政治講座ⅴ2104「張又侠と習近平の権力闘争」
中国共産党の支配体制が習近平氏の独裁体制から変わりそうな雲行きである。名目は集団指導体制への回帰であるが、明らかな権力闘争である。そして、国内経済不振を隠すために不満の捌け口として、海外との戦争を画策するのが歴史が教えるところである。次の人物が今話題の張又侠氏である。名札を付けているので間違いなし。中華人民共和国が1949年10月1日に成立してから75年の月日が経つ。組織の寿命は体制によって違うが、旧ソ連は70年で崩壊した。中国も組織の寿命が到来して、内部から体制崩壊の兆しを感じる。
今回はそのような報道記事を紹介する。
皇紀2685年1月18日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
習近平と軍が手打ち? 中国軍制服組のトップ、張又侠がベトナムを訪問したことの大きな意味
本当は台湾侵攻に消極的な人民解放軍
2024.11.18(月)川島 博之
日本ではほとんど報道されなかったが10月24日から26日にかけて中国共産党中央軍事委員会副主席である張又侠(ちょう・ゆうきょう、ジャン・ヨウシア)がベトナムのハノイを訪問した。中央軍事委員会のNo.1は習近平、張又侠はNo.2だが制服組のトップであり、その地位は国防相より高い。
張又侠のベトナム側カウンターパートはファン・バン・ザン国防相である。もちろん彼とも会談したが、その他に10月24日にベトナムのトー・ラム共産党書記長、25日にルオン・クオン国家主席、26日にファン・ミン・チン首相と相次いで会談した。ベトナムは彼を国賓に準ずる形で迎えた。
汚職がはびこっていた人民解放軍、見て見ぬふりをしていた共産党
この張又侠の訪越は中国ウォッチャーの間で憶測を呼んだ。それは8月の北戴河会議以来、習近平と張又侠が対立しているとの噂があったからだ。なぜ彼は3日間も北京を留守にしてハノイを訪問したのであろうか。そしてなぜベトナムは国賓級として彼を迎えたのであろうか。この訪問は重要な意味を持っている。
中国の知人は筆者に、習近平と張又侠が対立していることは事実だが、それほど異常なこととは思わないと言っていた。中国では人民解放軍は国家から独立した存在と見た方がよく、水面下でしばしば共産党と対立しているからだ。
中国の「独裁体制」にいったい何が…「習近平の名前」が党中央政治局と人民解放軍の重要文書から消えた!
2024.11.06 石 平
中央軍事委員会公式文書から「放逐」された習近平
10月30日に公開した「習近平はもうおしまいなのか…中国人民解放軍で『静かなクーデター』!粛清に反抗してとうとう制服組トップが軍を掌握」では、中国人民解放軍が制服組筆頭の張又侠・中国共産党中央軍事委員会副主席を中心に習近平主席に対する「静かな政変」を起こして、それに成功している模様である、と伝えたが、実はこの記事掲載の当日に、「静かな政変」の成功を裏付ける決定的な証拠が、またもや公に出た。
10月30日、中国共産党中央軍事委員会弁公庁は「強軍文化繁栄発展のための実施綱領」という軍の正式文書を公布し、その概要が31日の「解放軍報」一面トップに掲載された。
解放軍機関紙一面トップに掲載されることからしても、これは軍事委員会の出す重要文書であるに違いないが、その内容を丹念に読んでいくと、そこにはやはり、大変重大な異変が起きていることが分かる。
五つの段落からなるこの「実施綱領」の概要では、「習近平思想」はもとより、「習近平」という名前すら、いっさい出ていない、という驚きの事態が発生しているのである。
習近平「ワンマン」独裁の下では、これまで、党・政府あるいは軍の公式文書に習近平の名前あるいは「習近平思想」が一度以上に出てくるのが完全なる鉄則であって、いわば絶対不可欠な決まり文句である。しかし今回、中央軍事委員会弁公庁文書において「習近平」が完全に無視されていることは、どう考えても意味重大である。
北戴河会議の前から準備は進んでいた
「強軍文化の繁栄発展」をテーマとするこの「実施綱領」の概要において、「強軍思想」という言葉も出ているが、実は、この「強軍思想」というものを打ち出したのはまさに習主席自身である。「強軍思想」とは要するに、「軍の建設」に関する習主席の一枚看板の思想理念である。だからこそ今まで、「強軍思想」は必ず「習近平」を冠にして「習近平強軍思想」が定番用語となっている。
しかし今回の中央軍事委員会公式文書は「習近平強軍思想」の「習近平」という冠を外して「強軍思想」としているが、それはわざとやったとしか思えず、まるで「習近平」に対する「斬首」を行ったかのような思い切った挙動である。
