政治講座ⅴ321「韓国軍によるベトナム民間人虐殺。真摯に歴史の事実を見つめて謝罪しろ!」
外貨獲得のために、傭兵を出し、大義名分のない戦いで、他の民族を虐殺するとは、何たること。
韓国軍兵士による性的暴行によって生まれた子供や、労働者として働いていた韓国の民間人とベトナム人女性との間に生まれた子供がベトナムに置き去りにされた。ベトナム社会で冷遇され、経済的に困窮している。
ベトナムに派兵された韓国軍兵士によるベトナム人女性への強姦。
各地の韓国軍による虐殺、暴行事件の生存者の証言でも婦女に対する強姦が挙げられている。戦闘終了後の治安維持期に入った後も猛虎師団、青龍旅団、白馬師団などの兵士が、村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発している。ウクライナにおけるロシア軍の民間人虐殺も報道されている。
今回は韓国でのその民間人虐殺事件の裁判が行われるので報道記事から掲載する。
皇紀2682年8月19日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
はじめに
この事件は米軍との共同行動中に起きたものだったため、米側にも資料が残されました。2000年6月に米公文書館の機密指定が解除された事件の関連資料で明らかになったのは、事件直後に米側が独自に現地を調査して報告書をまとめていた
「韓国軍によるベトナム戦時民間人虐殺」を目撃したベトナム人が韓国法廷で初証言 何が語られたのか
2022/08/18 07:15
去る8月9日、韓国・ソウル中央地裁で開かれた国家賠償訴訟の証人尋問で、「韓国軍によるベトナム戦時民間人虐殺事件」を当時、目撃したというベトナム人男性が証言台に立った。これまで、韓国政府が公式に認めず、“歴史のタブー”とされてきたベトナム戦争当時の事件に、新たな光が当てられようとしている。
ベトナム戦争中、南ベトナム(当時)の各地で80件余り発生し犠牲者は9000人以上ともいわれるこの問題。ベトナムを繰り返し訪れ、10年以上にわたり取材し続けるフォトジャーナリストの村山康文氏が言う。
「1968年にフォンニ村で事件に遭遇したグエン・ティ・タンさん(62歳)が原告となり、2020年4月、韓国政府を相手に裁判を起こしました。提訴内容は『民間人虐殺に責任がある韓国政府は3000万ウォン(約260万円)を賠償せよ』というもの。ベトナム人被害者による韓国での国家賠償訴訟はこれが初めてです。
8月9日の証人尋問は、タンさんのおじで、当時南ベトナム民兵隊に所属していたグエン・ドク・チョイさん(82歳)に対して行われました。報道によると、チョイさんは『無線機を通じて韓国軍人がフォンニ村の住民たちを殺害しているとの知らせを聞き、フォンニ村の近くに行った。望遠鏡で、韓国軍の軍人がフォンニ村の住民数十人を殺害する姿を目撃した』、『民間人を殺害した韓国軍が立ち去ったあと、米軍と共に村に入り、あちこちに積まれた遺体を発見した。多くの家屋が燃えている様子も見た』と証言したそうです」
ベトナムと韓国で事件に関する30人以上の証言を聞いた成果を1冊にまとめた村山氏の新著『韓国軍はベトナムで何をしたか』によると、タンさんが遭遇した「フォンニ村・フォンニャット村」事件では、韓国軍青龍部隊(海兵隊第二旅団)の作戦により、70人余りの村人が巻き込まれ殺害されたという。村山氏が続ける。
「タンさんは、事件発生時、兄、姉、弟、おば、おばの息子、兄の友人の7人で避難壕に身を潜めていたところを、韓国軍兵士に襲われました。避難壕から出るように手榴弾で脅され、外に出たところを次々に銃殺されたといいます。この場で助かったのは、タンさんと兄の2人のみ。別の場所でタンさんの母親も殺害され、タンさんは家族と親戚5人を一度に失いました」
「私が2015年6月に初めてタンさんを訪ねて事件に関する話を聞いた時、彼女はふたりの孫娘を前に『孫たちには絶対に私と同じ思いをさせたくない』と語りました。提訴後の2021年5月にビデオ通話で取材した際には、『フォンニ村・フォンニャット村で亡くなった74名の魂を背負い、これからも戦っていく』と力強く答えてくれました。
しかし、現在に至るまで、韓国政府は従来の態度を変えていません。タンさんの裁判では2021年11月に元韓国軍兵士が証言台に立ち『当時、韓国軍は民間人とみられる現地人を大量に殺害した』と話しましたが、韓国政府は『証言が一貫していない』と受け入れを拒否。
タンさんのおじ・チョイさんの証言内容に対しても、韓国政府側は『韓国軍によって被害を受けた事実が十分に立証されていない』、『米軍に対抗した南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)が心理戦のために韓国軍に偽装し、民間人を攻撃した可能性がある。また、韓国軍が民間人を殺害したとしても、交戦状態においてフォンニ村・フォンニャット村の住民を敵と誤認した可能性を排除できない』と責任を否認する立場をとっています。
しかし、この事件は米軍との共同行動中に起きたものだったため、米側にも資料が残されました。2000年6月に米公文書館の機密指定が解除された事件の関連資料で明らかになったのは、事件直後に米側が独自に現地を調査して報告書をまとめていたこと、それに基づき米韓両軍の現地トップが書簡を交わしていたことなどです。
事件発生の数か月後、調査により虐殺事件をはっきり認識した米軍側から『韓国軍による調査・真相究明』を求められた駐越韓国軍司令部の長官は、その後、〈大量虐殺は陰謀行為〉と韓国軍による虐殺を否定する内容を米側に返しています。当時から現在まで50年以上、韓国政府の姿勢は変わっていないのです」
韓国の司法が“歴史のタブー”にどんな裁定を下すのか。審理の行方が注目されている。
参考文献・参考資料
「韓国軍によるベトナム戦時民間人虐殺」を目撃したベトナム人が韓国法廷で初証言 何が語られたのか (msn.com)
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?