政治講座ⅴ1621「The Gathering storm」
歴史を振り返ると明治維新において西洋の科学水準に追いつくために若い留学生が欧米で学んだ。その当時の清王朝は難しい漢字を覚えるだけの学問に終始して、まさに「論語読み論語知らず」であった。福沢諭吉著『学問のすすめ』を読むと難しい文字を読むことだけに終始して、庶民を啓発する文章を書かない有様であった当時のことが掛かれている。そして実学(科学)の重要性が書かれている。このように、日本は西洋の科学という学問に追いつくために必死で翻訳を始めたのである。日本が翻訳した言葉は大変、的を得ていて、西洋の文献を翻訳するには日本語に訳された語彙を学ばなけれなならなかった。そのために、「中国語の70%が日本語である」と言われている。中華人民共和国の国名も「人民」「共和国」などは日本語である。
文法が違うが「漢文」を学んだ人には中国語も若干読めるのであるが、実学において、この様に日本の科学は中国に比べて「一日の長(いちじつのちょう)」があるのである。このために清王朝のときには孫文などの革命家が留学して「自由・民主主義」を学んだ。
最近、香港(イギリスに租借地)が中国に返還されたが、「自由・民主主義」があ弾圧を受けて、中国から移住する者が増えているようである。その対象地に日本や欧米がある。
近年、中国は国防動員法や中国警察の海外拠点をつくり、監視体制を作り、故郷にいる家族を人質にして、弾圧を強化している。嵐が日本に集まりつつある様相を呈している。
今回はそのような報道記事を掲載する。
蛇足:数年前、奈良・京都の観光巡りをした。中国の人が言うことには、「日本には中国では失われた文化財が沢山残されている」とのことである。思えば中国に渡った仏教の寺院や経典は、儒教が主流になると破壊された。近年は中国共産党の文化大革命でチベット仏教も弾圧された。
日本には神武天皇の即位から2684年経て、天照大神も大事にしているが、渡来の仏教も大事にしている。日本は八百万の神としてすべての神を大事にしているのである。翻って、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の発祥は一神教の同根であるが、争いが絶えない。悲しむべきである。
皇紀2684年2月6日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
習近平の手を逃れ、中国のインテリが東京に大集結 中国国内の政治対立が日本を巻き込み始めた
舛友 雄大 の意見 •
日本に中国から多くの知識人が押し寄せている。中国で言論統制が厳しさを増しているためだ。属性はジャーナリスト、人権派弁護士、ドキュメンタリー映画の監督、出版業者、学者、芸術家と多岐にわたる。あたかも清朝末期に日本で西洋思想を吸収した後に帰国し、辛亥革命(1911年)をリードした先人たちのようだ。
【写真】2022年11月に新宿で開かれた集会で、白紙運動の発端となったウルムチの火災の死者を悼む参加者
そうした知識人の例として真っ先に挙げられるのが、歴史学者で経済学者の秦暉(しん・き)氏だ。
リベラル派の大物で、2015年には、清朝帝政の呪縛から解き放たれた中国で立憲民主主義が定着しなかった経緯を検証した著書、『走出帝政 (「帝政を抜け出す」)』(邦訳未刊)が発売停止に追い込まれた。現在は東京大学客員教授を務める。
秦氏は都内の大学などで2023年から「全球化和亜州(グローバリゼーションとアジア)」と題する連続講座を実施中で、毎回超満員となっている。
「東京で中国を再建する」
近代史に精通した作家の傅国涌(ふ・こくよう)氏も日本に身を寄せる知識人だ。彼が2011年10月10日に『中国経営報』に発表した「1911年、清朝滅亡前夜」という記事が中国で注目された。書き出しはこのように暗示的だった。
