メディアに非難殺到、「なんという見出し…気は確かか?」 - ライブドアニュース (livedoor.com)
【ソウルからヨボセヨ】震災10年後の韓国は… しぼんだ「日本がんばれ」キャンペーン - 産経ニュース (sankei.com)
「日本沈没」「お祝います」一生忘れねーからな 韓国人の異常さは確実に日本人に知れ渡ってる | ニチョらのブログ (ameblo.jp)
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