政治講座ⅴ1691「ウリジナルの主張は貴重な『無知の極み』」
呵々!いつも笑わせてくれる。
漫才のお笑いネタなら受けるが、これが韓国人は真面目なのが怖い!
「嘘も100回言えば真実になる」という諺が韓国にはあるらしい。
今回は「漢字は中国人ではなく韓国人が作ったもの」の報道記事と韓国人が自慢するハングル文字の起源はパスパ文字であるとの学説が出ている。そして、仮説の領域ではあるが、日本の古代の漢字の渡来の以前から対馬地方で使用されていたらしい「阿比留(アビル)文字」、「神代(ジンダイ)文字」が存在していた。これが起源であるとも言われる。今回はそのような世界に誘(いざな)います。
皇紀2684年3月17日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
「漢字は中国人ではなく韓国人が作ったもの」韓国人作家の主張に注目集まる=韓国ネット「誇らしい」
Record China によるストーリー
2024年3月13日、韓国のインターネット上で「漢字は韓国の文字だ」と主張する韓国人作家の動画が注目を集めている。
韓国のテレビ番組「ビッグクエスチョン」の公式YouTubeチャンネルに先月、「漢字はもともと中国のもの?それは誤解です」というテーマの動画が投稿された。
動画では作家のキム・ジンミョン氏が「中国の歴史で実在が確認されている最古の王朝は殷(いん、紀元前1600年~1046年)であり、その後は周、春秋時代、戦国時代を経て秦が統一した。そして秦が滅亡し、漢楚戦争が起こり、紀元前202年に劉邦が即位し漢が誕生した。中国からすると、漢が自国の歴史上で最も大きい王朝だ。そのため中国人は漢民族、漢字などあらゆるものに『漢』の文字を付けるようになった」と説明。
その上で「しかし実際のところ、漢字は殷王朝によって発明された甲骨文字が基になっているため本来は『殷字』と言うのが正しく、殷字は東夷族によって作られた。現存する東夷族は韓国人や日本人だ」と指摘し、「われわれ東夷族が殷字を作ったということは、われわれが殷王朝を作ったと言える。つまり殷は中国の王朝ではない」と主張している。
またこれに関する事件として、1899年に約300人の専門家によって行われた殷墟(殷の首都)での大規模な発掘調査を挙げている。キム氏は「殷墟で大量の出土品が続々と見つかり『世紀の発掘だ』と世界中から注目されたが、7~8日後に中国は発掘を止めてしまった。その理由は、発掘されたものが漢民族の文化でないことを知ったため」とし、「中国の建物のほとんどが南向きだが、殷墟の建物は北東向きになっていた。殷墟の北東の方向には渤海湾があった。昔は故郷の方を向いて埋葬する文化があり、ここでは建物までも故郷の方角を向くように建てられていた」と説明。さらに「その方角をたどるとわれわれ東夷族の故郷がある」「殷墟も夏家店下層文化、すなわち古朝鮮の文化」「古朝鮮文化の発祥地と殷墟で暮らしていた人々の発祥地は同じだ」などと主張し、「そのため漢字は中国人が作ったものではなく、われわれ韓国人が作ったものだ」と強調している。
この動画を見た韓国のネットユーザーからは「新たな視線、知識が得られた」「ハングルが最高の文字だと思っていたけど、ちょっと考えが変わった」「なんだか誇らしい気持ちになった」「もっとたくさんの韓国人がこの事実を知るべき」「漢字が中国語ではなく韓国語である証拠。中国人も反論できない証拠だ」などの声が寄せられている。(翻訳・編集/堂本)
ハングル文字の事情
ハングル文字は李氏朝鮮の世宗王が作った文字とされます。ハングルの「ハン」はチイギスハンのハンと同じく「王」という意味。グルは「文字」でハングルだけで「王の文字」という意味があります。ハングルが出来たのが15世紀。実際にこれが庶民にまで利用されるようになるのは、日本が朝鮮半島を併合して教育をしてからなのですが、それは置いておいて。ハングルは日本で言うところの「ひらがな・カタカナ」にあたります。つまり「表音文字」です。英語のアルファベットも本来は表音文字でしたが、長い時間の中で「表音」の機能が薄れてきたので、現在は「発音記号」で補足するようになりました。表音文字に対して表意文字というのがあります。表意文字は「意味」を表す文字の事で、日本人にとって代表的な表意文字が「漢字」です。
さて、現在の韓国はほぼ漢字が使用されていません。これは「ハングルが最高」で「純粋な韓国の言葉以外は追放しよう」という考えから使用されなくなったとされます。ところが韓国・朝鮮は歴史の経緯から中国と日本の影響をゴリゴリに受けている国で、国内から中国語と日本語を追放し、それまで漢字で表記していたものをすべてハングルで表記すると同音異義語が多すぎてサッパリ分からない状態になりました。
以上のような問題点もありますが、ハングル文字にはあるとんでもない「優秀なポイント」があります。
ハングル文字の優秀さ
それはハングル文字はほぼ無限とも言うべき音節を表現出来ることです。
なのでハングル文字は中国語も日本語も「ハングル文字」でほぼ表現することができるのです。これは凄いことです。韓国はこのハングル文字の素晴らしい点を生かして、まだ文字を持たない民族にハングル文字を進めているくらいです。
しかし、なぜハングルにはそんな「大量の音節を表現する機能」があるのでしょうか?
