政治講座ⅴ1376「習近平による粛清が継続している」
駐日大使のエマニュエル氏は、公の場に姿を見せない中国の秦剛前外相や李尚福国防相に関し「習近平政権の閣僚らはアガサ・クリスティの小説『そして誰もいなくなった』の登場人物のようになっている」と書き込んだ。
そして、その後に「自宅軟禁のせいだろうか? シェークスピアが『ハムレット』で書いたように『何かが怪しい』」と投稿した。
ハッキリ言って粛清であろう。反腐敗を理由とする自分の地位を危うくする人物と判断して、粛清したのであろう。今回は歴史における粛清と中国で起きている粛清の報道記事を紹介する。
皇紀2683年9月21日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
粛清についての解説
狭義の「粛清」は、独裁国家や社会主義国家などにおいて多くみられ、その場合には物理的暴力や殺戮を伴うことが多い。例として、政治犯の死刑執行や追放をはじめとして、刺客による暗殺、強制収容所への送致などが挙げられる。
広義の「粛清」は、組織の人事の名のもとにきわめて恣意的ではあるが合法的な範囲で行われるものも指す。生命や財産の自由にこそ及ばないが、社会的地位の剥奪、いじめ、ハラスメント、吊し上げなどの一部も、これに含むことができる。これらは古今東西、いかなる組織においても起こり得るものであるが、国家や企業、圧力団体などにおいては、特に「粛清人事」と呼ばれる。一般には、組織のトップによる有力幹部および前のトップとそれに連なる者の解雇、追放、契約解除、左遷などが該当する。これもトップ交代に前後して行われやすい。
粛清は、革命や反革命、クーデター、弾圧の一場面として行われる事も多い。共産主義・独裁国家・新たな王朝の建国(日本では新たな幕府が設立された時や新たな征夷大将軍が就任した時)においては、体制を保つために必ずと言って良いほど発生する。特に、新たな独裁政権が誕生した時は、謀反を起こしやすい人物、将来自身またはその後継者を脅かしそうな存在(将来は自分または後継者を抹殺するような人物)に対して行われる。 ベニート・ムッソリーニは独裁者の中では同胞の殺戮を伴う粛清には消極的な方だった。
粛清の本来の意味は「組織的な点検による共産党員としてふさわしくない者の党からの追放」である。
1933年1月、ソビエト連邦において全連邦共産党(ボリシェヴィキ)が決定した総粛清(全党チーストカ)は、のちに続く「大テロル」と無関係とはいえないものの、党員の資格審査活動であり、末端党組織による党員記帳の乱雑さをただそうとする性質のものであった。
2013年に朝鮮民主主義人民共和国で発生した金正恩による張成沢派粛清(およびそれに関連した族滅を含む大量殺戮)の際、朝鮮中央通信は「張成沢を取り除き、その一党を粛清することによって、党内に新しく芽生える危険極まりない分派的行動に決定的な打撃を加えた」と報道し、金正恩政権が公式に「粛清」の語を使用した。これはテロル的な意味での狭義の「粛清」の一例と言える。
北朝鮮における粛清
【中国ウオッチ】元閣僚級らがまたも急死 習政権3期目も反腐敗厳しく
2023年04月28日13時00分
中国で元閣僚級高官と次官級の現職幹部が同じ日に急死した。いずれも「不幸な他界」とされているが、実際には汚職捜査の対象になったことを苦にして自殺したとみられる。
習近平国家主席(共産党総書記)が続投を目指していた昨年春から夏にかけて高官の自殺が相次いだが、習政権が3期目に入ってからも「反腐敗闘争」を口実とする党内の粛清は続いているようだ。(時事通信解説委員 西村哲也)
後任の李強首相と明暗
上海市に隣接し、南京市を省都とする江蘇省は、域内総生産(GDP)が広東省に次ぐ全国2位で、これまで多くの中央指導者を輩出してきた。そのトップである省党委員会書記(閣僚級)を2010~16年に務めた羅志軍氏が4月1日、病気のため「不幸にも他界した」という訃報が翌2日に伝えられた。
また、西南地方に位置する重慶市両江新区党工作委の張鴻星書記(次官級)も1日、「不幸にも他界した」ことが2日公表された。
訃報に「死去」でなく、「不幸な他界」を使うのは自殺で、反腐敗を主導する党規律検査委の標的になったことを察知して自ら命を絶ったケースが多い。
羅氏は江蘇省党委書記として李強氏(現首相)の前任者だったが、それ以上出世できずに第一線を退いて最後は自殺。李氏は習主席の側近として政権ナンバー2に昇進と極端に明暗が分かれた。
