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政治講座ⅴ1470「死せる孔明(李克強)、生ける仲達(習近平)を走らす」

 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とは、偉大な人物は、生前の威光が死後も残っており、人々を恐れさせるということわざである。これは、中国の三国時代に蜀の丞相である諸葛亮孔明が病没し、魏の大将軍である司馬懿仲達が彼を追撃しようとした際に、策略家の諸葛亮孔明の陰謀を恐れて司馬懿仲達がその策略に乗らないように退却させたことから生まれたものである。今回はその故事と現代起きたことをなぞらえて表題にした。

     皇紀2683年11月3日
     さいたま市桜区
     政治研究者 田村 司

北京「天安門」厳戒態勢 李克強前首相あす火葬 ネットで追悼の動き制限 習政権で脇に追いやられ「国民の悲しみ爆発」警戒

8 時間

中国の習近平政権が、先月27日に急死した李克強前首相の「追悼ムード」拡大に警戒を強めている。中国国営通信新華社は同31日、李氏の遺体が今月2日に北京で荼毘(だび)に付されると伝えた。北京の天安門広場や人民大会堂など、中国各地で半旗が掲げられる一方、ネット上では李氏を悼む動きが制限されている。中国では、有力指導者の死去が反体制運動につながった過去があり、当局は監視を強化するとみられている。

突然の訃報が伝えられた先月末以降、李氏の故郷である安徽(あんき)省の旧宅付近では、献花に訪れる人の姿が後を絶たない。故人をしのぶ花束が路地をふさぐような形で置かれ、添えられたメッセージには「良き首相に哀悼をささげる」などの言葉があった。

不動産バブル崩壊に伴って中国経済は低迷が続き国民には不満が蓄積しているとみられている。

1976年の周恩来首相(当時)、89年の胡耀邦元中国共産党総書記の死去後、2人を追悼する動きが民主化運動に発展し、当局が弾圧した。2回にわたる「天安門事件」で、政府は非難を浴びた。このため、中国当局は、李氏を悼む国民の声が拡大することに神経をとがらせているようだ。

米ブルームバーグによると、SNSの「微博(ウェイボ)」で李氏に関連する検索を行うと、公的メディアによる投稿だけが表示され、大半のユーザーに対してコメント欄が閉ざされている。

李氏は首相時代、習国家主席との「確執」があったとされることも、当局の警戒につながっている。

英フィナンシャル・タイムズは、アナリストの見方として、「首相在任中、ほとんど脇に追いやられていた李氏に対する中国国民の悲しみの爆発は中国共産党にとってデリケートな状況を提示している」と報じた。

日テレNEWS NNN
中国・李克強前首相、あさって火葬へ 天安門などで半旗も SNSの投稿は厳しく制限

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中国の不動産バブル崩壊が深刻化、李克強氏の急逝が中国経済にトドメを刺す理由

真壁昭夫 によるストーリー • 14 時間

3月11日の全国人民代表大会(全人代)第4回総会の開幕式で、李克強前首相(右)と握手する習近平国家主席(左) Photo:Lintao Zhang/gettyimages© ダイヤモンド・オンライン

中国の改革派の中心的立場にあった李克強前首相が急逝した。折しも不動産開発大手・碧桂園の米ドル建て社債が債務不履行になったばかり。6月末時点で同社の負債総額は1兆3642億元(約28兆円)であることを踏まえると、習近平政権のバブル崩壊への対応は後手に回ったと言わざるを得ない。中国経済は今後どうなるのか。(多摩大学特別招聘教授 真壁昭夫)

李克強前首相死去で中国経済の改革は遅れる

 10月27日、中国の改革派の中心的立場にあった李克強(リー・クォーチャン)前首相が死去した。李前首相は、鄧小平時代に始まった「改革開放」政策を重視した。また、李前首相は、習近平主席の出身母体である太子党とは異なる共産党青年団出身で、一時期、習政権の経済政策を立案する担当として重要な役割を果たした。