「1911年、北京を支配していた人々は、自分たちの時代がもうすぐ終わるとは一人も考えていませんでした。(中略)上から下まで全員です。彼らの日記には食事や贈り物の記録がつづられており、はたからは本当に繁栄している『盛世』のように見えました」
傅氏も都内で「在東京重造中国(東京で中国を再建する)」というテーマで、清朝末期に日本にやってきた中国人思想家についての連続講座を開いている。
2010年ごろから中国の知識人の受け入れを積極的に行ってきた東京大学大学院総合文化研究科の阿古智子教授(現代中国研究)も、日本に拠点を移す中国知識人の増加を感じている。
阿古教授は2022年に、東京・中野にある自宅の一部を「亜州コモンズ」と名づけて開放し、宿泊者を受け入れている。かつて政治犯や思想犯が収容された旧中野刑務所(豊多摩監獄)の表門(通称「平和の門」)と中国陝西省の横穴式住居「窰洞(ヤオトン)」をイメージして作られたガラス張りの玄関がトレードマークだ。
ここには言論活動への統制が強まる中国や香港からのゲストが宿泊してきた。政治的事情で弁護士資格を奪われた女性弁護士、ゲイのジャーナリスト、#MeToo運動を牽引してきた女性とそのパートナーなどだ。
現在の香港では政治的な講演会などを開催することが難しくなっている。かつては香港中文大学が中華圏のホットトピックについて忌憚なく議論できる場だった。「東大をそういう場として提供することで、中華圏の言論活動を活発にし、議論を深めていきたい」と阿古教授は語る。
筆者が2023年11月に東大で参加したフェミニズムをテーマとするワークショップでは、30人ほどの中国人学生らがゲストである在米中国人フェミニストの言葉に熱心に耳を傾けていた。
また、同年6月に東大でポッドキャスト番組「不明白播客」のファンミーティングの司会を筆者が担当した時にも、大講義室が満員になるほどの盛況ぶりだった。ニューヨークタイムズ・コラムニストの袁莉氏がホストをつとめ、中華圏で大人気となっている番組だ。
ここ数カ月だけで、筆者は都内で、前出の連続講座以外にも、ビル・ゲイツ財団に勤めたこともある著名教育家の李一諾氏のイベント、香港バプティスト大学ジャーナリズム学院で教鞭を執る、著名ジャーナリストの閭丘露薇(りょきゅう・ろび)氏らのイベントに参加した。
これらのイベントの参加者はほぼ100%が在日華人だった。まるで、5年以上前の香港、そして10年以上前の北京の言論空間が今の東京に再現されたかのようだ。
日本における知識人の大集合には、仕掛けられた側面もある。
国際交流基金や外務省のプロジェクトとして、日本とパイプがある人物を日本へ招聘する動きが2000年代後半に本格化した。
その後、この取り組みは中国で影響力のある知識人を呼ぶ方向へさらに進化した。いま中国から拠点を日本に移している著名な知識人には、そうした招聘で日本に足を運んだことがある人が多い。
大物外交官によるバックアップ
こうした知識人と強固なネットワークを形成したのが、先ごろ駐中国大使を離任した垂秀夫(たるみ・ひでお)氏だ。垂氏はメディアで「チャイナスクールでありながら中国に毅然とした態度で臨んできた」と評されることが多いが、同時に中国で人権派を含めた幅広い人脈を築いてきた。
実はそれこそが「垂さんの外交官として最大の功績」(外務省関係者)という評価すらある。
退官したばかりの垂氏は、筆者の取材に対して、日本側が「結果的に共産党を支援する形となった天安門事件以降、民主化志向の強い知識人は日本に対する関心を失っていたが、一連の訪日で民主主義と法の支配が定着した日本を再発見した。また東日本大震災発生時期に訪日し、日本人の秩序ある行動に深く感動した者もいた」と話す。
