政治講座ⅴ1388「旧ソ連構成国(アゼルバイジャンとアルメニア)の内紛」
旧ソ連のような大国が崩壊すると必ず分裂した民族同士で争いが生じる。ロシアのウクライナ侵攻もその一例である。そして、同様な紛争の国の争いの報道が今回出たので紹介する。武力で征服した領土は武力で失う。「盛者必衰の理」再現である。
皇紀2683年9月25日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
はじめに
次に掲載した美しい民族衣装を着た民族同士が醜い争いを繰り広げていることは嘆かわしいことである。無関心であることが一種の罪であると思われるので、今回、題材として取り上げるものである。原因の一つと思われることに民族の融和を目的に民族を混在させた旧ソ連の政策であると思われる。
ロシアとウクライナの関係でも同様で、ウクライナにロシア人の住民がいて虐げられているということが、政治的背景の詳細は省略するが、2014年クリミア半島のロシアの軍事介入に繋がったと言われている。2023年9月19日ウクライナへの軍事侵攻のさなかにあるロシアは他国を軍事支援できる余裕など全くない状況で、アルメニアはアルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)をわずか3日で失った。
「ガスもインターネットも遮断」係争地の住民語る アゼルバイジャンの軍事行動で現地は今
TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー •21 時間
旧ソ連の構成国であるアゼルバイジャンの軍事行動で、事実上降伏に追い込まれた隣国アルメニア。係争地はガスやインターネットなど、あらゆるものが遮断されていると住民がJNNの取材に語りました。
アルメニアの首都エレバンで続く政府に対する抗議デモ。
アゼルバイジャンが係争地ナゴルノカラバフで開始した軍事行動に対し、事実上降伏する形で停戦に追い込まれたことに人々は批判を強めています。
現地は今、どんな状況にあるのでしょうか。アルメニアの首都エレバンから車で5時間、ナゴルノカラバフへの玄関口となっていた国境の街を訪ねました。
記者
「アゼルバイジャンとの国境近くにある町ゴリスです。あの山の向こう側に国境があり、ナゴルノカラバフがあります」
現地につながる回廊は現在、アゼルバイジャン側に封鎖され近づくことさえできないといいます。病気の治療でこちらの街に出てきたまま戻れなくなったという、ナゴルノカラバフの住民に話を聞くことができました。
ナゴルノカラバフの住民
「ガス、ガソリン、重油、食べ物が止められてもう10か月になります」
軍事行動を開始した19日からは、インターネットなどの連絡手段も絶たれたといいます。
JNNが入手した21日の現地の様子だとする映像からは、今も銃撃が続いていることがうかがえます。
ナゴルノカラバフの住民
「何のために戦争をしているのか、何のためわれわれを追い出すのか」
今回の軍事行動の背景には、アルメニアとロシアの関係の変化が指摘されています。アルメニアは、2020年に起きたアゼルバイジャンとの軍事衝突で支配地域の多くを失い、同盟国であるはずのロシアから十分な支援を得られなかったとして、不満を募らせていたとみられます。
去年11月に行われたロシア主導の軍事同盟の会議では、アルメニアのパシニャン首相がプーチン大統領の近くに立つことを嫌がったなどと報じられました。さらに、今年5月の旧ソ連諸国の首脳が集まった会議では…
アルメニア パシニャン首相
「すみません、言っておきたいことが…」
パシニャン首相がプーチン大統領の発言を遮り、目の前でアゼルバイジャン側と口論する場面も見られました。
その一方でアルメニアは欧米と接近。今月11日からは、アメリカと合同軍事演習も開始していました。
アルメニアとの関係が冷え込むロシアが動かないと見越したのかアゼルバイジャンは今回、軍事行動に踏み切ったのです。アルメニアのパシニャン首相はロシアだけでなく、欧米の首脳らにも支援を呼びかけるなどしていて、この地域のロシアの影響力低下に拍車をかける可能性もあります。
アルメニアに1050人避難 迫害恐れ、係争地ナゴルノカラバフから
毎日新聞 2023/9/25 10:47(最終更新 9/25 10:47)
ロイター通信は24日、アゼルバイジャンとアルメニアの係争地ナゴルノカラバフに暮らす多数派のアルメニア系住民が避難を開始したと報じた。アルメニア政府は同日、1050人が入国したと発表した。ロイターによると、ナゴルノカラバフのアルメニア系住民は約12万人とされ、迫害を恐れてほぼ全員が移住を望んでいるという。
本国への移住が本格化すれば、ナゴルノカラバフを自国領土と見なすアゼルバイジャンによる統合が一気に進む可能性もある。アルメニアによると、19~20日のアゼルバイジャンの軍事行動で200人以上が死亡、約400人が負傷した。(共同)
アルメニア、国連に監視団要請 ナゴルノ紛争
毎日新聞 2023/9/25
アゼルバイジャン軍がアルメニアとの係争地ナゴルノカラバフを実効支配するアルメニア人勢力を攻撃し、勝利宣言したことを受けてアルメニアは23日、国連に監視団の即時派遣を要請した。ナゴルノカラバフでは食料などが不足している他、アルメニア人の間で迫害への不安が残り、多くの住民が現地離脱を余儀なくされる可能性も出てきている。
アルメニアのミルゾヤン外相は23日、国連での演説で「国際社会は人権や治安状況を監視するために、即時に監視団を派遣するための努力をすべきだ」と訴えた。また、ブリンケン米国務長官は23日、アルメニアのパシニャン首相と電話協議し、ナゴルノカラバフの現状を深く懸念していると伝えたうえで、「米国はアゼルバイジャン側に住民の人権と自由を守るよう求めている」と強調した。
アゼルに人道法順守要求 米、アルメニア首相と協議
