政治講座ⅴ1824「反日種族主義の輩」
吾輩は散々韓国に対して悪たれを付いてきたがその根拠となる書籍が次の2冊である。
李栄薫編 『反日種族主義』文藝春秋 と
金完燮著 荒木和博+荒木信子訳『親日派のための弁明』 草思社 の購読をお勧めする。
率直な朝鮮の歴史を俯瞰すると庶民の暮らしは大変過酷であった。李氏朝鮮時代の両班制度における身分制度は資料を見る限り過酷であったようである。であるから日本統治を経験した95歳の発言は実感のある経験に基づくものである。朝鮮人であることより日本人であることが朝鮮人の希望であった。属国として苦汁を嘗めた経験から破竹の勢いで清国を負かし、露西亜を負かした日本に誇りを感じ、李氏朝鮮時代と比較すると落差を感じたことは否めない。
韓国がなぜこんな国になったのかは李承晩大統領から続く極度の民族主義に煽られて歴史を直視することなく、李完用を売国奴と決めつけ、間違えた歴史教育で反日政策を推し進めたことである。韓国の国家再建に必要な人材を反民族行為者として粛清し、漢字教育を廃止して、過去の歴史から国民を遠ざけた「焚書坑儒」政策であった。戦前の歴史書などの文献を読めないような教育(捏造歴史)をした。韓国がそのような教育を受けた人材がほとんどとなった。もう、修正できないほどの「嘘」の国家が出来上がった。
今回はそのような書籍と報道記事を紹介する。
皇紀2684年6月21日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
韓国も日本も真実に基づかない運動に騙されてきた――韓国の歴史学者が実証研究で明らかにした「慰安婦問題」の真実
朱 益鍾 によるストーリー
「日本軍慰安婦問題」は、長年、日韓の間で大きな問題とされてきた。この問題をめぐって、しばしば激しい反日運動が起きたことも記憶に新しい。しかし、韓国の歴史学者、知識人の間で、植民地時代の朝鮮について、実証的な研究を行い、それまでの反日的な歴史観は間違いだったことを論証する人々が現れた。
それが一冊にまとまったのが李栄薫編『反日種族主義』である。そのメンバーの一人である著者の朱益鍾氏は、反日運動の核のひとつであった慰安婦問題を取り上げ、膨大な資料に基づき、「慰安婦問題」の事実を明らかにした。その最終結論ともいえる『 反日種族主義「慰安婦問題」最終結論 』(文藝春秋)より、プロローグを一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/ 2回目 に続く)
©AFLO© 文春オンライン
「反日集会」の参加者が激減
二〇一九年の光復節【編集部注:8月15日。1945年のその日、日本の統治から脱した、として韓国では祝日に定められている】前日である八月一四日水曜日、ソウル市の温度計は摂氏三五度まで上がっていた。その日の正午、ソウル市鍾路(チョンノ)区にある日本大使館の前で開かれた第一四〇〇回水曜集会【編集部注:慰安婦問題に対する日本政府の公式謝罪及び金銭的・法的賠償を要求して開かれている集会。1992年1月8日から毎週水曜、日本大使館前で行われている】の現場はさらに暑かった。
二万人を超える参加者たち(集会主催側の推計)が四車線の道路を埋め尽くし、「日本政府は、日本軍慰安婦が国家の政策として行われた戦争犯罪であることを認めろ」「日本政府は被害者たちに謝罪しろ」と熱っぽくスローガンを叫んだ。その一カ月余り前から、いわゆる徴用賠償判決をめぐる日韓の衝突が起きていた。大統領民情首席秘書官職から退いたばかりの曺国(チョグク)法務部長官候補は、日本に対抗し竹槍を持てと煽動し、「行きません、買いません」という日本への旅行の忌避や日本商品の不買運動が広がり、商店の棚から日本のビールが姿を消すなどの、まさに反日の暴風が韓国中に吹き荒れていた。
