見出し画像

政治講座ⅴ1958「三角大福戦争の再燃」

三角大福は、佐藤栄作内閣総理大臣・自由民主党総裁の後継の座を、1970年代の自民党の実力者である三木武夫田中角栄大平正芳福田赳夫の4人が争ったことから、各人の名前の1文字を取って表した言葉である。
いま半世紀を経て内部抗争に再突入した。怨念が怨念を生み、恩を仇で返す仁義なき戦いが始まった。歴史は繰り返されるのである。人間の悲しい性であろうか。
今回は歴史を俯瞰して現在の政権を考察する。

     皇紀2684年10月1日
     さいたま市桜区
     政治研究者 田村 司

岸田文雄が放送禁止用語で高市早苗を「猛口撃」!感情むき出しの敵意が「石破茂新総裁」を生んだ

アサ芸プラス によるストーリー

岸田文雄が放送禁止用語で高市早苗を「猛口撃」!感情むき出しの敵意が「石破茂新総裁」を生んだ© アサ芸プラス

自民党・石破茂新総裁誕生の立役者となったのは、岸田文雄前総裁だった。自ら派閥を解散しておきながら、会長だった旧宏池会票を石破氏支持でまとめたからだ。岸田氏が石破氏を支持した要因はいくつかあるが、個人的に高市氏を毛嫌いしていたこともある。

高市氏が総裁になった場合、靖国神社参拝を公言しているため、自身が積み重ねてきた日米、日韓関係に亀裂が生じる。それを懸念したというのが、高市氏を支持できない表向きの理由とされる。

ところが宏池会関係者によると、岸田氏は高市氏について、放送禁止用語を使って「あの××××女」と感情をむき出しにしていたという。

岸田氏は当初、旧宏池会議員に対して「党員票が多い候補に入れる」との指示を出していた。石破氏が党員票でトップになることを見越しての発言だった。ところが高市氏が党員票で石破氏を逆転しそうな情勢になると「高市氏以外で」と変更した。

岸田氏がなりふり構わず高市氏を追い落とそうとする行動に出たのはなぜか。

「両者は抜き差しならない関係になっていた」

と宏池会関係者は証言する。

直接のきっかけは、能登半島地震だ。高市氏は1月16日、復興を最優先にすべく、来年開催の大阪・関西万博を延期するよう、岸田氏に進言した。万博は所管外だったが、高市氏の行動は「政権に反旗を翻したか」と党内外に波紋を広げた。

対応を迫られた岸田氏は、予定通り実施することを決めた。ところが高市氏が岸田氏とのやり取りを動画投稿サイトで暴露したため、岸田氏は激怒。高市氏は会見で「首相を信頼してお任せしたい」と発言を後退させた。

高市氏は2022年12月にも、岸田氏が防衛費を増額するための財源の一部を増税で賄う方針を示すと、SNSで「賃上げマインドを冷やす発言を、このタイミングで発信された総理の真意が理解出来ません」と批判した。これを野党から追及されると、

「間違ったことを申し上げた、との考えはない。罷免されるなら仕方がないとの思いで申し上げた」

と言って開き直った。

こうしたことが積もり積もって、岸田氏とすれば高市氏にリベンジしたのだろうが、ある閣僚経験者は、

「個人的な感情をむき出しに女性を攻撃するやり方は『ミスター・ジェントルマン』のすることではない」と岸田氏を皮肉るのだった。(田中紘二/政治ジャーナリスト)


「次」見据え…高市早苗氏は石破政権と距離置く構え 「国賊」発言の村上氏起用も党内刺激


自民党総裁選後の両院議員総会で握手を交わす石破茂新総裁(左)と高市早苗経済安全保障担当相=27日午後、党本部(鴨川一也撮影)© 産経新聞

先の自民党総裁選で石破茂総裁に決選投票で敗れた高市早苗経済安全保障担当相は、新政権と距離を置く構えだ。党内では人事などを巡って石破氏に対する不満がくすぶっており、高市氏としても次期総裁選を見据え、自由に行動できる道を選んだとみられる。

総務会長の提示「低く見られすぎ」

「丁重にお断りした」。党役員人事で石破氏から総務会長就任を打診された高市氏は周囲にこう語る。総裁選で支援を受けた同僚議員らから「(党ナンバー2の)幹事長以外は受けるべきではない」と助言されたことも背中を押した。