羅氏は、胡錦濤前国家主席や李克強前首相、李源潮元国家副主席と同じく共産主義青年団(共青団)の元幹部。江蘇省党委書記だった李源潮氏の部下として重用されたが、習政権になると、共青団派は徐々に衰え、羅氏は同省を離れた後、全国人民代表大会(全人代=国会)や人民政治協商会議(政協)の名誉職を歴任した。李源潮氏は失脚説が何度も流れ、17年に早期引退。19年には羅氏の元秘書が服毒自殺していた。
羅氏については、反腐敗闘争で打倒された江沢民元国家主席派の大幹部、周永康氏(元党中央政法委書記)や薄熙来氏(元重慶市党委書記)の権力奪取計画に関わっていたとのうわさもあった。共青団派にせよ、周元書記らのグループにせよ、習氏の政敵であることに変わりはない。
一方、習氏がかつて勤務した浙江省の人脈に連なる李強氏は、江蘇省から上海市党委書記(党政治局員)に転じて、中央指導部入り。同市で習路線のゼロコロナ政策を断行した「功績」により、昨秋の第20回党大会と今春の全人代で党政治局常務委員・首相に大抜てきされた。
執念深く非主流派排除
重慶市の張氏は、昨年まで副省長(副知事に相当)などの要職を歴任した江西省での反腐敗に引っかかったようだ。張氏は江西省時代に撫州市党委書記を務めたが、その前任だった肖毅氏は21年、反腐敗で失脚。一部の中国メディアから、元江西省党委書記、政協副主席で江派の有力幹部だった蘇栄氏(14年失脚)との関係を指摘された。同省では近年、その他にも多くの高官が同様に粛清されている。
蘇氏の問題から芋づる式に肖氏、張氏らを摘発したとすると、9年にわたって江西省の江派人脈を調べていることになる。
改革・開放の最先進地区として知られる深圳市(広東省)でも、4月7日に元局長級幹部が「転落死」した。地元メディアによると、死亡したのは同市政府の副秘書長だった盛斌氏。20日になって、ようやく訃報が伝えられた。盛氏は14年に早期引退していた。
盛氏の上司だった陳応春氏(元深圳市副市長)も16年に転落死している。陳氏は、江元主席の腹心で同市トップ(市党委書記)だった黄麗満氏に近かった。黄氏も一時、失脚説が流れたが、江氏がかばったのか、結局、無傷だった。
なお、盛氏が転落死したマンションは、日本企業駐在員など外国人居住者が多い深圳市南山区に位置する。1戸当たりの価格は日本円で3億~6億円である。
これらの事例から、権力独占を追求する習派がいかに執念深く非主流派を排除しているのかが分かる。習氏は総書記・国家主席として異例の3期目入りを果たしたが、4期目もしくは終身制を実現するため、反腐敗闘争による党内の粛清を継続していくとみられる。
(2023年4月28日掲載)
中国国防相、解任説強まる 装備調達巡り調査か、異例人事相次ぐ
2023年09月19日07時05分
【北京時事】中国で李尚福国務委員兼国防相の動静が途絶えて19日で3週間。中国政府は公式の説明を避けているが、装備品の調達を巡る不正で調査を受け、国防相の職を解かれたという見方が強まっている。中国では7月、1カ月間の動静不明の末に秦剛外相が解任された。汚職疑惑が報じられたロケット軍でも司令官らが突然交代しており、習近平政権で異例の人事が続いている。
李氏は8月29日、北京で開かれた中国・アフリカ平和安全フォーラムで演説したのを最後に公式の動静が途絶えている。ロイター通信によれば、9月7、8日にはベトナム当局との会合を予定していたが、「健康状態」を理由に出席を見送った。15日に北京で開かれた軍の学習会にも姿を見せていない。
李氏の「失踪」は、軍事装備品の調達と関連しているという見方が浮上している。軍の最高指導機関である中央軍事委員会の装備発展部は7月末、2017年10月以降の入札の規律違反に関し、情報提供を求める公告を出した。李氏は同年9月に装備発展部長に就任しており、何らかの調査を受けている可能性がある。
英紙フィナンシャル・タイムズは、李氏が国防相を解任されたと米政府が結論付けたと報道。ロイターは李氏への調査が、8月にロシアとベラルーシの訪問から帰国した直後に始まったと報じている。李氏のほか、装備発展部の幹部8人が対象となっているとも伝えた。
エマニュエル駐日米大使は今月15日、李氏がシンガポール海軍総司令官との会談も欠席したと指摘し、「自宅軟禁状態に置かれているのだろうか」とX(旧ツイッター)に投稿した。中国外務省の毛寧副報道局長はこの日の記者会見で、「状況を把握していない」と明確な回答を避けた。18日時点で、国防省のホームページには李氏の名前が記載されている。