一国の文字がこれほど多くの音節を持っている必要はありません。余計な機能はむしろ邪魔。日本などは過去にはもう少し多かったですが、現在は50音しかありません。それで事が足りるし便利です。また、英語には何万という音節があると言われますが、そうはいっても限られた発音記号で表現出来る程度のことです。なのにわざわざハングル文字が大量の音節を用意したのは何故でしょうか?
パスパ文字について
ハングルはモンゴルのパスパ文字を原型にしているとされます。これはパスパ文字とハングル文字の構造を調べた結果の判断で、文献にそうあるわけではありません。
パスパ文字はモンゴル帝国が自国の文字を元にして、中国の言葉も表現出来るように作らせた文字です。
パスパ文字には中国全土を支配すると言う目的がありました。だから中国の言葉も表現出来るような構造に作ったのです。ではハングル文字はどうでしょうか? 中国を支配するために文字でしょうか?
王の文字はなぜ蔑まれたか?
ハングル=「王の文字」は、当初、蔑まれていた
ところで、今でこそハングル(王の文字)と呼ばれていますが、制定したときは「愚民文字」と呼ばれ蔑まれ、ほぼ使われることはありませんでした。
なぜ愚民文字と呼ばれていたのでしょうか? それは世宗王が「愚民でも読み書き出来るように」と書いたからと言われます。ですが、王が専門機関を立てて作った文字です。「愚民文字」と蔑むのはおかしいのです。なにより李氏朝鮮は「儒教」の国です。儒教では王の命令は絶対です。封建制度をガチガチにするために儒教を広めたくらいです。徳川幕府も封建制度を確立するために武士に儒教を広めました。
儒教では王の命令には絶対服従。王は正しい。正しいから王なのです(徳治主義)。王が作った文字を蔑むなんてことはあり得ません。
ではなぜ王が作った文字を蔑んだのか???
ハングル文字は世宗王が作った文字ではなかったからです。そうでないと儒教の教えに反します。王が作ったものではないから「愚民文字」とバカに出来たのです。
そのことを誰もが知っていた。バカにしても問題がなかった。
ではこのハングル文字は何処から来たのでしょう?
「対馬」です。
ハングル文字は倭冦が作った
世宗王がハングルを研究し作成した機関(集賢殿)ができる直前。李氏朝鮮は倭寇鎮圧を目的として対馬に侵攻しています。そして対馬から倭寇である中国人と朝鮮人を連れ帰っています。倭寇は日本人の海賊と思いがちですが、実際にはほとんど中国人と朝鮮人でした。この事実は中国・朝鮮の史書に書かれていることです。つまり日本人の勝手な主張ではありません。
そのとき世宗王は中国人と朝鮮人から倭寇の文字を手に入れたのでしょう。
ハングル文字が愚民文字と蔑まれていたのはこのためです。
倭寇の文字だからです。
何度も言うようですが、ハングルが(仮にパスパ文字から創作されたとしても)王が作ったものならば、愚民文字とは蔑まれなかったハズです。蔑まれるだけの理由があったハズなのです。
では何故、世宗王は「倭寇の文字」を採用したのでしょうか??