 ただ、習政権の長期化とともに政策が政治優先に向かったこともあり、改革開放路線は後退したといえる。また、習政権の初期段階では、経済成長実現のため不動産などへの投資が高まり、高成長を突っ走ることができた。しかし2020年8月、過剰債務問題へ歯止めをかけるため習政権は、「三道紅線」(3つのレッドライン)という財務指針を導入して不動産デベロッパーへの融資を規制下に置いた。これをきっかけに不動産バブルが崩壊。その後、経済政策の運営は後手に回り、不良債権問題は深刻化し、デフレ圧力も高まった。

 李前首相の死去により、共産党内で改革を重視する姿勢はさらに弱まるだろう。長い目で見ると、中国経済の改革は遅れることになるはずだ。不動産バブル崩壊への対応の遅れなどにより、中国経済の厳しさも増すとみられる。今後、社会保障などへの不安が高まり、中国社会の活力が失われることも懸念される。

経済成長を最優先する「改革開放」とは

 1978年、鄧小平は経済成長を最優先する「改革開放」を打ち出した。目的は、文化大革命で停滞した経済を再興するためだった。当時の政権は経済特区を設けて海外企業を誘致し、国有・国営企業への製造技術の移転や、サービス分野などでの民間企業創設の認可などを進めた。

 亡くなった李前首相は、改革開放を経済理論の側面から支えた北京大学の厲以寧(リー・イーニン)教授の薫陶を受けた。厲教授は、計画経済から市場経済へ、資本(株式)は国有と状況に応じた私有の認可(混合経済)に段階的に移行する――、一党独裁体制を維持しつつ経済成長を実現することは可能と論じた。

 李前首相は経済の統制を取りつつ、改革を進めようとした。2015年5月に習政権が発表した「中国製造2025」は象徴的だった。発表に先立つ同年3月、李前首相は国務院常務会議を開き、製造業の高度化の実現に向けて中国製造2025の推進スピードを速めるよう前もって指示した。

 李前首相は、銀行融資残高、鉄道貨物輸送量、電力消費量の3つのデータ(李克強指数)も重視した。それらの推移を確認しながら、不動産やインフラの投資、直接投資誘致など経済政策を調整し、中長期視点で成長分野の生産性向上を目指した。

 根底には、右肩上がりの経済環境は未来永劫(えいごう)続くわけではない、といった考えがあっただろう。リーマンショック後、中国の地方政府は土地の利用権をデベロッパーに売却して財源を確保し、経済対策を打った。デベロッパーは価格上昇期待を支えにマンション建設を増やす。それによって、インフラ投資、鉄鋼など重厚長大分野での生産、雇用、個人消費や設備投資が盛んになった

 わが国の経験に照らせば、バブルはいつか崩壊する。李前首相は重厚長大分野からIT先端分野などにヒト、モノ、カネの再配分を促進し、経済運営の効率性を高めることによって、投資依存からの脱却、不動産バブル崩壊時の影響を抑制しようとしていただろう。

碧桂園がデフォルト、不動産バブル崩壊が深刻

 その後、中国経済の改革機運は後退した。19年の全人代の政府活動報告で、李前首相は中国製造2025に言及しなかった。その理由は、米国への配慮との見方もある。

 対照的に、「習氏の権力強化」と解釈できる政策は増えた。過度な受験競争への規制や、思想教育も徹底した。アリババやテンセントなど、雇用を創出したIT先端企業への締め付けも強化した。習氏の側近といわれる人材の登用も増えた。習政権によって経済よりも政治の優先度が高まっていることは明らかだ。

 そして20年8月、共産党政権が3つのレッドラインを実施すると、不動産バブルは崩壊土地譲渡益は減少し、地方政府の財政も悪化した。

 不動産開発大手の中国恒大集団(エバーグランデ・グループ)、碧桂園(カントリー・ガーデン)などは経営危機に陥り、地方政府傘下の地方融資平台の不良債権問題も深刻だ。雇用・所得環境は悪化し、経済全体でデフレ圧力が高まっている。