そうした中国の知識人の中には、日本の選挙期間中に訪日し、民主主義の実情に触れる機会に遭遇し感銘を受けた者もいたという。街頭演説する安倍晋三首相(当時)と握手できたなどと、とても喜んでいる様子だったそうだ。中国国内では、庶民が最高指導部と直接触れ合う機会はほとんどないからである。
垂氏は、「中国人の日本渡来ブームは、清朝末期と改革開放後についで今回が3回目。今回は中国に対する国民感情が悪い、そして来日する中国人には富裕層が含まれているという特徴がある。何十年後かに振り返って、『あの時、3つ目の波を日本社会はきちんと受け入れられていたか』という検証に耐えられるような対応を考えなければならない」と話す。
そこから見えてくるのは、富裕層が知識人を支えて、新たな政治的勢力を育てる可能性だ。垂氏は「日本に逃げてくる中国人を中国共産党の一味と捉えるべきでなく、こうした人々を逆に戦略的に取り込むくらいの発想や度量が求められるのではないか」と指摘する。
中国の知識人が日本に来る背景には、香港の自由度が低下する中で、中国政府への抗議活動の前線が香港から東京に移ってきているという側面もある。
2022年11月末に中国各地でゼロコロナ政策に異議を唱えた「白紙運動」が起きた際には、東京でもJR新宿駅南口で数百人が参加する集会が開かれた。
この集会の準備メンバーによると、この集会には香港のデモを継承したところがあった。例えば、参加者たちは中国当局による情報監視が難しいチャットアプリの「テレグラム」で連絡を取り合い、中国大使館員による監視に備えてマスクをつけていた。参加者には多様な意見の発出を認め、リーダーを作らず、看板に工夫を施したりしていた。
中国の現状を変えたいと願う人々の集結は、今後長期的に日本、そして中国に何をもたらすのだろうか。20世紀初頭のように新たな思想的新潮流が東京で生まれ、やがて中国の体制を変えるほどのインパクトを持ちえるのだろうか。
日本への知識人の招聘を進めてきた東大の阿古教授は「まだまだですね」と話す。現時点で体制変革にコミットする中国人は多くない。
「中国が経済的にも軍事的にもかなり厳しい状況になった時に、どう声を上げるかですよね」。たとえば台湾有事などが本当に差し迫った時には、在日中国人により何らかの組織が立ち上げられるのではないかとの見方だ。
清朝末期との共通点を指摘する向きは多いが、違いを指摘する声も聞こえてくる。そもそも当時と違って、現在の中国の国力は日本を大きく上回る。ヨーロッパの大国であるロシアに勝った当時の日本は、アジアにおける政治の首都だったといっていいが、今や日本の位置づけは「文化の首都」(「単行街書店」経営者の許知遠氏)である。
そして、中国では情報管理がますます徹底されるようになり、海外からの声が国内に届く状況ではない。それどころか、中国国内は、ますます体制擁護的で愛国的な声であふれるようになってきている。
さらに、中国の秘密警察が海外在住者にも影響力を及ぼせるようになっている。日本で学ぶ香港人留学生が地元に帰った際に、留学中のSNSへの投稿をめぐり香港国家安全維持法違反の疑いで逮捕され、2023年11月に禁錮2カ月の実刑判決が下ったのは記憶に新しい。
体制派も反体制派も存在感高める
中国のネット上で、過激な愛国的主張を繰り返す「小粉紅」は日本にも浸透している。2023年8月には、福島第一原子力発電所からの処理水放出に反応して「当店の食材はすべて福島県産です」との黒板を掲げた新宿の居酒屋に中国人が突撃した動画が話題になった。その一方では、そうした店を応援するためにわざわざ食べに行く反体制的な在日中国人もいた。
反体制派の動向に詳しいある東京在住の中国人青年は、「一昔前までは中国人留学生には政治に無関心な層が多かったが、コロナ以降は、留学生の中で愛国的かつ中国共産党に近い立場と反体制派の両極への分断が進んだ」と話す。国際情勢の変化で、在日中国人コミュニティ内で政治的傾向の違いが鮮明になってきているのだ。