当時の朝鮮には独自の文字がありませんでした。だから独自の文字が欲しい……ではありません。中国やモンゴルに気遣いし、独自の文字を持つことは躊躇していたくらいです。そもそも単なる文字なら漢字で十分なのです。日本なんて今でも漢字と漢字から派生した「ひらがなカタカナ」で済ませていました。世宗王が新たな文字を制定するのには、何かしらのメリットが必要です。そのメリットとはなんでしょうか?
そのメリットが「多くの音節を表現出来る」ということです。
単に多いだけではありません。
中国語と朝鮮語をカバーする表音文字であること、です。
つまり倭冦が使っていた文字は中国語・朝鮮語と日本語を表現出来る表音文字だったのです。さて、どうして倭冦の文字にはそんな機能があったのでしょうか?
ハングル文字は異文化交流の産物
倭寇は中国人と朝鮮人と日本人の混成集団でした。
混成です。
混成ということは、例えばリーダーが日本人で部下が中国人というパターンです。逆でもいいのですが、ともかく言葉が違うわけですから、意思疎通は大変です。
通訳という手もありますが、彼らは意思疎通をスムーズにするために「表音文字」を作り出しました。
中国語で「行け」とか「撃て」とか、そんな簡単な言葉でもいいから知っておいた方が得です。 中国語・朝鮮語は日本語には無い発音も沢山あります。
そこで、中国・朝鮮・日本で共通となる発音記号が便利だと考えました。
そうして作られたのが阿比留文字です。
阿比留文字は対馬の神社に残る文字で、江戸時代には漢字が伝わる前からある「神代文字」と言われてきましたが、現在はハングル文字から創作した文字とされます。なぜ創作だと言われるのかというと、日本語には無い発音が表記されているからです。しかし、倭寇が意思疎通のために作った表音文字とするならば、神代文字ではなく、成立は13世紀か14世紀となり、日本語には無い発音があったとしてもなんら不思議ではありません。また、ハングル文字に似ていて当然です。
阿比留文字の原型はパスパ文字でしょう。
13世紀に元寇があり、高麗にはモンゴル人がやって来ています。対馬にはモンゴルのパスパ文字が伝わっていたとするのが当然。いや倭寇にはモンゴル人がいたのだと思います。もしくは取引相手にモンゴル人が居たのでしょう(済州島など)。このパスパ文字を元にして、誰にでも分かる、簡単な仕組みで、中国語と朝鮮語と日本語をカバーする表音文字を作り出しました。
つまり阿比留文字・ハングル文字は中世の異文化交流の産物ということになります。
世宗王が描いた未来
その後対馬に侵攻した世宗王は阿比留文字を得ます。
彼はこれを朝鮮の文字にしようと考えました。
なぜか??