安倍晋三元首相は平成24年の総裁選で、決選投票の末に破った石破氏を幹事長に起用し、挙党態勢を構築した。しかし、今回の総裁選の1回目の投票で最も多くの票を集めて決選投票に進んだ高市氏に対し、石破氏が提示した役職は総務会長だった。

高市氏周辺は「低く見られすぎだ」と憤る。もっとも石破氏には好待遇だとの思いがあり、固辞された後、周囲に「そうですかって感じだな」と淡々と語った。

人事「振り切れてしまった」

石破氏が、安倍氏を「国賊」と呼び、1年間の党役職停止処分を受けた村上誠一郎元行政改革担当相を総務相に起用する方針を固めたことも党内を刺激している。

旧安倍派の若手議員は「われわれに対する宣戦布告だ」と激怒。石破氏と親しい自民重鎮も「果たして新政権は持つのか…。人事が振り切れてしまった」と懸念する。

総裁選で高市氏を支持した中堅議員は「無役」でいた方が次期総裁選挑戦に好都合だと指摘。「地方をこれまで以上に回って牙を研げばいい。下手に役職に就いたら言動も制限される」と巻き返しを誓う。(竹之内秀介、長橋和之)

石破新総裁 首相就任前に解散“フライング”発表 豹変の背景は?党関係者「今までの自民党と変わらない」

スポーツニッポン新聞社 の意見

石破茂氏© (C) スポーツニッポン新聞社

 自民党の石破茂総裁は30日、党本部で記者会見し、次期首相として衆院選を10月27日投開票の日程で実施すると表明した。9日に衆院を解散する意向で、公示は15日となる。首相就任前に衆院選日程を明言するのは極めて異例。立憲民主党の野田佳彦代表は「国会軽視だ。不見識極まりない」と批判した。

 石破氏は、各自治体の選挙準備の観点から就任前に表明したと説明。しかし、きょう1日の新内閣発足を受けた会見で表明すればよく、説得力はなし。政府関係者は「報道されたからだが、“決まっていない”と押し通すべきだった。発言が軽すぎる。あり得ない」とこき下ろした。

 臨時国会は1日召集。4日に衆参両院で所信表明演説、7日から各党代表質問を行う日程が想定されている。与党は会期を9日までと野党に提案。この窮屈な日程の中で同日までに党首討論か衆参両院の予算委員会を開催し、その後に解散する段取りだ。9日解散なら投開票まで18日間。戦後2番目に短い。

 総裁選では、答弁能力が不安視された小泉進次郎選対委員長が予算委回避狙いと受け取れる言動をする一方、石破氏は「国民に判断材料を提供するのは政府、与党の責任」として、一定程度の日数を確保した予算委開催を主張し自身の論戦力をアピール。このため、投開票日は11月10日が有力視されていた。しかし、短期決戦にシフト。代表質問のような一方通行ではない議論をする日は1日だけになるとみられる。

 石破氏豹変(ひょうへん)の背景にあったのは、森山裕幹事長の進言。選挙情勢の分析にあたる党関係者は「野党に選挙協力など陣容を整える時間を与えたくなかった」と指摘。さらに「日程をずらせば、閣僚や党幹部の失言やスキャンダルのリスクが増えるだけだ」と本音をこぼした。自民党の一部幹部らは昨年、東京地検特捜部による裏金事件捜査の動きを察知し、岸田文雄首相に早期解散を進言。首相は判断をためらい、総裁選不出馬に追い込まれていった。一連の進言劇には森山氏も関わっていたとされている。

 裏金事件で逆風が吹き荒れる中での衆院選。過半数を獲得できても現有議席からの減り幅次第では、求心力どころか遠心力が働く展開も予想される。政権基盤がぜい弱な石破氏。延命のための豹変とも言えそうで、野党関係者は「まさに党利党略、個利個略」と批判。党選対関係者は「国民が期待した姿と違う。今までの自民党と何も変わらない」と有権者の投票行動に影響するとの懸念を示した。

《麻生氏 最高顧問就任も写真は一緒に写らず》 自民党はこの日の臨時総務会で党四役などの役員人事を正式決定した。最高顧問には、石破氏と“犬猿の仲”とされる麻生太郎元首相が就いた。麻生氏は「全力を挙げてまい進させていただく」と硬い表情であいさつした。ただ、会の最後に行われた写真撮影には参加せず。石破氏にひと言かけて退室した。