いずれにせよ、東京では体制派と反体制派が共に存在感を示すようになっており、今後何らかのきっかけで摩擦が起きる可能性についても想定しておく必要があるだろう。日本の国内に「もう一つの中国」が出現しつつあるとすら言える状況なのだ。もはや日本人は中国政治をめぐる鋭い矛盾に、部外者ではいられなくなってきた。
中国人向けの書店が東京で続々開業する深い事情 言論統制を嫌うインテリが日本に脱出している
舛友 雄大 の意見 • 8 時間
「日本の警察はめちゃくちゃ友好的です。中国だと勝手にドアを破って入ってきますからね」
【写真で見る】銀座に中国人向けの書店を開いたのは、故・坂本龍一氏とも交流があった著名な知識人
2023年春に北京から東京に拠点を移したばかりの郭氏(33歳、仮名)はそう呟く。若きドキュメンタリー映画の監督だ。かつて中国には、当局の審査を受けないインディペンデント映画としてドキュメンタリーを撮った監督が、欧米で賞を獲得しスターダムに登り詰めるというキャリアパスがあった。
だが、2012年に習近平政権がスタートして以降、記録映画業界は徐々に追い詰められて行き、北京、南京、雲南にあったインディペンデント映画祭は2020年までに全て終了となった。
「言論の自由」が移住の理由に
「日本に来たのは、作品の安全のためです。私の作品は未来の人に向けたものなのです」。彼が中国で撮った歴史をテーマとする作品は全て未公開のままで、採算は取れていない。日本に来た最大の理由は、自分が苦労して作った作品をせめて守り通すこと。
習近平国家主席に権力の一極集中が進む中で政治的なリスクが今後増大するだろうという判断、そして中国では人々が本当のことを言わなくなってきていることへの失望も祖国を離れた理由なのだという。
郭氏が知っている範囲だけでも、ここ3年ほどで自身を含め7人もの記録映画監督が日本へ渡った。特に2022年春の上海ロックダウン以降、雪崩を打ったように中国人が先進国などへ移住するようになってきている。これは「潤(ルン、英語のrunとかけている)」と呼ばれる現象で、富裕層や都市部のアッパーミドルクラスが日本にやってくるパターンが知られる(参考記事:中国から日本へ大脱出する「新富裕層」驚きの生態)。
「資産の保全」「良好な教育」以外に日本を選ぶ人々のもう一つの典型的な理由が「自由な言論空間」で、郭氏はその典型だ。
中国で有名な作家・コラムニストの賈葭氏もコロナ禍期間に日本へ移住してきた知識人の一人だ。賈葭氏はテンセント傘下のメディア「大家」を立ち上げ、北京・香港での生活をまとめた随筆集などの著作がある。今では東京大学教養学部の客員研究員も務める。2016年には、習近平国家主席の辞任を求める公開状に関連してか、一時消息を絶ったこともあった。
賈氏は2010年頃から「早発早移(=早く稼いで早く移民する)」という言葉を提唱し始めたことで知られる。今振り返るとある種の体制批判だったのだという。
「辛亥革命」前後の状況と通じる
最近中国人知識人が日本に相次いで移住してきている現象については、辛亥革命(1911年)の前後、1895年〜1920年代半ばごろの状況と似ているところもあるとみる。
当時、魯迅、梁啓超、孫文といった進歩派の中国人の文学者、思想家が日本に滞在していた。混沌とした清末〜中華民国初期にあって、彼らは日本で貪欲に西洋思想を身につけた。東京では、清朝打倒を目的とする中国同盟会が設立され、横浜では「清議報」や「新民叢報」といった雑誌や新聞が誕生した。
日本側も中国の動向に関心を持ち、政界では犬養毅が、民間では宮崎滔天や梅屋庄吉といった人々が反体制派の中国人を側面支援した。
賈氏は、日本で中国人知識人が増加していることから、今後は中国の教材を使わない中国人学校、中国政府の影響を排した中国系メディアアプリ、中国系出版社などが日本に登場する可能性があると予測する。