倭寇は朝鮮や中国の「賎民」です。
少なくともほとんどの朝鮮人はそう思っていました。
賎民は卑しく、そして愚かな存在です。
ところが、その彼らが文字を使って意思疎通をしていたのです。
しかも朝鮮語だけでなく中国語もカバー出来る文字です。
この文字は優れていると世宗王は考えたハズです。
李氏朝鮮は儒教の国で、「正しい」「徳のある」人物が国を治めるとうまくいく、という考えです。よって優秀な人物を科挙というテストで選抜して官僚にします。この科挙は「漢文」で出題されます。文字が読めることが科挙受験の大前提です。文字が読める階級はこれによって子々孫々と公務員で有り続けるのです。
そこで庶民も漢字・漢文が読めるようにしたい、と世宗王は考えました。単に朝鮮語をカバーしただけの文字なら、意味はありません。漢字も表音出来る阿比留文字は世宗王にとって魅力的だったのです。阿比留文字を広めれば、科挙を受ける人材が増える。広く人材を集めることができる。優秀な人材が集まれば、国は発展する。
ところが漢字が読める階級は反発します。
自分たちの特権が失われるからです。
世宗王が持ってきたこの阿比留文字を「愚民文字」と蔑み、バカにし広めまいとしました。そのうち、科挙そのものが形骸化します。世宗王の目的は果たせないまま、この世を去り、数世紀後、ハングル文字を庶民にまで広げたのは何と「倭冦」と蔑んだ日本人(福沢諭吉の門下生)でした。皮肉ですね。
数年前、韓国旅行に行った。ハングル文字を読むために「ハングル表」を密かに用意した。このように吾輩は韓国が好きなのである。博物館にも行った。李氏朝鮮時代の書物や仏教の経典、仏像を見てきた。仏像の顔立ちは面白いことに作られた民族の顔立ち(朝鮮人の顔)である。日本の仏像は平安・奈良時代の顔立ちであり民俗学の研究に役立つ発想かなと自画自賛した。博物館の見学時に疑問が発生して、通訳兼ガイドに質問。
「この博物館の書物・文献(漢字)に書かれている文字を韓国の一般人は読めるの?」と。
「漢字廃止で不便はないの?」などの質問を浴びせた。
漢字が語源の言葉(日本語が語源も)があり、深い理解には漢字が必要であると、そして、最近漢字教育も始めているとの説明。
戦後、米国の統治下で行われた焚書政策の結果が漢字廃止、ハングル文字のみの教育にしたのではないないだろうか。
その結果何が起こったのか。つまり、日本統治時代の30年間以外に李氏朝鮮時代の歴史・文化から知識からの隔離現象を起こしているのである。その結果が自国の歴史や文化の認識が出来ず、世界中から笑われるウリジナル文化主張である。
しかも、日本統治に協力したということで、知識人をほとんど親日反民族行為者として処罰するなどと言う「粛清」が行われている。
さて、ここまで言うと、秦時代を思い出すであろう。古代支那の秦代に発生した思想弾圧事件である。そうです、焚書坑儒が2000年の時代を経て朝鮮半島で行われたのである。
日本は第二次世界大戦後すぐに志賀直哉が「日本語を排してフランス語を国語とすべきである」などといった主張を唱えたことも一因となり、漢字廃止論は日本文化の劣等感から来るとの誤解を受けることがあるが、漢字により生じる非効率性の問題はアメリカやヨーロッパの事情を知る者には特に強く認められていた。結果として、日本は漢字使用を減らす政策がとられ、当用漢字が制定され、表音主義に基づく表記の改変などが国家規模の言語政策として行われている。
漢字を廃止ない結果、昔の文献を読むことができて、過去の歴史も文献(漢文・古文。古典)から知ることが出来るのである。
戦後の韓国政府の教育・文化政策の過ちは漢字を廃止した結果、「韓国の識別理解力(リテラシー)低下の原因」に繋がっているのである。
吾輩の尊敬する人物に、韓国人の朴鉄柱氏がいる。以前にも再三掲載している人物である。彼が主張するには、朝鮮人と日本人の文化は共通する部分が多い。支那の文化とは明らかに違う、朝鮮人と日本人は同じ民族から派生していると主張しているのである。日本は今、嫌韓ブームであり、非韓三原則が主張され、国交断絶まで主張する輩も多い。