《裏金議員への態度もブレブレ》 石破氏は出馬表明の際「(裏金議員を)公認するにふさわしいかどうか徹底的に議論すべきだ」と次期衆院選での非公認をにおわせたが、次第にトーンダウン。総裁選候補者を対象に共同通信が実施したアンケートには「新たな疑惑ではなく、新たな事実が判明すれば必要な対応を検討する」と回答し、再調査への姿勢を変えた。株式の売却益など金融所得課税の強化も主張していたが、他候補者から反論が相次ぐと、こちらもトーンダウンしていった。

《“石破ショック”株価大幅値下げ》 週明け30日の東京株式市場は全面安の展開になった。日経平均株価(225種)は急落し、下げ幅が一時2000円を超えた。自民党の石破茂総裁が発足させる新政権では、日銀の追加利上げや増税が進むとの警戒が強まり、市場に「石破ショック」が広がった。終値は前週末比1910円01銭安の3万7919円55銭。終値の下げ幅は今年3番目の大きさだった。石破氏は総裁選の政策で金融所得課税の強化や法人税引き上げに触れた。これを投資家が警戒したとみられる。

麻生太郎氏は皮肉交じりにあいさつ 自民党最高顧問への就任は「大変ありがたい」森山幹事長

日刊スポーツ新聞社 によるストーリー

自民党の森山裕幹事長(79)は9月30日、党本部で党四役の就任会見に臨み、総裁選で高市早苗経済安保相(63)を支援し敗れた麻生太郎氏(84)が、党最高顧問の打診を受け入れたことについて「大変ありがたいことだったと思っている」と述べた。

麻生氏について「長い間の政治経験、総理としても経験を持っておられる。時々、私もご指導をいただくことがあるが、私にはない視点でものを見ておられ、国家の繁栄のためにいろいろなことをお考えになっていることがよく分かる」と評した。「石破総裁が新しく(麻生氏に)最高顧問としての位置づけをしっかりされて、任命されたこともいいことだったなと思っている」とも述べた。

自民党最高顧問は、過去に岸信介元首相や福田赳夫元首相ら首相経験者が就いたが、1度廃止された経緯がある。そんな経緯もあってか、麻生氏は30日の臨時役員会で就任あいさつをした際「このたび、石破総裁のもと、最高顧問を拝命をいたしました」とした上で「この役職は(過去に)廃止となった記憶がありますが、復活の上、指名をいただくことになりました」と、皮肉交じりに語った。

臨時総務会に出席した石破茂総裁(左)と、党最高顧問に就任した麻生太郎氏(撮影・中山知子)© 日刊スポーツ新聞社


【石破政権の暗部】「裏金議員」福田達夫が役職に釣られて寝返った「二重の裏切り」

アサ芸プラス によるストーリー

【石破政権の暗部】「裏金議員」福田達夫が役職に釣られて寝返った「二重の裏切り」© アサ芸プラス

自民党・石破茂新総裁の体制がスタートする。石破氏と対立した安倍晋三元首相が率いた旧安倍派から執行部に起用されたのは、福田達夫幹事長代行ただひとりだった。しかも福田氏はいわゆる「裏金問題」に引っかかっているにもかかわらず、だ。

福田氏が所属した旧安倍派の多くの議員は、安倍元首相と石破氏が敵対関係にあったことをよく知っており、決選投票では高市早苗氏に投票した。福田氏に対し、旧安倍派からは、

石破陣営に乗り換えたのではないか。まさにユダだ」(中堅議員)

と非難する声が出ている。

衆院群馬4区選出の福田氏は、自身が代表を務める資金管理団体が、派閥側からの収入98万円を記載しなかった。福田氏は今年2月に訂正した際に「細心の注意を払うべき政治資金に関する不備があり、管理監督が不十分だった」とコメントしている。

石破氏が人事で旧安倍派を軒並み外す中で、福田氏が幹事長代行に抜擢されたのは、幹事長となる森山裕氏の意向とみられる。福田氏は総務会長時代、森山氏に総務会長代行となるよう依頼するなど、両者の結びつきは深いからだ。

福田氏は総裁選では小林鷹之氏を推したが、決選投票では石破氏に投票したとみられている。小林陣営関係者によると、福田氏は小泉氏が残っても石破氏に投票する意向だったとして、次のように明かすのだ。