それから三年七カ月経った二〇二三年三月一五日の水曜集会には、二〇人余りの参加者が本来の集会場所から離れた所に集まった。一方、彼らを批判する反日銅像撤廃及び慰安婦法廃止を目指す運動家たちの集会には、それより遥かに多い九〇人余りが集まった。反水曜集会が水曜集会を圧倒したのである。その間、いったい何が起きていたのか。
実証研究がベストセラーに
二〇一九年夏、韓国の幾人かの知識人たちが『反日種族主義』という本を出し反日の暴風に立ち向かった。編著者の李栄薫(イヨンフン)教授は生涯をかけた経済史研究を通し、朝鮮後期の資本主義萌芽論や日本による植民地収奪論などの韓国史学界の虚構の歴史認識を打ち壊した。さらに朝鮮王朝がなぜ衰亡したのか、植民地化とともにどのように近代文明が導入されたのか、独立後の大韓民国の驚くべき発展がなぜ成し遂げられたのか等を徹底して事実に基づき究明した。彼は後に続く学者たちとともに、当代の韓国人たちの間に広がっていた反日種族主義を打破しようとした。
筆者も執筆に加わったその本は、韓国人が植民地時代に対して持っている歴史認識というものは作り出された話、すなわち虚構(フィクション)であることを痛烈な筆致で暴露した。今日多くの韓国人たちは、帝国主義下にあった日本が、旧韓末【編集部注:大韓帝国末期】の混乱期に朝鮮の領土だった竹島(韓国名は独島(トクト))を奪い取り、土地調査事業の過程で朝鮮人を虐殺し、土地を奪い、米を収奪し、朝鮮人数百万人を労働力として強制動員し、かつてアフリカで行われた奴隷狩りさながらに朝鮮の少女たちを銃剣で脅して連行し、日本軍の性奴隷にしたと信じている。この本は、このような韓国人の近現代史認識は根拠のない作り話であり、この嘘の話を鵜呑みにしている韓国人たちが日韓関係、更には米韓関係を破綻させているのが現在の大韓民国の危機の根源であると喝破した。
この本に対し、反日種族主義に染まった学界と言論界に従事する者たちが悪意に満ちたとげとげしい非難を浴びせかけてきたが、一方で本に共感する人々も多かった。この本は学術教養書としては異例の一一万部以上の超ベストセラーとなった。
慰安婦運動内部で次々不正が発覚
二〇二〇年五月には、慰安婦運動を牛耳(ぎゅうじ)ってきた正義記憶連帯(以下「正義連」とする)の前理事長・尹美香(ユンミヒャン)による後援金横領疑惑が暴露された。驚くべきことに暴露したのは、尹美香と手を結び慰安婦運動の顔ともなっていた元慰安婦の李容洙(イヨンス)だった。彼女は、尹美香が元慰安婦たちを利用して集めた国民からの寄付金を私的に流用し、更には私欲にかられて国会議員にまでなったと批判した。このことはすぐにソウル市と政府から支援金を貰っている慰安婦運動組織・正義連と、その前身である韓国挺身隊問題対策協議会(以下「挺対協」とする)の会計不正及び寄付金橫領疑惑へと広がった。
警察による捜査が進んでいた六月、この横領疑惑の内幕を知る麻浦(マポ)区にある慰安婦センター「平和のわが家」の管理所長が謎の自殺を遂げた。文在寅(ムンジェイン)政府の検察はその年の九月、尹美香を業務上横領、詐欺などの疑いで起訴した。しかし、文在寅が任命した金命洙(キムミョンス)大法院長【編集部注:日本でいえば最高裁判所長官】のもとにある地裁は二年半にもわたるモタモタ裁判の末、二〇二三年二月、一七〇〇万ウォンの横領のみを事実として認め、一五〇〇万ウォンの罰金刑を宣告した。尹美香はこの判決で免罪符を得たかのように意気揚々としていたが、九月の二審判決では懲役一年六カ月、執行猶予三年を言い渡された。(略)