公式文書は「習近平排除」を行った上で、その代わりに「党の指導」を全面的に打ち出している。
「党の創新理論」「党の理論の指導下」、「党の指揮に従う」と「党」という主語を連発している。それは明らかに、解放軍としては「党の指導」に従うが、習近平の個人独裁はもう用がない、との断固として意思を示しているものだと理解できる。
そしてこのような軍の意思表明は、今年7月27日掲載と8月10日掲載の「解放軍報論評」の延長線にあることが分かる。7月27日掲載の「解放軍報論評」は「いま、個別なところでは党内政治生活が正常さを失い、個人は党組織の上に凌駕し、家長制的なやり方で、鶴の一声で物事を決めるようなことが起きている」と、独裁者の習近平主席を暗に批判している。
また8月10日掲載のそれは、「民主的な意思決定はすなわち党組織の集団的意思決定であって、個人的な独断による意思決定があってはならない」と露骨に習近平独裁を批判している。
つまり、例の「北戴河会議」の以前から、解放軍はすでに「習近平独裁排除」の世論的準備を進め、この上で「静かな政変」を行った。そして今、制服トップの張又侠・中央軍事委員会副主席が軍掌握に成功したところで、軍は思い切って公式文書という形での「習近平排除」に踏み切ったわけである。
共産党中央政治局でも
こうした軍の「習近平排除」と連動しているかのように、党の方でも「習近平独裁打破」だと思われる動きがあった。
10月28日、中国共産党中央政治局は習近平総書記の主宰下で会議を開き、「第三回中央巡回視察に関する総合報告」を審議した。
ここでの「中央巡回視察」とは、党中央から定期的に派遣される要因が各地方で巡回視察を行う制度であるが、毎回、視察が終わった後に、要員たちが「総合報告」をまとめて党中央に提出し、中央政治局がそれを審議するのは慣例となっている。
前述の政治局会議は、3回目の巡回視察総合報告に対する審議であったが、翌日の「人民日報」で掲載された会議の公式発表を読むと、そこにもやはり、前述の軍事委員会文書のそれとは同工異曲の異変が生じていることに気が付く。
その異変とはすなわち、今まで、政治局会議などの党の正式会議で必ず言及される「習近平思想」という言葉が、今回の会議発表から抜けていることである。
それと同時に、「習主席の指導的地位の確立と習近平思想の指導理念としての確立」を意味する「二つの確立」という言葉も姿を消している。それはまさしく、習近平個人独裁体制に大きな綻びが出ていることを示したものである。
その一方、この公式発表においては、個人独裁の否定を意味する「民主的集中制」という言葉も顔を出している。
このようにして、同じ時期に発表された、党中央政治局と中央軍事委員会の公式文書の両方ともが露骨な「習近平排除」を行ったことは大いに注目すべきであろう。もちろんそれは、「習近平失脚」に直結するほどのものではなく、習近平政権が引き続き存続することになるだろうが、問題の核心は、習近平政権の内実にすでに重大な変化が生じてきていることであり、一昨年の党大会で確立された習近平「ワンマン」独裁体制はいよいよ終焉を迎えようとしているわけである。
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中国・解放軍の幹部人事に不穏な動き…習近平の大粛清か、クーデター勃発か、台湾との戦争準備か、憶測飛び交う
2024.8.17(土)福島 香織
中国・人民解放軍の五大戦区のうち三戦区でトップ(司令)が交代していたことが明らかになった。
明らかに異常事態で、習近平国家主席による粛清か、クーデター勃発か、もしくは台湾との戦争準備かといった憶測が飛び交っている。
そもそも、こうしたデマや憶測が飛び交う背景には、習近平政権に対する高まる不満がある。やがてそれは言霊として現実のものになるのだろうか。
(福島 香織:ジャーナリスト)
三中全会で解放軍人事が注目されていたが、7月31日になって五大戦区のうち三戦区の司令が交代していたことが分かった。しかもその司令交代の理由があまりよくわかっていない。このことから、いろいろな憶測が広がっている。
昨年8月以降、解放軍の高級将校が相次いで失脚したり、失踪したり、自殺したりしていることはすでにこのコラム欄でも紹介している。その中には核ミサイルを主管するロケット軍司令の周亜寧、李玉超や元国防相の魏鳳和、李尚福も含まれていた。三中全会直前になって魏鳳和や李尚福は軍籍だけでなく党籍も剥奪されたことが発表された。
こうした状況から解放軍内がかなり不安定化していると想像されていた。ちなみに魏鳳和も李尚福も、解放軍制服組トップで中央軍事委員会副主席の張又侠上将の推薦で出世してきた人物だ。