【中国ウオッチ】中国軍で大粛清か─習主席の行動にも異変
2023年09月11日14時00分
中国軍で大規模な粛清が進行しているようだ。核ミサイルなどを保有するロケット軍の司令官らが解任されたほか、消息不明や自殺とみられる不審死のケースが続出。不穏な政治情勢の下で習近平国家主席(中央軍事委員会主席)の行動にも異変が見られる。(時事通信解説委員・西村哲也)
異例の同時更迭と不審死
「事件はすべて調べ、腐敗はすべて罰する」。
ロイター通信などによると、中国国防省報道官は8月31日の記者会見で、ロケット軍司令官と政治委員が更迭され、魏鳳和前国防相(初代ロケット軍司令官)の動静が全く分からないことについて問われ、こう答えた。「反腐敗」絡みであることを事実上認めた形だ。
中国軍では7月31日、ロケット軍の李玉超司令官と徐忠波政治委員が解任されたことが公式報道で判明した。
焦点:中国・習氏の統治、透明性さらに低下 国防相が動静不明
Greg Torode
[北京 17日 ロイター] - 中国政府上層部の解任や交代が相次ぐ中、李尚福国防相の動静が不明になっている問題は習近平国家主席の統治に対する各国外交官やアナリストの不安を高めている。
9月17日、中国政府上層部の解任や交代が相次ぐ中、李尚福国防相の動静が不明になっている問題は習近平国家主席の統治に対する各国外交官やアナリストの不安を高めている。南ア・ヨハネスブルクで8月23日、代表撮影(2023年 ロイター)
ロイターは15日、8月下旬から動静不明となっている李氏が軍事装備品の調達に絡んで調査を受けていると報じた。
7月には就任からさほど経っていない秦剛外相(当時)がほとんど何の説明もなく解任されたほか、核兵器を運用する「ロケット軍」の司令官らが突然交代した。
習主席は内向きの姿勢を強めており、今月インドで開催された20カ国・地域首脳会議(G20サミット)を中国指導者になって以来初めて欠席した。
一部の外交官やアナリストは習近平体制の本質を見極めようとしている。
元米国防総省幹部で、シンガポール国立大学の研究員を務めるドリュー・トンプソン氏は「はっきりとした評価が必要だ。単にパートナーか競争相手かという問題ではなく、中国は経済的、政治的、軍事的リスクの源になっている」と指摘。透明性が欠如しているため、「中国を巡る信頼の危機に拍車をかけている」と話す。
中国外務省の報道官は15日、記者団に対し、李国防相の動静不明と調査について状況を把握していないと述べた。
中国の軍部や政府機関は汚職が根深い。習氏の反腐敗弾圧は、共産党全体の政治的粛清を意味すると考えるアナリストや外交官もいる。
メルカトル中国研究所(ベルリン)の主席アナリスト、ヘレナ・レガルダ氏は「どんな理由であれ、このようなことが起こり続けると感じられれば外国人が中国当局者と関わる際の信頼に影響を与える可能性がある」と話す。
<内向き志向反映か>
李氏の問題は習氏が取り立てたエリート層に及んでいることとそのスピードの点で異例だ。
シンガポールを拠点とする安全保障アナリストで、シンクタンク「パシフィック・フォーラム」(ハワイ)の非常勤フェロー、アレクサンダー・ニール氏は「習氏の世界では近しいことが保護を受けられることとイコールではないと分かる」と語る。
あるアジアの外交官は「(李氏の問題が)習氏の内向き志向の強まりを反映しているのであれば中国軍とのよりオープンな意思疎通の拡大を望んでいるわれわれにとって良いことではない」と話す。
米政権、駐日大使に投稿自粛要請 中国に皮肉繰り返す
共同通信社 によるストーリー •
【ワシントン共同】米NBCテレビは20日、中国の閣僚が相次いで動静不明になったことについてX(旧ツイッター)に皮肉を込めた投稿を繰り返したエマニュエル駐日米大使に対し、バイデン大統領の側近らが投稿を自粛するよう求めたと報じた。「政権の米中関係修復に向けた努力を損なう」と伝えたという。
エマニュエル氏は8日、公の場に姿を見せない中国の秦剛前外相や李尚福国防相に関し「習近平政権の閣僚らはアガサ・クリスティの小説『そして誰もいなくなった』の登場人物のようになっている」と書き込んだ。15日には「自宅軟禁のせいだろうか? シェークスピアが『ハムレット』で書いたように『何かが怪しい』」と投稿した。
NBCによると、中国側はこうした投稿に激怒しているという。米中が模索する11月の首脳会談実現に影響する可能性もあり、国家安全保障会議(NSC)の高官がエマニュエル氏のスタッフに懸念を伝達した。