慰安婦運動家らが主張し、その間、大多数の韓国人が信じてきた慰安婦の物語は、果たして本当なのかという懐疑が広がり始めた。朝鮮人少女は本当に日本の官憲に強制連行されたのか、彼女たちは本当に慰安所で報酬も貰えず日本軍に集団強姦され、日本の軍人と業者に暴行拷問されたのか、そして本当についには日本軍が敗走する戦場に捨てられ虐殺されたのか、と。
事実と食い違う証言
実のところ、慰安婦運動に関わる韓日の慰安婦問題研究者たちの行ってきた研究自体が、その運動の真実性に疑問を抱かせるものだったのである。一九九〇年一一月の挺対協の結成、一九九一年八月の元慰安婦・金学順(キムハクスン)の最初の証言、一九九二年一月の水曜集会の開始から今に至る三〇年余りの間、慰安婦関係の資料が数多く発掘され、それらを分析した研究が多数出された。そして、その大多数の研究者は、結論として一様に「慰安婦は強制連行された性奴隷だった」と主張してきたが、彼らが資料の分析を通して実際に示した事実はその主張とは食い違っていた。
強制連行、強制動員の客観的証拠はなかった。日本の軍人や官憲に強制連行されたことが客観的資料により明らかにされた慰安婦は一人もいなかった。性奴隷であったことは事実として立証されておらず、「私たちがなぜ性奴隷なのか」と反発する元慰安婦もいた。慰安婦運動家たちができるのは、「被害者がまさか噓をつくわけがない」「被害者の涙が証拠だ」と元慰安婦たちの証言の肩をもつことだけなのである。
〈 日本軍による強制連行、虐待、暴行を語った元慰安婦の証言。しかし、それらの証言をあらためて検証すると――? 〉へ続く (朱 益鍾/ノンフィクション出版)
95歳男「日本統治よかった」発言で殴り殺される 韓国ネットでは「死んで当然」「正義の審判だ」
2013.09.13 18:26
韓国で、95歳の韓国人男性が日本統治時代を「肯定」する発言をしたところ、居合わせた男の怒りを買い、殴られて死亡するという事件が起こった。
「愛国心ゆえ」の犯行だと男は供述、韓国ネットユーザーなどからも擁護の声が上がる。あまりにも惨い事件に、日本では驚きが広がっている。
老人の杖を奪い、頭を何度も…
韓国紙「世界日報」によれば、事件が起こったのは2013年5月のことだ。ソウルにある宗廟市民公園が、その現場となった。
同公園は観光スポットとして知られるとともに、近所に住む高齢者たちの憩いの場でもあり、多くの人々が青空の下、囲碁や世間話を楽しんでいる。被害者の朴さん(95)も、そうした輪に加わる一人だった。
そこにやってきたのが、黄被告(38)だ。彼は大量に飲酒しており、すっかり酩酊していた。この酔っ払いと朴さんが話すうち、その何気ない一言が黄被告の「逆鱗」に触れた。
朴さんがどのような点を「良い」と評価したのかはわからないが、なにしろ朴さんは95歳、終戦の時点でもすでに27歳だ。日本統治の実態、そしてその後の韓国現代史を目の当たりにしてきたわけで、その発言には重みがあっただろう。一方の黄被告は37歳、朴正煕時代すらほとんど記憶していない世代だ。
しかし、「愛国者」である黄被告は朴さんの発言に激怒した。朴さんを蹴飛ばすと、その杖を奪い、怒りに任せて頭などを殴りまくった。朴さんは頭蓋骨や脳などに重傷を負い、治療を受けたものの死亡した。傷害致死罪で逮捕された黄被告は「泥酔しており心神耗弱状態だった」と主張したものの、9月10日に懲役5年の判決を受けた。
「日帝を称賛した時点でジジイは犯罪者だろ」
驚くことに、韓国内ではこの黄被告への擁護論が少なくない。上述の世界日報からして「酒の勢いで愛国心の度が過ぎた」とやや同情的だが、さらにネット上では、黄被告を「愛国青年」などと称し、