実際に、中国で20年以上出版業界で働いた経験があり、「潤」してきたばかりの張適之氏は2023年12月に自ら起こした「読道社」から簡体字の本を2冊出版した。「中国人知識人が東京に集合するようになったと感じたことが出版のきっかけになった」と話す。
さらに特筆すべきことに、東京では中華系書店の本格進出が目立つようになってきた。しかも、それぞれイベントの開催に力を注いでおり、コミュニティの形成が着実に進んでいる。
中国国内で独立書店チェーン「単向街書店」を運営する許知遠氏が、その仕掛け人の一人だ。中国を代表する知識人で、故・坂本龍一氏をはじめとする世界のオピニオンリーダーと対話してきたことで知られる。長身で7頭身はありそうな、芸能人のような風貌の人物だ。
許氏らは、2023年8月に東京・銀座に初の海外店をオープンした。独立書店とは大手チェーンに属さない特色のある書店で、オーナーの独自色が打ち出されている。
ここでは、主に中国で出版された書籍を扱い、日本語や英語の本も販売している。日本人が普通イメージする個人書店とは違って、外見や内装はとにかくオシャレ。エントランスの縦に長い自動ドアと螺旋階段、そして吹き抜けが開放感を演出する。
カフェ機能も備えるほか、2階では思想家や作家を呼んで毎週のようにイベントが開かれている。中国でよくみられる独立書店そのものだ。最近は、書籍購入やイベントの際に割引が受けられる会員制も導入した。
店内でインタビューに応じた許さんに問うてみた。「どうしてあなたを含めた中国人知識人はこんなにも日本に注目するんですか?」。
「今でも日本が鏡だからです」と許さんは回答する。「清朝末期、日本は大国でした。(当時、ロシアに戦争で勝利するなど)日本は西洋にインパクトを与えました。日中両国には似たところも似てないところもあります。さらに20世紀には日中間で大きな戦争も起きました」。
日本の近代は避けて通れない
中国の問題を考えるとき、日本の近代は避けて通れない、というのが中国人知識人の共通認識だ。
日本にやってきた中国人知識人はどのような暮らしをしているのか? 多くは目立たないように過ごしている。親戚がまだ中国にいる、もしくは本人がまだ時々中国に帰国するような場合は、より一層慎重な言動に努めている。
去年から都内のURで暮らし始めたばかりのある中国人ジャーナリストは「東京に来た知識人には、靖国神社を訪ねる人が多いです」と明かす。靖国神社は中国では徹底的に否定されている存在なので、実際にどんなところなのか見てみたいとの好奇心がわくのだそうだ。
前出の張氏は、先日、江戸末期にアメリカに開港を迫られた静岡県下田市まで車で行ったと話していた。こちらは、中国の近代化がなぜ日本の明治維新のようにスムーズに行かなかったのかという疑問から出発している。
単向街書店銀座店について、許氏は文化交流の場になってほしいと言う。日中だけでなく、韓国やタイ、フィリピンなどを含めた「アジアの書店」にする目標を掲げる。「政治ももちろん非常に重要ですが、表面的でもあります。文化は非常に深くて、長期的に影響を及ぼします」。
1970年代生まれの許氏が中国における環境の変化を説明する。「中国では2000年以降の経済成長に伴って知識分子が影響力を失いました。ここ10年はスターを中心とするエンタメの興隆もあり、知識分子の存在がさらに周縁に追いやられました」。
許氏ははっきり語らないが、中国では過去10年で当局によるコントロールによって言論空間がグッと縮まり、社会問題を真剣に議論するような雰囲気は雲散霧消した。
国際ランキングでの躍進とは裏腹に、許氏の目には、教育システムの硬直化により、中国の大学の質は悪化していると映る。その中で独立書店が提供する空間は実はますます重要になってきているとの見方だ。銀座店でも、日本などで良好な教育を受けた若い在日中国人が来るようになると期待を寄せる。