そして張又侠は習近平の幼馴染、父親同士も仲が良かった親子二代にわたる深い絆で結ばれている、と言われてきた。それで三中全会では、魏鳳和や李尚福の失脚が張又侠の進退に影響するのか、解放軍人事に注目されていた。
そして三中全会後に分かったことは、突然南部戦区司令、北部戦区、中部戦区の司令が異動になっていたことだった。7月31日午後、中国広東省党委員会書記の黄坤明は解放軍南部戦区基地での建軍記念日(八一建軍節)座談会に参加したのだが、この時すでに南部戦区司令は王秀斌上将ではなくなっており、元中部戦区司令の呉亜男上将が司令に着任していた。
この時まで、この人事異動は報道されておらず、またこの司令交代の理由も不明なままだ。
五大戦区のうち三戦区でトップ交代の異常事態
呉亜男はもともと北部戦区副司令兼陸軍司令だったのが2020年に中央軍事委員会聯合参謀部副参謀長に出世し、2022年1月に上将に昇進。解放軍中部戦区司令となっていた。この時第20期中央委員にも昇進している。
ただ中部戦区司令の職務はわずか1年だけで、すぐに中央軍事委員会の機構に出戻っていたところ、突然南部戦区司令の人事が判明した格好になった。そしてもともとの南部戦区司令だった王秀斌がどこに異動になったのかはまったく情報がない。王秀斌も呉亜男と同じく、第20期中央委員。年齢は60歳、呉亜男より2歳若く、この人事異動は王秀斌の退職年齢などではない。王秀斌は習近平の腹心の1人として知られている。
もう1つの注目人事は元中部戦区司令で第20期中央委員の黄銘が北部戦区司令に着任したことだ。そして一部報道では元北部戦区司令で、第20期中央委員の王強が中部戦区司令に着任する、と思われていたのだが、そうとは発表されていない。
つまり王強の消息も不明なのだ。五大戦区の司令の2人の消息が不明で、なおかつ同時に三大戦区の司令が異動することは、かなり異常事態だ。人事異動のあった北部、中部、南部はそれぞれ、ロシア・北朝鮮・日本方面防衛、首都防衛、南シナ海シーレーン防衛の任務を負う。
それでカナダ在住の華人ユーチューバーの文昭などは、まるで1973年の毛沢東時代の八大軍区司令の大異動人事を思いさせる、と指摘していた。文革後期の1971年、林彪によるクーデター未遂・林彪事件の後の1973年、毛沢東は、再び地方軍閥の割拠が起きないように、十一の大軍区制度を八大軍区に整理し、司令の総入れ替えを行ったのだ。
毛沢東は軍に対して警戒していたため、人事異動をやりまくり、軍をあえて弱体化させたのだった。
習近平は解放軍の造反を恐れていた?
実は、三中全会後、一部海外チャイナウォッチャー界隈で張又侠による軍事クーデターが起き、習近平が実権を失った、という「噂」が一時広がったことがあった。三中全会で習近平が脳卒中で倒れたという「噂」はまもなくデマとして打ち消されたが、その後、習近平に関する人民日報の宣伝報道が極端に減り、そのことから習近平の権威が危機に直面している、あるいは政変が起きて習近平の権力はすでに失われている、といった言説があちこちで飛び交った。
いわく、張又侠と王小洪が協力して習近平に権力移譲を迫った、とか。張又侠によるクーデターで習近平は権力を失い、張又侠が軍事委員会主席を継ぎ、丁薛祥が総書記と国家主席を継ぐことになった、とか。
ほとんどの大手メディア、プロジャーナリストたちは、もちろんこうした「政変の噂」はデマとして取り合っていない。だが、解放軍の異様な人事異動などをみるに、習近平が軍人による造反を非常に恐れている、という想像は比較的一致した見方だった。
司令の人事を頻繁にすることで、軍内の人間関係を希薄にでき、団結して習近平に歯向かおうとする可能性をそれだけ減らせる、というわけだ。なので、現在、「失踪状態」の王秀斌と王強は、粛清されたか、あるいはなにがしかの「不忠誠」を疑われて取り調べを受けている可能性はある。
ただ、こうした可能性のほか、もう1つ、少し怖い可能性に言及しておく必要がある。
王秀斌は上記で名前が出た司令の中で一番の若手で、習近平のお気に入り。王強は元戦闘機乗りで、空軍出身の司令としては習近平政権になってから2人目の出世株だ。
彼らが習近平から嫌われて失脚するとしたら、本当にもう軍と習近平の関係が修復不能まで悪化したということではないか。だが、そうではなく、お気に入りの上将に何か隠密の特別任務が与えられたのではないか、という考え方もあるのだ。つまり台湾海峡や南シナ海有事に向けた作戦担当者としての特別任務に従事しているのではないか、ということだ。
対外軍事行動をにおわせ不満の矛先を国外に?