などと殺人を正当化するコメントが記事に多数付けられている。無論、「これが法治国家のやることか! 韓国はいつから歴史観が違えば人を殺していい国になったんだ?」と嘆く声もあるが、過激な意見の勢力が強い韓国ネット上では押され気味だ。
日本統治時代への評価をめぐっては、韓国では近年一部の研究者から近代化の進展などを重視し、部分的に評価する動きがある。しかしこうした意見が反映された教科書が8月30日に検定を通過したところ、国内世論が沸騰、政界も巻き込む大論争に発展するなど、今なお「タブー」視は根強い。
【新・悪韓論】儒教の国の恐ろしい現実 親日老人を撲殺した犯人を“英雄視”する声も… (1/2ページ)
2013.09.19
日本のネットの世界ではかなり話題になった事件だが、全国紙もテレビも取り上げていないようなので、あえて書くことにする。
事件が起きたのは、今年5月。ソウルのメーンストリートである鍾路(チョンノ)の脇にある宗廟(チョンミョ)市民公園で、酒に酔った37歳の男が、95歳の老人に暴行を加えた。老人が「日本の統治時代は良かった」と述べたことに、男が腹を立てての犯行だった。これが事件当時ほとんど報じられなかったのは「単純傷害事件」として処理されたためらしい。
しかし、老人が収容先の病院で死亡し、事件は傷害致死事件となり、ソウル地裁は9月10日、男に懲役5年を宣告した。
12日になって韓国紙『世界日報』が報じたのを、日本の韓国ネットウオッチャーが見逃さなかった-これまでの経緯だ。
95歳といえば、だれが見ても「ご老人」だろうに、男は蹴りつけ、老人が突いていた杖で頭を数回殴った。脳内出血するほどの力を込めて。
ネットで「宗廟市民公園」を検索すれば写真がある。「公園」というよりは「人混み」ならぬ「老人混み」だ。
鍾路の裏路地あたりに住んでいるが、家には居づらいし金もない老人たちが、この無料のたまり場に集まってくるからだ。老齢年金の不備に加えて、「保健福祉省の資料によると、高齢者虐待の86%は家庭内で発生」(朝鮮日報11年9月26日)という事情もあるのだろう。
75歳以上の自殺率は、日本では10万人当たり14・6人、韓国では160・4人。
日本の韓国入門書によくある「韓国は儒教の国なので、老人を大切にする」なんて大ウソなのだ。
【新・悪韓論】儒教の国の恐ろしい現実 親日老人を撲殺した犯人を“英雄視”する声も… (2/2ページ)
2013.09.19
95歳といえば、終戦当時27歳。日韓併合時代を実際に生きた人だ。一方、37歳の男が物心ついたのは、せいぜい88年ソウル五輪のころではないのか。
ともかく、この男にとっては、生まれてから37年間に頭に入ってきた「知識としての反日」は絶対に正しく、95歳が語る「実体験としての親日」は抹殺すべきものだったのだ。
「国際協定・条約よりも、国内上級審の判例が大切だから、日本は戦時徴用を賠償しろ」
「科学的分析結果よりも、国民感情が重要だから、日本産海産物は輸入禁止にする」
「実体験としての親日よりも、若い自分が知る反日の方が正しいから、親日老人を蹴り殴った」
なるほど、論法としては一貫性ありだけど…。
判決報道の後、韓国のネットは犯人を英雄視し、殺された親日老人を罵倒する書き込みであふれた。
間もなく、日本時代を知る人はいなくなり、反日教育を受けて成長した人々だけの国になる。恐ろしいことだ。
■室谷克実(むろたに・かつみ) 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。主な著書に「韓国人の経済学」(ダイヤモンド社)、「日韓がタブーにする半島の歴史」(新潮新書)、「悪韓論」(同)などがある。
李氏朝鮮時代の生活とは?その時の日本はどんな時代?韓国の両班と日本の武士の違いがやばい!