東京に「知識人」が集まってきている証左
それだけにとどまらず、2023年12月には中国人社会活動家の趙国君氏が神保町に「アウトサイダー中文館(中国名は「局外人書店」)」をオープンした。中国語の絵本を取り扱うほか、店内で自由に本を閲覧でき、会員になると本を借りることもできるのが特徴だ。
開店を前にクラシック音楽の流れる店内でインタビューに応じた趙氏は、薄縁の丸メガネをかけ、左手に収まった木製パイプと相まって、いかにも知識人という風貌だった。
開店理由については、「書店は、元来私のような読書家にとっての夢と理想です。2022年に日本に来て生活が落ち着いた後、自分の好きなことややりたいことをやりたいと思いました」と語る。
自身は学者にはならなかったものの、法律学者を招くサロンを長く運営した経験があり、そのことも書店を開くきっかけとなった。
開店当日に開かれたオープニングセレモニーには多くの新華僑や近年日本に渡ってきた人々が駆けつけ盛況だった。さらには、中国を代表する著名なリベラル系法律学者、賀衛方氏がオンライン参加していた。また開店は、中国の著名思想家である胡適(1891~1962年)の誕生日に合わせるというこだわりぶりだ。
さらに、「東渡飛地」書店が2024年3月に東京・市ヶ谷でオープンする見込みだ。「飛地書店」はもともと香港メディア端伝媒の創立者でジャーナリストの張潔平氏が2022年に台北で1店目を立ち上げた。
「東渡飛地」は、フルオープンを前にした現在、新宿御苑前駅近くのアナーキズムをテーマとするショップ「イレギュラー・リズム・アサイラム」の一角で書籍やグッズを販売中だ。関係者によると、「東渡飛地」では、主に台湾や香港で出版された本を扱う予定とのこと。インディペンデント映画の上映会やスタンドアップコメディのライブも企画する。
都内で華語書籍を扱う店には神保町の老舗である内山書店や日本橋に進出した台湾の大手チェーン誠品書店などの前例があるが、単向街書店のような本格的な華語書店が相次いで開店することそれ自体が、中華圏から東京に少しずつ知識人が集まってきている証左と言えるだろう。
現代中国語の7割は日本語?
中国の現代生活に欠かせない基本概念の多くは日本語
ある中国語の翻訳者から「医学・薬学の日中翻訳はやりやすい、なぜなら専門用語の9割は日本語だから」と聞いたことがあります。
明治時代に西洋医学をいち早く取り入れた日本の知識人たちが、数多くの専門用語を漢字で創作したからです。
たとえば、下記のように。
diabetes(英語) ⇒ 糖尿病(日本語) ⇒ 糖尿病(中国語)
pneumonia(英語) ⇒肺炎(日本語)⇒肺炎(中国語)
しかしながら、実際には医薬の専門用語のみならず、現在の中国人が日常的に使用している中国語のなかにかなり高い割合で日本語が使われているようです。
そのような中国語になった日本語の数は1,000語ほどのようですが、とても使用頻度の高い語彙が数多く含まれているため、それらを使わずには会話が成り立たないほどの存在感があるようです。もっとも当の中国人がそのような事実を知らず日常的にそれらの言葉を使っているようですが。
さて、南京大学文学部教授の王彬彬氏(1962年~、肩書は当時)の「中国語の中に非常に多い“日本語外来語”」という論文に下記のような一節があります。この方は、中国の近現代史、文化批評、文化史を主に研究されている学者です。