「小泉氏ではなく石破氏に入れるという話を聞いて驚きました。父親の小泉純一郎元首相と福田康夫元首相が首相と官房長官のコンビだったことから、小泉氏も自らが出馬すれば福田氏が応援してくれると思っていた。それが福田氏は小林氏を選んだだけでなく、決選投票でも石破氏を選んだのですから」

まさに「二重の裏切り」となった福田氏。小泉氏が当選していれば43歳で、57歳の福田氏より若く、世代交代が進んでしまうことを危惧したかもしれないが、高市氏ではなく石破氏を選んだことで、さらに驚きが広がっている。

「福田さんは安倍さんの子分というより、福田元首相の息子。対中強硬派で首相になっても靖国神社を参拝するという、高市さんの姿勢を警戒したのかもしれません。それよりも幹事長代行になったことで、いかにもポストに釣られた印象が強い」先の中堅議員はそう言って、批判するのだった。(田中紘二/政治ジャーナリスト)



裏切りと騙し合いの連続…三角大福中「男たちの権力闘争」の壮絶時代

2019.03.21
まるでドラマのように面白かった。表と裏、騙し騙され、裏切り寝返り。田中六助、二階堂進、園田直、山下元利……脇を固める側近にも何とも言えない味があった。

「角福」から「大福」へ

戦後の日本政治で最も激烈な権力闘争として語り継がれる「角福戦争」と、その延長の「大福戦争」。ルーツは、佐藤栄作総理が、台頭する田中角栄(1918年~'93年)と福田赳夫(1905年~'95年)を競わせながら、自らの長期政権を続けたことにあった。

'72年5月に沖縄が返還されたことで、7年8ヵ月に及んだ佐藤政権が終結。7月5日に、自民党総裁選挙が行われた。

福田赳夫氏 Photo by GettyImages

佐藤が「後継者」に推す福田は「上州(群馬県)の天才」と仰がれ、東大法学部を首席卒業。国家公務員試験と司法試験(高等文官試験)も全国トップで合格し、大蔵省(現・財務省)主計局長を経て政界入りした。吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作と続いた戦後の「官僚派」の継承者だ。

これに敢然と挑戦したのが、高等小学校しか出ていない田中角栄。39歳で郵政大臣に就任したのを始め、佐藤内閣で大蔵大臣(現・財務大臣)、通産大臣(現・経産大臣)を歴任した実力者だった。

田中角栄氏 Photo by GettyImages

霞が関でいまだに語り継がれているのが、「角栄の心配り」である。財務官僚が明かす。

「OBたちの話によれば、角栄大臣は部下たちの誕生日や出身地、経歴、趣味、家族関係などを丸暗記していた。そして廊下で若い官僚とすれ違っても、『おっ、君の奥さんは今月、誕生日だったな。うまい物でも食わせてやれ』と言って、ポケットから1万円札をポンと渡す。

こんなことを日々やられるものだから、最初は『小卒大臣』とバカにしていた官僚たちも、誰もが『角栄ファン』になっていったそうです」

角栄の権力の源泉は、カネだった。共同通信記者として取材に当たっていた政治ジャーナリストの野上忠興氏が述懐する。

「'72年7月の総裁選では、福田、田中の他にも、大平正芳(1910年~'80年)と三木武夫(1907年~'88年)が出馬しましたが、カネが乱れ飛び、ウイスキーの箱に入れて渡すと言われていました。実際、議員事務所に行くとウイスキーの空き箱を見つけ、『あの中に札束がいくら入るんだ』と噂したものです」

総裁選は事実上、「福田vs.田中」の一騎打ちだったが、キャスティングボートを握った大物政治家が二人いた。

一人は、田中と当選同期で、東大を卒業し、海軍主計中尉出身の中曽根康弘(1918年~)である。自派を率いて総裁選出馬に意欲を見せていたが、結局出馬しなかった。『週刊新潮』(同年7月8日号)は「田中から中曽根に、支持の見返りに7億円が渡った」とスッパ抜いた。

日和見的な性格から後に「風見鶏」のニックネームがついた中曽根は、この時、「軍艦を左に進める時は、まず右に舵を切ってから左に大きく切るものだ」と名言(迷言?)を吐いて煙に巻いた。

表では田中の軍門に下ったかのように見えた中曽根だったが、総裁の椅子を機が熟すまで待ち続け、それまでは大派閥に「貸し」を作る胆力を持ち合わせていた。

もう一人のキーパーソンは、大平である。池田勇人直系の「宏池会」を率いる大平は、大蔵省出身だが、東大法学部ではなく東京商科大学(現・一橋大学)を卒業しており、「香川の鈍牛」と呼ばれる苦労人だった。