かつて朝鮮半島には同時期に3つ4つの国に分断されるなど、たくさんの国が興っては争い、消えて行きました。
そんな中1392年から1897年までの500年余りの長い間続いた王朝がありました。
李氏王家により治められたその国を李氏朝鮮と呼んでいます。
李氏朝鮮は朝鮮半島最後の統一国家なのですが、人々はいったいどのような生活をしたのか、またどんな国だったのか気になりますよね!今日は、李氏朝鮮の時代と同時にその時日本はどんな時代だったのかをみていきたいと思います!
李氏朝鮮時代の厳しい身分制度、良民と賎民
李氏朝鮮時代、人々には厳しい身分制度がありました。
中国の制度を基にしていて、まず大きく分けて良民と賎民に分けられます。
当時、朝廷で役職に就くためには、科挙という試験を受ける必要がありました。子どもの頃から必死に勉強してやっと受かるかどうかというほど難しいその科挙を受けられる資格があるのが良民です。
賎民は朝廷での役職に就くことも、科挙を受けることもできません。良民に仕える人たちで、いわゆる「奴隷」と言えばわかりやすいと思います。良民と賎民の中でさらに細かく分類されます。
李氏朝鮮時代の厳しい身分制度、良民のトップ「両班」の驚きの実態
良民は全部でさらに両班(ヤンバン)・中人(チュンイン)・常人の3つに分けることができます。
両班は良民の身分制度の中でトップです。主に朝廷で高い役職につき国の政を行う人たちで、いわゆる貴族ですね。
両班は様々な特権を持っていて、まず納税や軍役が免除されています。
そしてなんと自分自身が科挙に受からなくても、祖先に科挙合格者がいれば両班でいられる特権がありました。
そのため、3年に1度の科挙の試験のたびに両班が増えていきました。李氏朝鮮初期、両班は人口の3%程度だったのが、末期になると50%以上を占めるまで増えていくのです。
納税しない人たちが人口の半分以上いるとは驚きですよね。
そんな両班たちが全員役職につけるわけではありません。
なので、両班同士で奪いあったり蹴落としたり、賄賂で役職を手に入れたりで横領が増えたり、だんだんと腐敗して行きました。いくつも派閥が生まれては潰し合い、また新しい派閥ができるといった具合で、とにかくずっと血生臭く争っていたのですね!
両班の驚くべき特権とは?
そして両班にはもっと驚くべき特権があったのです。
両班はなんと、良民の最下層である常人に対し、道を譲らせ、宿で鉢合わせた際には部屋を譲らせ、さらに常人の家や衣服に対しお金を払わずに奪ってもいいとされていたのです。
李氏朝鮮末期に朝鮮を訪れたマリ・ニコル・アントン・ダブリュイはその著書『朝鮮事情』で、「朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢である」と記しています。
傍若無人ぶりがすごい両班の権利!
両班は無実の罪で常人を捕え、釈放のための賄賂を受け取ったり、または常人から「借りる」体裁を取りながら実際には返さずに奪い取ったり、常人から田畑をお金を払わず奪ったり、なんとも無茶苦茶な特権があったのです。
認められた特権なので、それを咎める制度もありません。
同じく李氏朝鮮末期に訪れたイザベラ・バードは両班のことを、「搾取と暴政を欲しいままにし」て、下の人間の血を吸い付くす「吸血鬼」であると、著書『朝鮮紀行』で述べています。
王様ですら両班を完全に掌握し切れず、どんなに民にいい政策でも、両班の反対に合えば実行することができません。下手したら王を退位させられてしまうことも。
恐るべし、両班ですね・・・!