「現代中国語の中の“日本語外来語”は、驚くほどの数がある。統計によれば、わたしたちが現在使用している社会・人文科学方面の名詞・用語において、実に70%が日本から輸入したものである。これらはみな、日本人が西洋の相応する語句を翻訳したもので、中国に伝来後、中国語の中にしっかりと根を下ろしたのである。わたしたちは毎日、東洋のやり方で西洋の概念を論じ、考え、話しているのだが、その大部分が日本人によってもたらされたものである。(中略)最後にわたしは言いたい。わたしたちが使用している西洋の概念について、基本的には日本人がわたしたちに替わって翻訳したものであり、中国と西洋の間には、永遠に日本というものが挟まっているのである。」(日本語訳:松永英明氏)
また、上海外国語大学日本語学部教授の陳生保氏(1936年~、肩書は当時)の「中国語の中の日本語」という論文の中にも下記のような一節があります。
「共産党、幹部、指導、社会主義、市場、経済という文は、 すべて日本製漢語語彙でできているといったら、 これらの語彙をさかんに使っている普通の中国人は信じかねるだろうし、 これらの語彙の原産地の日本人も、 たぶん半信半疑だろうが、 しかし、 それは事実である。(中略)日本語来源の語彙のほとんどは現代生活に欠かせない基本的概念であり、使用頻度の高いものであり、しかも造語力のあるものが多い、ということを考えると、現代中国語における日本来源語の影響が非常に大きいといわねばならない。」
西洋文明を漢字化した日本人
日本では江戸時代末期以降、西洋から多くの思想、学問を導入し、西洋の知的抽象語を既存の日本の概念に置き換えるのではなく、漢字を使ったまったく新しい言葉に置き換えました。
そして20世紀初頭、日清戦争で日本に負けた清国は遅れを取り戻すべく、合計61,230名という数多くの留学生を日本へ送り、多数の日本の書物を中国語へ翻訳しました。あの有名な魯迅もその中の一人です。それらの留学生が日本で生まれた新しい言葉を中国へ伝え、それが現代の中国に今でも脈々と受け継がれているのです。
たとえば下記はそのほんの一例です(Wiktionary 和製漢語より)
暗示、意識、遺伝、入口、右翼、運動、栄養、演出、演説、鉛筆、温度、階級、会計、概算、回収、会談、概念、解放、科学、活躍、化膿、環境、関係、間接、簡単、幹部、議員、議院、議会、企業、喜劇、気質、基準、規則、基地、規範、義務、共産主義、協定、業務、教養、共和国、記録、金額、銀行、金融、空間、偶然、組合、軍国主義、計画、計器、景気、経験、経済、経済恐慌、警察、芸術、系統、経費、劇場、化粧品、決算、権威、現役、現金、原作、現実、現象、原則、建築、原理、講演、効果、抗議、工業、広告、講座、交際、光線、交通、肯定、公認、高利貸、効率、小型、国際、克服、故障、固定、債券、財閥、債務、作者、作家、雑誌、左翼、紫外線、時間、茂樹、施行、施工、市場、指数、思想、実感、実業、失効、実績、質量、失恋、指導、支配、資本、社会、自由、宗教、集団、終点、就任、主観、出発点、出版、蒸気、乗客、商業、証券、条件、常識、承認、消費、情報、私立、資料、進化、人権、信託、新聞記者、人民、信用、心理学、侵略、制限、政策、清算、生産、精神、性能、積極、絶対、接吻、繊維、選挙、宣伝、総合、想像、速度、体育、退化、大気、代議士、対局、対象、体操、代表、立場、棚卸、単位、探検、単純、蛋白質、知識、抽象、直接、定義、出口、哲学、電子、電車、伝染病、電波、電報、展覧会、電流、電話、動員、投資、独裁、図書館、内閣、内容、日程、任命、熱帯、年度、能率、背景、派遣、覇権、場所、発明、反響、反射、反対、反応、悲観、悲劇、美術、必要、否定、否認、批評、備品、評価、標語、広場、舞台、物質、物理学、不動産、文化、文学、分子、分析、分配、文明、方案、方式、放射、方針、法人、法則、方程式、法律、保険、母校、保障、本質、漫画、蜜月、密度、民族、民放、無産階級、明確、目的、目標、唯物論、輸出、要素、拉致、理想、理念、了解、領海、領空、領土、理論、倫理学、類型、冷戦、歴史、労働組合、労働者、論理学
漢字の知的財産権は?