しかし、人間の心理に「嫌いだけれど、憎めない」関係の複雑な心理のような気がする。先ほどの朴鉄柱氏は「朝鮮半島から日本を見ると、日本列島は「心」の文字に見える。」と言った心境は大変理解できる。李氏朝鮮時代の500年の時を経て、支那の属国から分離して独立に協力し、ロシアや欧米列強の脅威に対抗するために日韓併合は、元々同じ民族から派生している同民族であるために死活問題を回避するために必然的に一緒になったのではなかろうかとも考えられる。吾輩の自論は、そもそも、朝鮮人と日本人は別民族として分離するには無理があるのではなかろうか。それを、民族自決といって、老巧な同志だったものを、強引に引き裂いたのは「連合軍」の領土分割統治政策である。心や意識を無理やり引き裂いたのである。その手法は反日政策(日本人は植民地時代に搾取し、朝鮮人をいじめたと言う嘘)であり、歴史捏造教育であり、日本への自虐史観の植え付けである。そして、韓国人を日本の文化にも触れないような文化隔離政策をとったのである。
韓国のリテラシーの低下の原因は漢字文化による知識の調査・分析ができないようにした焚書政策に起因すると吾輩は考える。李氏朝鮮時代の文献は漢字であり、ハングル文字による歴史書や文献は皆無に近いので、やはり、焚書政策や日本文化の流入制限などによる隔離政策に起因することも否めない。
韓国での日本大衆文化の流入制限
大韓民国(韓国)における、日本の大衆文化の流入に対する規制を行い、日本に対するあこがれや親近感を根絶するための隔離政策をとり、恨日意識を植え付けさせたのである。日本と親しくなってはいけないのである。
大韓民国では、自国文化の保護のため、また大日本帝国の韓国併合とその後の日本統治時代(1910年-1945年)の影響による国民感情を害するとして、日本の漫画や映画、音楽(邦楽、J-POP)など、大衆文化を法令で規制してきた。「国民感情を害する」ではなく、「あこがれや親近感を持つと隔離政策効果が減衰する」ためである。
具体例としては、韓国のテレビ放送において日本語の歌詞を放送することの禁止、日本のテレビ番組を放送することの禁止等がある。しかし近年、それも徐々に制限を緩和しつつある。
今の韓国と日本の冷え切った関係は「米国・ソ連(支那)の分割して統治する政策」が奏功した結果であろう。「朝鮮人と日本人の良好な協力関係」を危惧しているのは、米国であり、支那であり、ロシアであろう。
「朝鮮人と日本人の良好な協力関係」とは「大韓民国・日本の連合国」の復活であろう。
焚書坑儒の解説
古代中国の秦代に発生した思想弾圧事件。焚書は「書を燃やす」こと、坑儒とは「儒者を坑(穴)に生き埋めにする」を意味する。
『史記』秦始皇本紀によると、始皇34年(紀元前213年)、博士淳于越は郡県制に反対し、いにしえの封建制を主張した。丞相の李斯は、儒者たちがいにしえによって体制を批判していると指摘し、この弾圧を建議した。始皇帝はこの建議を容れて、医薬・卜筮・農事以外の書物の所有を禁じた「挟書律」を制定した。
これにより、民間人が所持していた書経・詩経・諸子百家の書物は、ことごとく郡の郡守・郡尉に提出させ、焼き払うことが命じられた(焚書)。また、李斯は秦の史家によるものを除いたすべての史書も燃やすべきであると主張し、各諸派によって書かれた書物は、地域の官僚に処分をするよう命令が出された。儒教の経典である六経のうちの『楽経』はこの時失われ、漢代に五経として確立された。
翌212年、盧生や侯生といった方士や儒者が、始皇帝は独裁者で刑罰を濫発していると非難して逃亡したため、咸陽の方士や儒者460人余りを生き埋めにし虐殺した(坑儒)。ただし、その後も秦に仕えた儒者はおり、陳勝・呉広の乱が起きた際に二世皇帝胡亥が儒者の叔孫通に諮問している。
紀元前206年、漢の高祖劉邦が秦を滅ぼしたが、依然として挟書律は現行法であり、その後恵帝4年(紀元前191年)11月になってようやく廃止された。また、『韓非子』和氏篇には商鞅に仮託して、挟書を政策として採用すべきだと議論しており、李斯の独創ではなく、戦国末期には法家によって提案されていた政策だった。
後世に魯迅は「華徳焚書異同論」において、ナチス・ドイツの焚書と比較して焚書坑儒は進歩的な行為だったと主張している。また文化大革命時には、「批林批孔」運動において、毛沢東が焚書・坑儒を正当化する漢詩を詠じたが、後に中国共産党の公式見解の一つとされる席簡・金春明『「文化大革命」簡史』では、毛の漢詩を「表面的には歴史学者の学術書に対して反対意見を述べているようにみえるが、(中略)政治闘争の必要から書かれたものである」と述べている。