李氏朝鮮時代の厳しい身分制度、中人と常人とはどんな人たち?
中人は、医術や通訳などの特殊な技術に秀でた人たちで、律科という試験を受けて中人という身分になりました。
良民のトップ身分である両班の庶子、いわゆる正妻の子ではない場合もこの身分になります。中人は科挙を受けることができますが、両班と同じ高い役職にはなれないよう制限されていました。
李氏朝鮮時代・人口のほとんどが常人だった
常人は、いわゆる一般庶民です。
農民や商人、職人などのことで、人口の大半は常人でした。
農民・商人・職人の中でも上下があって、農民がトップで商人や職人はあまりいい仕事だとは思われず蔑まれていました。
「労働」や「商い」そのものが卑しい身分の者がするものという認識があって、両班の常人への横暴もその考え方が根底にあります。
常人も良民なので科挙を受けることは可能です。
でも、幼い頃から難しい学問をしっかりきちんと教育を受けなければ到底合格することができないので、常人にはその時間とお金をかけるのは難しかったようです。
ひとくくりに良民と言っても、両班とその他ではかなり大きな隔たりがありますね。
李氏朝鮮と同時代の日本の身分制度とは?
李氏朝鮮の時代、日本は室町から江戸時代に当たります。国のトップは天皇ですが、実際の政は将軍を筆頭とした武家が行なっていました。
おそらく、朝鮮の両班に当たる身分は武士になるのでしょうか・・・武士以外の百姓や町民たちより偉い身分で、例え役職についていなくてもある程度の給料が貰えたりしていました。
しかし横暴もできちゃう特権階級ではありましたが、少なくとも悪いことはバレたら刑罰がありましたので、横暴が認められていたわけではありません!!
そこはなんとなく両班とは違うようですね。
日本では商人の力が武士より強くなっていった!
室町時代あたりからは商人の力が強まっていて、建前上武士の方が身分は上でも、大商人の経済力に頭があがらない武士が出てくるなど、身分制度は実質崩壊していました。
武士はお金儲けは卑しいことと教育されていますからね。
江戸時代には、経済力をつけた農民(豪農)が出てきて、貧乏大名が豪農にお金を借りてなんとかやりくりする、なんてこともありました。
大名ともなると、家臣を養わなければいけませんし、参勤交代の行列の人数や持参する物など色々とルールがあって、お金がとにかくかかりました。
お金がないのに見栄と体面を保つために質を落とすことができないという結構きつい生活の武家がたくさんいたようです。
実はあんまり良いとはいえない武士の身分
江戸時代、武士は人口のたった7%で、80%以上が農民や漁民などの百姓でした。武士の身分をお金で買うこともできましたが、両班のような特権もないですしあまり旨味がないので、武士人口が大きく増えることはありませんでした。
ちなみに、「斬り捨て御免」と武士が町人を勝手に斬り捨てても罪に問われない、なんてイメージがあるかも知れませんが、よくよくの理由がなければもちろんやってはいけないことで、当然捕まりますし死罪もあり得ました。
時代によるかも知れませんが、武士の生活は思うほど良くなかったのかも知れませんね。
では賎民とはどんな人たちだったんでしょうか?
李氏朝鮮時代の厳しい身分制度、賎民にはどんな人がいる?
朝鮮の身分制度のうち、特に厳しい環境に置かれたのは賎民たちでした。
賎民とは、奴婢と呼ばれる宮廷や両班の家などで下働きをする奴隷や、妓生(キーセン)と言う芸妓・遊女、男芸人、それと李氏朝鮮では仏教が迫害されていたので僧侶も含まれていました。
賎民の中で最下層なのが白丁で、陽の当たるところに住んだりお墓を建てたりしてはいけないなど、かなり厳しい制約があり人間扱いされませんでした。
日本の賎民と朝鮮時代の賎民の違いは?