新人議員の時代から、議員会館の事務所が隣同士だった田中を慕い、「決選投票に残れなかったら応援する」と、田中と密約を交わしていた。

予備選挙の結果は、田中156票、福田150票、大平101票、三木69票で、田中と福田が決選投票に臨んだ。

決選投票では、中曽根派と大平派、それに三木派まで田中支持に回った結果(三木は論功行賞で副総理を射止めた)、282票対190票で、田中総裁が誕生したのである。

「当初、本命視されていた福田は、群馬の同郷の後輩である中曽根にも、大蔵省の7年後輩である大平にも、裏切られた。後に安倍晋太郎(福田の子分で安倍晋三総理の父)が、『オヤジさん(福田)はケチだったから負けたんだよ』とボヤいていました」(野上氏)

権力は人を変える

こうして総理の玉座に就いた田中は、「昭和の今太閤」と仰がれ、絶頂の時を迎えた。右手を挙げて「ヨッシャ!」と叫ぶポーズまで流行した。

野上氏が続ける。

「田中総理誕生の日、新たに総理番記者になった私たちが、『目白御殿』(田中邸)で待ち受けていた。すると田中新総理は帰宅するや、記者たちを自宅に入れて、紙と鉛筆を取り出し、何やら設計図を書き始めたのです。新たに自宅入り口に記者控え室を作るということで、いくら建設業者上がりとはいえ、その姿は非常に新鮮に映りました」

田中は、就任してわずか2ヵ月後に、盟友の大平外相を引き連れて訪中。同盟国のアメリカを出し抜いて、先に中国との国交正常化を果たした。

大平正芳氏 Photo by GettyImages

また、「日本列島改造論」をブチ上げ、日本全土が建設ラッシュに沸いた。

「日曜日に田中総理についてゴルフ場に行った時のこと。総理がゲストハウスで昼食にカツ丼を掻き込んで、トイレに行ったので、話を聞くチャンスと思って追いかけた。

すると地元の若い警察官3人に、『日曜日なのにご苦労』と言って、1万円ずつ渡しているんです。警察官たちは恐縮していました。

'73年正月の『目白御殿』もすごかった。バスが次々に停まり、門前市を成すほどで、記者一人ひとりにもオールドパーが配られました。『ウチのじゃじゃ馬がねえ』と言って長女の眞紀子を紹介したり、池の錦鯉にエサを撒いたりして、何をやっても絵になる政治家でした」(野上氏)

政治記者40年のキャリアを誇る田﨑史郎氏も、田中にほだされた一人だ。

「時間があると、年若い記者たちと酒を酌み交わしながら、親身に話をしてくれたものです。本当に人間としての付き合いができる政治家でした」

田﨑氏は、「料亭政治」についても回想する。

「田中派議員は赤坂の『満ん賀ん』が行きつけで、田中総理自身は『川崎』と『千代新』が贔屓でした。料亭へ行くと、一人最低3万円はかかりますが、すべて田中総理が払っていました。田中総理は、芸妓さんにも1万円札を、襟元に挟んだりしていたものです。

毎晩こんな調子なので、田中派の結束は固かった。田中総理は、人の欲望を見抜く天才でした。政治家が欲しいのは、カネ・ポスト・票ですが、全身全霊でカネとポストを与え、選挙になると応援演説に出掛けて行った。選挙応援代も、それまでは100万円が相場だったのに、1000万円、2000万円と渡していたんです。

当時、議員たちがよく言っていたのは、『カネは野球のボールのようなもので、ボールがないと政治はできない』ということでした」

'73年秋にオイルショックが起きると、田中は大蔵大臣に、最大のライバル福田を抜擢。福田は「経済問題は任せてもらう」との条件で承諾した。ただ田中は生涯にわたって、13歳も年上の福田を、当選年が自分より遅いという理由で、「福田君」と呼んだ。

長期政権になると見られていた田中政権だったが、オイルショック後の狂乱物価に続いて、'74年に入ると、金権政治問題に火がつき、田中は'74年12月、2年5ヵ月で政権を手放したのだった。