「訓民正音、モンゴル‘パスパ文字’の影響受けた」…高麗大教授
2008.11.18 14:030 글자 작게 글자 크게
『蒙古字韻』に出てくる‘パスパ文字’。 英国図書館(British Library)に所蔵されたこの本が国内で初めて影印本で登場した。
「訓民正音とハングルに関する国粋主義的な研究は、この文字の制定とその原理・動機の真相を糊塗してきたと言っても過言ではない」。
国語学者のチョン・クァン高麗(コリョ)大名誉教授(68)は訓民正音の‘独創性’について、国内学界の主流とは異なる見解を示した。 訓民正音は創製の過程で、モンゴルの‘パスパ文字’を参照し、その影響をかなり受けたということだ。
パスパ文字とは、元の世祖フビライ・ハンがラマ僧のパスパ(八思巴)に命じて作り、1269年に頒布した文字だ。 漢字の発音とモンゴル語を記録できる文字として「蒙古新字」とも呼ばれる。 元の影響を大きく受けた高麗だけでなく、朝鮮初期の知識人はこのパスパ文字について相当な知識を身につけていたという。
チョン教授は「訓民正音(1443年創製)は174年先に作られたパスパ文字から多くの影響を受けた」と主張した論文を18、19日の国際学術大会で発表する。 韓国学中央研究院が主管する「訓民正音とパスパ文字国際学術ワークショップ」でだ。
チョン教授によると、パスパ文字は▽中国の漢字音を表記するための手段▽中国の伝統的な字音36字を基本に作られた▽母音の概念を込めた喩母字7つを導入したという点で、訓民正音に影響を与えたということだ。
「これまで多くの研究者らが『訓民正音は当時の韓国語の音韻を分析し、子音と母音を抽出してここに文字を一つひとつ対応させて作った』と誤解してきた」というのがチョン教授の立場だ。 言語学で音韻分析は19世紀に初めて提起された方法だ。 これを560年前に認識したというのは‘現代的な偏見’ということだ。
チョン教授は「初声(音節の最初に出る音)に該当する中国字音の36字を、パスパ文字は重複音を除いて31字に減らし、われわれは東国正韻23字と訓民正音17字で作った」と説明した。 こうした体系は元の末期に編纂された『蒙古字韻』で確認できるということだ。
チョン教授はこれを根拠に、訓民正音は当初、漢字音を表記するための発音記号として創製された、と考えている。 しかしこの発音記号としての有用性のため、創製直後に固有語の表記にも活発に使われたということだ。
訓民正音のいわゆる‘パスパ文字起源説’は海外の学界では広く受け入れられている。 しかし国内の学界では「パスパ文字」の解読能力が落ち、海外の学界ではハングルに対する誤解が重なり、混乱を起こしているというのが、チョン教授の指摘だ。
海外の学界では、「訓民正音は字の形もパスパ文字を巧妙に変形させて模倣したものだ」という主張も出ている。 しかしチョン教授は「発音器官を象形して作った訓民正音の自形自体は独創的なもの」という見解だ。 また‘・、ㅡ、ㅣ’の基本字を土台に初出字(ㅗ、ㅏ、ㅜ、ㅓ)と再出字(ㅛ,ㅑ,ㅠ,ㅕ)を作った中性(=母音)の制字原理は訓民正音の最も独創的な業績だと話す。
チョン教授は「訓民正音の母音はパスパ字の喩母音を参照したものだといっても、中声を独立させて初声とともに人類最初の字母文字を作ったのは事実」と評価した。
My opinion !
韓国の代表的な書誌学者である高麗大学のチョン・グァン名誉教授(76)の学説が、前述した仮説「ハングル文字の起源は倭寇」が実証されるなら、韓国民は、支那の漢字を捨て、日帝残滓のハングル文字を捨て、そして、文字の無い且、歴史を捏造した民族になる道を歩むことになるのであろう。
文明・文化は混じり合いながら進歩するものであるが、彼らは、また、自国文字の無い、自国文化の自滅へ向かうのであろうか。だから他国文化を必死でウリジナル!と騒ぎ立てて存在感を主張するように見える。 いと悲しいかな! いと愚かな! かように思うのである。
どんとはらい!
参考文献・参考資料
「漢字は中国人ではなく韓国人が作ったもの」韓国人作家の主張に注目集まる=韓国ネット「誇らしい」 (msn.com)
李栄薫編著『反日種族主義』文藝春秋 2019.12.15 第6刷発行 p161 鉄杭神話の真実
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