三中全会の決定をみると、そこには多くの官僚たちが期待していた具体的経済政策はまったくなく、政治的スローガンとしての「中国式現代化」が繰り返されているだけという内容の浅いものだった。そこで党内の経済重視派たちは習近平に対して不満をくすぶらせている。
多くの官僚たちは習近平に面と向かって歯向かうほどの勇気も実力も持ち合わせていないが、習近平が彼らから受ける無言の圧力は相当大きいはずだ。
こうした圧力をうけた習近平がとった行動として、2つの方向性が想像されている。
1つは、急に習近平個人独裁色を薄めて集団指導体制への回帰を推し進めようとしているという見方だ。三中全会の決定で習近平の固有名詞が妙に少ないということが注目されていたが、それは経済低迷など今の中国が直面する諸問題の責任は習近平個人が負うものではなく、党中央としての責任である、ということを言いたいがためだ、という。
その考えの延長で、三中全会以降の官製メディア報道に習近平のプロパガンダ報道が極端に減った、というわけだ。
もう1つが、対外軍事行動をにおわせることで、党員、官僚、人民の意識を国内の不満から対外問題に誘導するということだ。
今年は実務的台湾独立派と自称する頼清徳政権が始まり、台湾の国家性を主張したその就任演説に対して習近平としては「懲罰」を掲げて台湾に対する軍事圧力をかけていく方針を隠していない。さらに言えば今年秋の米国大統領選ではトランプが勝利する可能性もあり、それは中国外交にとって最大の不確定要素の1つとなる。
ロシア・ウクライナ戦争の行方、ハマスの政治リーダー・ハニヤの暗殺によってイスラエルとイランの戦争の可能性はこれまでになく高まっている。習近平が声高に宣伝した「平和の使者」外交は事実上挫折しているので、平和主義路線は説得力を失っているのだ。
バングラデシュで起きた学生運動によって長期独裁政権のハシナ政権があっけなく転覆したのは、軍部がハシナ政権ではなく国民サイドに着いたためだ。これは解放軍の掌握に不安を感じている習近平からすればかなりショッキングな事件であったろう。
解放軍と習近平が対立することを避けるためには、中国国内の安定は不可欠だ。経済成長への期待値で人民をなだめる方法がすでにとれない中国で、国内の安定を維持する方法の1つは、国内にくすぶる不満を国外に向け、解放軍に対しては、国家安全を守るために外敵と戦うという本来の任務を負わせることだろう。
習近平にまつわるデマが多発する背景
三中全会で経済低迷から脱却する処方箋が示せず、この数年続く大洪水被害など天災に対し適切な予防や救済策が行われずに被害を拡大させたことについて、誰が責任を負うのか。この問題は、この三中全会の開催が半年以上も遅れた1つの背景だったと言われている。
今の地方官僚たちは、責任を取らされるのを恐れて、習近平の指示がないことには一切動かない「躺平主義」を取りがちだ。これに習近平がガチギレして、昨年の北戴河会議では「それなら俺も何もしない」とふてくされたこともあった、とか。
今年の北戴河会議は8月3日からスタートしているが、自分に責任を押し付けようとする官僚たちに腹をたてて、習近平が完全休養を決め込んでいるから、公式報道に習近平の露出が減っている、という説もある。習近平は自分個人の責任を回避するために、習近平個人独裁から集団指導体制へ回帰しようという動きがある、という説もある。
いずれにしろ、習近平が脳卒中で倒れた、失脚した、クーデターが起きたというデマがこれほど断続に続くのは、この10年余りの共産党政治が何もかもうまくいっていない、ということがある。そして多くの党員、官僚、専門家、人民たち、そして国際社会もが、いっそ習近平に何ごとか起きて、中国のこの10年の変化を一気にリセットできたらいいのに、と思っているからこそ、デマだとわかっていても、クーデター説や卒中説の話題をみな口にするのではないだろうか。
日本的な考えでは、言葉には言霊というものがあり、噂を語っているうちに現実になると思う人たちがいる。今回の解放軍人事については、戦争準備などではなくて、習近平の自滅的な大粛清であってほしいものである。
福島 香織(ふくしま・かおり):ジャーナリスト
大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002~08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。主な著書に『なぜ中国は台湾を併合できないのか』(PHP研究所、2023)、『習近平「独裁新時代」崩壊のカウントダウン』(かや書房、2023)など。
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