エマニュエル氏の報道担当者は、NBCの報道について「全く事実ではない」と否定した。
中国共産党の大粛清の歴史が始まった地を訪ねてみると…
2017/11/3 17:00
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1921年の結党から96年、共産党の歴史は壮絶な権力闘争と粛清の連続だったと言っていい。その出発点になったという中国南方の村を訪ねた。
北京から飛行機で約3時間、江西省南部の小さな空港に降り立ったのは10月下旬である。午後7時すぎ、こぢんまりとした到着ロビーに出ると、警官の一群がものものしく警戒に当たっていた。当時、北京ではまだ党大会を開催していたとはいえ、こんな田舎にも厳戒態勢がしかれているとは想定していなかった。嫌な予感がした。この日は市内のホテルに投宿する予定にしていたが、こんな状況だと、翌朝、警察のみなさんがフロントで待ち受けている可能性が大である。ホテルにチェックインする際、身分証明書を提示しなければならず、居留許可証には「記者」と明記されてあるため、ホテル側から当局に間違いなく連絡が行く。運が悪いと、その日の夜遅く、警官が部屋に押しかけてくることもある。
「何しに来たんだ」。取材理由を問いただすのが彼らの仕事である。もちろん取材当日もずっと尾行され、取材相手に迷惑が掛かることもある。
そこで一計を案じた。投宿したホテルのフロントで「井岡(せいこう)山」への行き方を聞いた上で、朝9時ぐらいにチェックアウトすると告げておいた。
井岡山とは、建国の父、毛沢東(1893〜1976年)が一時期、拠点を置いたところで「中国革命」の重要な史跡である。
翌朝、ホテルを出たのはまだ薄暗い6時。フロントの女性は寝ぼけ眼で、ロビーには誰もいなかった。チャーターした車で向かった先は井岡山とは反対方向。目指すは富田村である。
中国共産党は1921年に上海で設立された後、27年に江西省南昌などで武装蜂起をしたが失敗。指導者の一人だった毛沢東は部隊を率いて江西省と湖南省にまたがる井岡山に入り、最初の根拠地とした。
その後、地元出身の幹部と対立した毛は30年、江西省党委員会が置かれていた富田村に部下を派遣し、反対派120人を逮捕、24人を処刑した。党内のAB団摘発がその理由とされた。AB団とは、蒋介石率いる中国国民党が組織した反共グループのことだ。
当時、共産党中央でもソ連留学組のソ連派と、地方の有力幹部らが対立。ソ連派が毛に加勢する形で、富田村でさらに4000人以上が逮捕・処刑されたともいわれている。その後も、共産党はAB団摘発を大義名分に各地で粛清を継続。7万人以上の犠牲者を出したとの説もある。
共産党の長い権力闘争史の中で、最初の大規模粛清が行われた地が富田村だった。ソ連の独裁者スターリン(1878〜1953年)が大粛清に乗り出した34年よりも早かった。
□ □
江西省出身のドライバーも富田村を知らなかった。独自の習俗をもつ客家(ハッカ)が暮らしているという山間部を抜けて、富田村に到着したのは3時間後、午前9時を回っていた。驚いたことに、村全体が遺跡のようだった。商店がほとんどなく、昔ながらの土塀と石垣が連なり、古びた家屋がひしめき合っていた。87年前の事件当時と村の風景はさほど変わっていないのではないか、と思わせるほどである。村の広場の正面に大きな屋敷があった。ここに事件当時、党委員会が置かれていたという。訪れたときはちょうど、修復工事が行われていた。かなり老朽化が進んでいるようだ。隣の建物で案内板を見付けた。『富田革命歴史展示』とあった。「粛清も革命の一つなのか」。展示内容にひかれたが、展示室はカギが掛かっていて入れなかった。案内板は外国語でも表記されていた。不思議なことに英語のほかハングルでも記されていた。
こんな所にも韓国人の観光客が来るのだろうか。いや、北朝鮮の朝鮮労働党関係者が粛清の歴史を学びに来るのではないか-。村の人に聞いてみようと思って見回すと、よれよれの背広を来た中年の男性がすぐ近くでたばこを吸いながら立っていた。「韓国人? 来ませんよ」「ハングルで書かれている理由? 知りません」仕方なく、工事中の作業員に無理を言って屋敷の中に入れてもらった。写真を撮ってから広場に戻ると、先ほどの男性がまだ立っていた。もしかしたら、と思い、87年前の粛清について聞いてみた。「詳しく知りません。昔のことですから」大きな墓地があるはずです。どこですか?「ありません」