中国においても西洋の概念を中国の既存の概念に置き換えようと試みた時期があったようです。しかし、日本人の作った漢字の造語の方が色々な意味で分かりやすく心地よかったのでしょう。
「中華人民共和国」という国名のうち、「人民」と「共和国」は日本で生まれた言葉だと知っている中国人はどれほどいるでしょうか?実際、日本から輸入された言葉を使わなければ、毛沢東の「毛沢東語録」は存在し得なかったでしょう。
ある時、日本の知的財産権を侵害する中国に憤りを感じた日本人が「中国は日本に知的財産の対価を支払うべきだ」と言ったところ「それならば日本は中国に漢字の使用料を払え」と言い返されたそうです。
しかし、現代中国語の7割が日本から輸入された言葉だと知れば、少なくとも漢字の使用料に関しては、平和裏に「フィフティー・フィフティーでよろしいのでは」ということになるのではないでしょうか。
カテゴリー: 中国, 翻訳業界をとりまく環境 | 投稿日: 2019年8月23日 |
丸山均 プロフィール
株式会社 ジェスコーポレーション 代表取締役(1988年~現在)
一般社団法人 日本翻訳連盟 元理事、副会長(2003年~2016年)
<出身地>
横浜・・・マリンタワーの灯を見て育つ。現在は江の島灯台が見える鎌倉市在住
<家 族>
妻、子供2人、チワワ2匹
<好きなスポーツ>
遠泳・・・世界中のエメラルドグリーンの海を泳いで島めぐりするのが夢
ダンベルウォーキング・・・2kgのダンベルを手に持って鎌倉の山と森を散策。コロナ禍以降は会社が休みの日は毎日12kmを満喫
<好きな飲み物>
ワイン、ウイスキー(スコッチ、アイリッシュ)、野菜ジュース、むぎ茶
<好きな食べ物>
パクチー以外ならなんでも
<関心事>
ウクレレ、ダンベルウォーキング、世界の島めぐり(遠泳)、世界の酒めぐり(蒸溜所、醸造所)、トータルイマージョン泳法、健康オタク
<ヘッダーの写真>
2020年11月、宮城県松島の「円通院」で撮影
国防動員法とは
中華人民共和国の法律。
1994年に設置された国家国防動員委員会によって2005年に提出され、2010年2月26日に開かれた中華人民共和国第十一届全国人民代表大会常務委員会第十三次会議で決定、2010年7月1日から施行された。
1994年の委員会設置から国防動員法の成立までの間に、新たな国防基本法となる国防法(1997)が施行され、同年人民防空法も施行、1998年には兵役法が改正され、2000年に現役将校法を修正した。また、2001年には国防教育法が新たに成立、2003年には中国人民解放軍政治工作条例を修正し他国への世論戦などを規定した。
2008年には行政部局を統廃合し国家国防科技工業局を設立し宇宙航空部門と国有企業の監督を集約させた。2009年は中国の特許法となる専利法を改正し、有事の際には登録された特許の無承諾での徴用が可能となっている。これらの法令群の一斉改正の言わば集大成として、国防動員法が制定された。なお、法案提出機関でもある国防動員委員会が、同法によって権限を規定され、具体的な動員令の実務調整に当たる。
同法は主に以下の内容を含んでいる。
中国国内で有事が発生した際に、全国人民代表大会常務委員会の決定の下、動員令が発令される
国防義務の対象者は、18歳から60歳の男性と18歳から55歳の女性
国務院、中央軍事委員会が動員工作を指導する
個人や組織が持つ物資や生産設備は必要に応じて徴用される
有事の際は、交通、金融、マスコミ、医療機関は必要に応じて政府や軍が管理する。また、中国国内に進出している外資系企業もその対象となる
国防の義務を履行せず、また拒否する者は、罰金または、刑事責任に問われることもある
中国警察の海外拠点、日本に2か所か…外務省が「断じて容認できない」と申し入れ
2022/12/20 07:06
外務省などは19日、自民党外交部会などの合同会議で、スペインの民間活動団体(NGO)が公表した報告書の内容として、中国の警察当局が日本国内に活動拠点を設置している可能性があると明らかにした。
外務省などによると、報告書が示した中国の警察当局の日本国内の拠点は2か所。中国の福建省福州市公安局が東京都内に開設しているほか、江蘇省南通市公安局も所在地不明ながら設置しているとされる。出席議員からは、中国の活動について実態把握を急ぐよう求める声が相次いだ。
自民の保守派議員でつくる「日本の尊厳と国益を 護まも る会」も同日、国会内で、活動拠点の設置を巡り、有識者らから意見聴取を行った。
外務省は既に、外交ルートを通じて中国に対し、「仮に我が国の主権を侵害するような活動が行われているのであれば、断じて容認できない」との申し入れを行っている。
参考文献・参考資料
習近平の手を逃れ、中国のインテリが東京に大集結 中国国内の政治対立が日本を巻き込み始めた (msn.com)
中国人向けの書店が東京で続々開業する深い事情 言論統制を嫌うインテリが日本に脱出している (msn.com)
現代中国語の7割は日本語? | ジェスコーポレーション 社長ブログ (jescorp.co.jp)
中国警察の海外拠点、日本に2か所か…外務省が「断じて容認できない」と申し入れ : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)
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