田中退陣後は、福田vs.大平(+田中)の「大福戦争」になりかけた。そこで紆余曲折の末、自民党重鎮の椎名悦三郎が「裁定人」となり後継者を指名することになった。

ところが椎名は何と、自身の「暫定政権案」を提示する。これには大平が、「行司が回しを締めた」と猛反発した。

結局、福田派と大平・田中派に挟まれた椎名が、収拾を図るために指名したのが、弱小派閥の領袖・三木だった。

三木武夫氏 Photo by GettyImages

「バルカン政治家」の異名を取った三木は、徳島県出身で、明治大学を卒業。戦前・戦後にわたって51年間も代議士生活を続けたしぶとい政治家だ。

「青天の霹靂であります」という言葉で始まった三木内閣は、福田を副総理兼経済企画庁長官に、大平を大蔵大臣に、中曽根を幹事長に据えた挙党一致内閣だった。

田﨑氏が振り返る。

「三木派は、田中派のように料亭でドンチャンやることもなく、静かなものでした。渋谷・南平台の自宅へ取材に行くと、いつも睦子夫人(昭和電工創業家の娘)が一緒で、むしろ夫人のほうが政治家然としていました」

「クリーン内閣」と呼ばれた三木内閣は、中継ぎの短命政権と思われていた。本人さえ当初はそのつもりだったが、'76年7月に、ロッキード事件で田中前総理が逮捕されると、三木は「脱金権政治」を掲げて世論とマスコミを味方につけ、長期政権を目指した。権力という魔物は人を変えるのだ。

騙されるほうが悪い

これに田中派と大平派が激怒。さらに三木内閣が長期政権になることを恐れた、三木より年上の福田も裏切り、自民党内に「三木おろし」が吹き荒れた。

結局、'76年12月の総選挙で、自民党が初めて過半数割れしたことで、三木内閣は総辞職した。

政局は再び「大福戦争」勃発かと思われたが、この時は波風立たずすんなりと、挙党一致で福田内閣が誕生している。

その裏で行われたのがいわゆる「大福密約」だ。

自民党重鎮の保利茂が立会人を務め、福田派代表の園田直と大平派代表の鈴木善幸が、品川のホテルパシフィック東京に2回にわたって密かに参集。密約を交わしたのだ。

鈴木善幸氏 Photo by GettyImages

それは、第一に大平は福田を総裁に推す。第二に福田は大平を幹事長にする。第三に自民党総裁の任期を3年から2年に縮める。さらに口頭での約束として、福田は1期2年で総裁の座を大平に譲るというものだった。

こうして魑魅魍魎の中で、福田は71歳にしてついに天下を取った。福田は「私は永遠の明治38歳」「さあ働こう内閣」と、若さと新鮮さをアピールした。

東南アジア歴訪で「福田ドクトリン」を発表し、中国と日中平和友好条約を締結した福田は、'79年6月に予定されていた初の東京サミット(第5回先進国首脳会議)を、どうしても自分で主催したかった。

そこで'78年11月の自民党総裁選を前に、福田は大平を呼んで、「もう1期やることにした」と告げた。当然、大平は「東京サミットは私に任せると2年前に言ったではないか」と怒り心頭。だが永田町では、こうした場合、騙した側をそしるより騙された側を嗤うものだ。

ここから「大福戦争」が開戦。野上氏が語る。

「福田総理の口癖は『覇道を好まず王道を行く』で、私は後に、福田側近の園田直、田中六助、福田康夫(福田の長男)らに『大福密約』について質したが、確証は得られませんでした。しかし、実直な大平があれほど激怒したのだから、おそらく密約はあったのだと思います。

この時の総裁選は、現職の福田優勢が伝えられていましたが、田中派で元内務官僚の後藤田正晴が中心になって、自民党東京都連の党員名簿を手に入れるなどして、田中の秘書らを動員し、徹底した『絨毯爆撃』(戸別訪問)を行ったのです」

その結果、総裁選予備選挙で、大平748点、福田638点と、大平が首位に立った。3位の中曽根と4位の河本敏夫は二ケタだったため、再び大平vs.福田の決選投票になったが、この時、福田は名言を吐いて、首相官邸を去っていった。

「民の声は天の声というが、天の声もたまには変な声がある」

野上氏が続ける。

「福田は上州人気質で、さっぱりした性格でした。予備選前に自分の優勢を信じて、『予備選の結果に従うべきだ』と大平を牽制していた手前、身を引かざるを得なくなったのです」