2023/9/24 06:40
【ニューヨーク共同】ブリンケン米国務長官は23日、アルメニアのパシニャン首相と電話会談し、アゼルバイジャンとの係争地ナゴルノカラバフを巡る情勢を協議した。ブリンケン氏は、アルメニア系住民の人道状況に「深い懸念」を示し、国際人道法の順守をアゼルバイジャンに求めていると強調した。
ブリンケン氏は、アルメニアの主権、独立、領土保全への米国の支持を再確認した。両氏は19日にも電話会談した。
アルメニア共和国とは
ユーラシア大陸の南コーカサスの内陸国である。西アジアのアルメニア高原に位置し、西にトルコ、北にジョージア、東に事実上の独立した共和国アルツァフ共和国とアゼルバイジャン、南ではイランとアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァンに国境を接する。首都はエレバン。古代の文化遺産を持つ、単一・多政党制・民主主義の国民国家である。
同国の地域はウラルトゥを基盤に形成されている。ウラルトゥが成立したのは紀元前860年で、紀元前6世紀にはアルメニア・サトラピーに取って代わられた。アルメニア王国は紀元前1世紀にティグラネス大王のもとで絶頂期を迎え、紀元3世紀末から4世紀初頭には世界で初めてキリスト教を公教として採用した国家となった。国家がキリスト教を採用した正式な日付は301年である。アルメニアは現在も世界最古の国教会であるアルメニア使徒教会を国の主要な宗教施設として認めている。古代アルメニア王国は、5世紀初頭頃に東ローマ帝国とサーサーン朝の間で分裂した。バグラトゥニ朝のもと、9世紀にバグラトゥニ王国が復活してアルメニア王国となった。東ローマとの戦争で衰退し、1045年に王国は陥落し、アルメニアはすぐにセルジュークトルコの侵略を受けた。アルメニア公国と後にキリキア・アルメニア王国は、11世紀から14世紀の間に地中海の海岸に位置していた。
16世紀から19世紀の間に、東アルメニアと西アルメニアで構成される伝統的なアルメニアの祖国は、オスマン帝国とペルシャ帝国の支配下にあり、何世紀にもわたって、2つのどちらかによって繰り返し支配された。19世紀までには、東部アルメニアはロシア帝国に征服され、西部アルメニアはオスマン帝国の支配下にあった。第一次世界大戦中、150万人のアルメニア人がオスマン帝国の先祖代々の土地に住んでいたが、第一次世界大戦で組織的に絶滅させられた。1918年、ロシア革命後、ロシア帝国が消滅した後、ロシア以外のすべての国が独立を宣言し、アルメニア第一共和国が成立した。1920年にはザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国に編入され、1922年にはソビエト連邦の建国メンバーとなった。1936年には、アルメニア・ソビエト社会主義共和国を含む構成国が完全な連邦共和国へと変貌を遂げ、トランスコーカサス州は解散した。1991年、ソビエト連邦の崩壊に伴い、現代のアルメニア共和国が独立した。
アルメニアは発展途上国であり、人間開発指数(2021年)では85位にランクされている。その経済は主に工業生産と鉱物採掘に基づいている。アルメニアは地理的には南コーカサスに位置しているが、一般的には地政学的には欧州と考えられている。アルメニアは地政学的に多くの点で欧州と連携しているため、欧州評議会、東方パートナーシップ、ユーロコントロール、欧州地域協議会、欧州復興開発銀行など、数多くの欧州組織に加盟している。
アルメニアはまた、アジア開発銀行、集団安全保障条約機構、ユーラシア経済連合、ユーラシア開発銀行など、ユーラシア大陸の特定の地域グループにも加盟している。
アルメニアは、国際的にアゼルバイジャンの一部と認められている地域であり、ロシアの軍事的後ろ盾があって1991年に一方的に独立が宣言された、事実上の独立国であるアルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)を支持してきたが、2023年9月19日、トルコ、イスラエルからの支援を得たアゼルバイジャンからの軍事反攻を受けてナゴルノ・カラバフ地域のアルメニア人は全面降伏。
ウクライナへの軍事侵攻のさなかにあるロシアは他国を軍事支援できる余裕など全くない状況で、アルメニアはアルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)をわずか3日で失った。
ナゴルノ・カラバフ地方ではアルメニア人の人口が多く、同地域のアルメニアへの帰属変更を掲げたことでアゼルバイジャンと分裂状態となり、ソビエト解体から1994年に停戦合意をするまで紛争地域となっていた。
停戦合意後も2014年に衝突が起き不安定な状態を抱えており、2016年4月2日、ナゴルノ・カラバフ自治州でアゼルバイジャンとアルメニア軍による軍事衝突が発生している。
戦闘は翌3日も続き、兵士30人が死亡している。
この戦闘でアゼルバイジャンは初めて勝利し「八つの丘を含む200ヘクタール」を奪還した。また2020年の紛争でもアゼルバイジャンは優位に戦いを進め、ナゴルノ・カラバフのうち首都ステパナケルトとラチン回廊を除く大部分の領土がアゼルバイジャンに返還されることとなった。
参考文献・参考資料
「ガスもインターネットも遮断」係争地の住民語る アゼルバイジャンの軍事行動で現地は今 (msn.com)
アルメニアに1050人避難 迫害恐れ、係争地ナゴルノカラバフから | 毎日新聞 (mainichi.jp)
アルメニア:アルメニア、国連に監視団要請 ナゴルノ紛争 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
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