話をしている間、通りかかった村人たちがこの男性に頭を下げたり、親しげに話しかけたりしていた。村人に聞いてみると、村のトップである共産党委員会書記だった。王善梅さん、54歳である。彼は書記になって6年たつが、案内板が作られた経緯は知らないらしい。 昔の粛清についていろいろと質問してみた。
しかし、王書記の答えは「知らない」ばかり。何か奥歯にものがはさまったような受け答えである。
途方に暮れて、「毛沢東の史跡はありませんか。住んでいた家とか…」と聞いてみた。すると、王書記の答えが変わった。「…ありますよ。少し離れていますが」他に取材先があるわけでもない。案内してもらうことにした。
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迷路のような、細い石垣の路地を通り抜けると、鶏たちがばたばたと走り回る農家の軒先に出た。その隣に、雑草に囲まれたレンガ造りの建物があった。これが、1930年の一時期、毛沢東が過ごした旧居だという。
王書記が言うほど、広場からは離れていなかった。歩いて5分ほどである。しかし途中に案内板や標識があるわけではなく、ひとりで探し出すのは無理だろう。
この旧居もカギが掛かっていて中に入れなかった。正面入り口には『破旧立新』の文字が掲げられていた。
別の建物の正面には『滅資興無』とあった。「ブルジョア階級思想を滅ぼし、プロレタリアート階級思想を興す」という意味らしい。王書記によると、当時のままだという。毛沢東の旧居の壁にも赤い文字が並んでいた。消えかかった字もあるが、何とか判読できる。「白軍兄弟よ、山東省や河南省で苦戦したのに、なぜ、またやってきて紅軍を攻撃するのか」白軍とは当時、共産党が戦っていた中国国民党軍のことだ。何やら一気に80年以上前にタイムトリップしたようで不気味な感じがした。それにしても、今の中国では毛沢東の史跡であれば無条件に観光名所となるはずである。だが、目の前の旧居は、まるで人目を避けるようにたたずんでいる。一体どういうことなのか。
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実は、毛沢東による富田村での摘発を含め、AB団事件のほとんどがでっち上げだったのである。
中央党史研究室が編纂(へんさん)した『中国共産党歴史』にも、AB団との闘争は「ひどい臆測と拷問で得られた自供により、多くの冤罪(えんざい)、でっち上げが生み出された。その教訓は非常に深刻なものである」と記述されているのだ。「今、この村を訪れる観光客は多くない」と語る王書記。理由について聞くと、「富田村は(約200キロ離れた)瑞金とは違って観光の主要ルートではない」と答えた。
主要ルートではない理由こそ、「毛沢東が過ちを犯した村」だからではないのか。
広場に戻ってから、王書記に礼を言って別れた。車に乗り込もうとしたが、街の写真をもっと撮っておこうと思い、再び村の路地の中に足を踏み入れた。写真を撮り終えて車に戻ろうとすると、さっき別れたはずの王書記が近くでたばこを吸っていた。「あっ、そうだったのか」。そのときになってようやく気が付いた。王書記は、村にやってきた外国人である私の行動を監視していたのだ。
警察が来ると面倒だ。あわてて車を出した。
× ×
毛沢東は富田村での大規模粛清をへて翌31年、瑞金に樹立された中華ソビエト共和国臨時政府の主席の座に就いた。それは毛自身の長い権力闘争史の始まりに過ぎなかった。
以後、中国共産党は指導者・幹部たちの失脚、粛清を繰り返しながら、今日に至るのである。富田村のように触れられたくない歴史も数多い。(中国総局長)
参考文献・参考資料
【中国ウオッチ】元閣僚級らがまたも急死 習政権3期目も反腐敗厳しく:時事ドットコム (jiji.com)
中国国防相、解任説強まる 装備調達巡り調査か、異例人事相次ぐ:時事ドットコム (jiji.com)
米政権、駐日大使に投稿自粛要請 中国に皮肉繰り返す (msn.com)
【中国ウオッチ】中国軍で大粛清か─習主席の行動にも異変:時事ドットコム (jiji.com)
【藤本欣也の中国探訪】中国共産党の大粛清の歴史が始まった地を訪ねてみると…(1/7ページ) - 産経ニュース (sankei.com)
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