こうして大平は、悲願だった総理の座を射止めたのだった。

そして中曽根が生き残った

ただ福田も田中も、自らの再登板に未練たらたらで、この二人の「怨念」をバックに、'77年10月、ヤクザも顔負けの「40日抗争」が勃発した。

10月7日の総選挙で、消費税導入を謳った大平自民党が過半数割れの惨敗を喫した。それでも政権続投を宣言したことで、堪忍袋の緒が切れた福田が、同月17日に大平のもとに乗り込んだ。

福田「今日は神からキリスト(大平はクリスチャン)に、責任論を進言しに来た」

大平「それはオレに死ねということと同じだ」

こうして大平支持派(大平派、田中派)と反対派(福田派、三木派、中曽根派など)に分かれ、全面戦争になったのである。反対派は、11月1日に執行部が自民党本部で開催予定だった両院議員総会を妨害しようと、8階ホール前に机を並べてバリケードを築いた。

この時、一世一代の「活躍」を見せたのが、石原慎太郎や渡辺美智雄らと青嵐会を結成していたハマコー(浜田幸一)だった。居並ぶカメラを前に、

「オメエらのためにだけ自民党があるんじゃねえぞ!」と叫びながら、バリケードを撤去したのである。

11月6日に衆議院本会議場で行われた首班指名選挙では、大平135票、福田125票と、初めて自民党の票が割れた。このため過半数に至らず、決選投票が行われ、大平138票、福田121票で大平の再選が決まった。

だが「大福戦争」はその後も続き、'80年5月に野党が出した内閣不信任案決議で、福田派が造反して可決。納得できない大平総理は「ハプニング解散」に打って出た。

史上初となった衆参同日選挙中に、誰も予想しない事態が起こった。選挙公示日の5月30日、新宿駅前で第一声の演説を行った大平総理が倒れ、13日後に急死したのである。大平邸で遺体を待ち受けた田中角栄は、周囲もはばからず号泣した。

こうして「大福戦争」は終了し、弔い合戦となった総選挙は自民党が大勝した。大平を死に追いやった張本人と陰口を叩かれた福田は身動きが取れず、そのまま大平派のナンバー2だった鈴木善幸(1911年~2004年)が総裁に就いた。

「和の善幸」と言われた鈴木内閣は2年4ヵ月続き、'82年11月に退陣。「後継は話し合いで」という鈴木の希望で、福田最高顧問、二階堂進幹事長との三者会談となったが、決裂。中曽根、安倍、河本敏夫、中川一郎による総裁選挙となり、田中派に'72年の「貸し」を返してもらった中曽根が圧勝した。4位で敗れた中川は直後に自殺した。


中曽根康弘氏 Photo by GettyImages

中曽根のバックに田中がいたことから「田中曽根内閣」と揶揄されたが、結局、中曽根内閣は丸5年も続いた。

ジャーナリストの田原総一朗氏が総括する。

「三角大福中時代の自民党は、文字通り『自由で民主的な党』でした。田中内閣が中国と国交正常化を果たすと、それに反対するタカ派議員たちが『青嵐会』を結成したりした。政権交代する時も、反主流派が引きずり下ろしたわけです。

しかし、'96年の衆院選から小選挙区制になった。その結果、公認権を持つ党執行部の力が強大になり、いまのように誰も安倍批判をできないような味気ない政治になってしまいました」

男たちの権力闘争」の主役だった三角大福中で存命なのは、100歳の中曽根のみである。

「週刊現代」2019年2月2日号より


参考文献・参考資料

岸田文雄が放送禁止用語で高市早苗を「猛口撃」!感情むき出しの敵意が「石破茂新総裁」を生んだ (msn.com)

「次」見据え…高市早苗氏は石破政権と距離置く構え 「国賊」発言の村上氏起用も党内刺激 (msn.com)

石破新総裁 首相就任前に解散“フライング”発表 豹変の背景は?党関係者「今までの自民党と変わらない」 (msn.com)

麻生太郎氏は皮肉交じりにあいさつ 自民党最高顧問への就任は「大変ありがたい」森山幹事長 (msn.com)

三角大福 - Wikipedia

裏切りと騙し合いの連続…三角大福中「男たちの権力闘争」の壮絶時代(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) (gendai.media)

【石破政権の暗部】「裏金議員」福田達夫が役職に釣られて寝返った「二重の裏切り」 (msn.com)

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?