奴婢や白丁は属する家の財産とみなされ、市場で売買されていました。親が奴婢なら子どもも奴婢でしかなく、良民になれることはほぼありません。
日本では、賎民と言うと獣の殺処分などに特定の仕事に従事する人たちを指し、やはり人間扱いされない身分でした。
でも、家や商店の雑用・下働きをする下人がいましたし、遊女もそのほとんどは低い身分でした。ただ日本は仏教国なので僧侶の身分は高いものでした。
身分制度は現代の日本では感じることはないので、ちょっと想像しにくいですよね。
生まれた家によって身分が決まりそれが変わることがない、そんな制度を変えてくれた人たちのおかげで、今の私たちの自由があるんですね。
李氏朝鮮時代の経済と庶民の生活とは?
実は李氏朝鮮時代の経済は思いの外、停滞していてあまり発展しなかったのです。
華やかな李氏朝鮮時代の韓国ドラマのイメージとは少し違うようですね。
李氏朝鮮時代は歴史の中でも貧乏な時代だった?
では経済が発展しなかった理由ってなんだったのでしょう!その主な理由が次のようなものです。
李氏王朝を始めた時に取り入れた儒教の考え方の影響で、商いは卑しいものとされていた
貨幣が流通せず、物資は物々交換でやり取りしていて、必要なものを必要な分しか作らないのでそれ以上発展しにくい
交通手段や道路が整備されていないので、歩いていける範囲にしか売りにいけなかった
農業は国の根幹産業だったので、農業改革で収穫量が上がるなど良くなってはいくのですが、流通や価格の整備などの対策が取られず大きく発展していくことはありませんでした。
そもそも、両班など身分の高い人ほど商いが卑しいと思っていたのでは、それを発展させる政策は生まれて来ませんよね。
一方、日本は発展し華やかな時代へ
日本では、各地に大名がいてそこに国がありました。特産品や名産を生み出し他国と交易をして国を富ませることは、その国を治める者としてやらなければならないこと。国が貧しければ民から年貢が徴収できませんからね。
江戸時代になれば東海道などの街道が整備されたり、船で早く大量に運べるようになったりますます活発化されます。
こうしてみると、日本は各地を国として大名が収めていたことが経済の発展に大きく違いを生んでいる一つの要因のような気がしますね。
李氏朝鮮時代の生活とは?その時の日本はどんな時代?まとめ
両班の特権は、庶民から見ればものすごく困るものではありますが、そんな両班が王を支え政治を行っていた李氏王朝は、平和と言われた江戸時代よりも長く500年も続きました。
この記事に関する参考文献
『朝鮮事情』マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ
『朝鮮紀行』イザベラ・バード
参考文献・参考資料
韓国も日本も真実に基づかない運動に騙されてきた――韓国の歴史学者が実証研究で明らかにした「慰安婦問題」の真実 (msn.com)
日本軍による強制連行、虐待、暴行を語った元慰安婦の証言。しかし、それらの証言をあらためて検証すると――? | 文春オンライン (bunshun.jp)
李栄薫編 『反日種族主義』文藝春秋 2019.12.15 第6刷発行
金完燮著 荒木和博+荒木信子訳『親日派のための弁明』 草思社 2002.8.7 第10刷発行
95歳男「日本統治よかった」発言で殴り殺される 韓国ネットでは「死んで当然」「正義の審判だ」: J-CAST ニュース【全文表示】
【新・悪韓論】儒教の国の恐ろしい現実 親日老人を撲殺した犯人を“英雄視”する声も… (1/2ページ) - 政治・社会 - ZAKZAK
室谷克実著 『崩韓論』飛鳥新社 2017.2.13 第1刷発行
李氏朝鮮時代の生活とは?その時の日本はどんな時代?韓国の両班と日本の武士の違いがやばい! - ヒストリーゴー (history-go.com)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?