 10月26日には、碧桂園の米ドル建て社債が正式に債務不履行(デフォルト)したとクレジットデリバティブ決定委員会(CDDC)が認定した。6月末時点で同社の負債総額は1兆3642億元(約28兆円)であることを踏まえると、共産党政権のバブル崩壊への対応は後手に回ったと言わざるを得ない。

 李前首相が重視した銀行融資に関して、足元の伸びは緩慢だ。10月下旬、習政権は1兆元程度(約20兆円、中国のGDP比0.8%)の国債追加発行も発表したが、効果は限定的だろう。その見方から、発表直後、人民元、本土株ともに弱含みである。

 現在の首相である李強(リー・チャン)氏の発言を確認してみても、李前首相のような経済に関する的確な理解、あるべき政策、その理論的裏付けを読み取ることは難しい。不動産投資の減少や雇用悪化などに歯止めがかかる兆候も見いだせない。こうした状況下、中国国内でも経済環境の一段の悪化を警戒する銀行や企業は増えているはずだ。

習政権下では中国経済は長期低迷に陥る

 不動産バブル崩壊の影響を解消するために、習政権はいずれ大手銀行などに公的資金を注入する必要に迫られるだろう。そうして、不動産関連企業や地方融資平台などの不良債権処理を進めるはずだ。また、成長期待の高いIT先端分野にリソースが再配分されやすくなるような規制緩和も中国経済の本格的な回復に欠かせない。しかしながら、現時点で習政権はこうした政策運営の必要性に明確に触れていない。

 23年春、有能な経済テクノクラート(技術官僚)として注目された劉鶴(リュウ・ハァ)副首相(当時)が退任した。それに加えて今般、李克強前首相が急逝した。共産党政権内部において、改革を進めて経済運営の効率性を引き上げる考えは、一段と後退することが想定される。

 一方、目先の需要を下支えするため習政権は、金融緩和を強化し、国債や地方債の発行を増やす可能性が高い。これにより一時的に景況悪化が緩和されたとしても、根本的に不良債権問題を解決することは難しい

 碧桂園に続き、融創中国控股(サナック・チャイナ・ホールディングス)など、不動産関連企業のデフォルトは累増しそうだ。不動産市況は停滞し、地方政府の財政も悪化すると、財政破綻に陥る自治体も増えるだろう。こうなるとデフレ圧力も追加的に高まる。

 今後の中国経済は長期低迷に陥るとの見方が増えている。忘れてはならないのは、社会保障制度の悪化が懸念されることだ。中国では、農村戸籍と都市戸籍によって享受できる社会保障内容が違う。地方政府の財政悪化により、年金や医療など社会保障の縮小が予想される。すると経済格差は拡大し、人民の不満は増大するだろう。

 展開次第では、習政権への批判が強まるかもしれない。こうした懸念もあり、中国から海外に拠点を移す企業が増えている。それは日本企業にとっても例外ではない。李前首相の急逝は、近い将来、中国に大きな損失を与える可能性がある。

中国「大衆目線のエリート」李克強前首相が急死、“天安門事件”の歴史は繰り返すのか?

姫田小夏 によるストーリー • 9 時間

中国の李克強元首相が「心臓発作」で死去 Photo:Lintao Zhang/gettyimages© ダイヤモンド・オンライン

中国の「お殿様」のご乱心ぶりがひどくなっている。今年3月まで2期10年にわたり首相を務めた李克強氏もまた、“殿ご乱心”の犠牲者になってしまったのだろうか。司法の精神を身に付け、経済にも強い、なおかつ大衆目線のリーダーだった李氏。このまれに見る政治家を失った中国の痛手は大きい。(「China Report」著者 ジャーナリスト 姫田小夏)

「法学部出身者の李氏だからこそ」の期待があった

 わずか数カ月前まで首相だった李克強氏が他界した10月27日、中国のSNSは静まり返っていた。中国の国民が沈黙を決め込んでいるのは、強まる検閲を意識してなのだろうが、沈黙そのものが何か重要なメッセージを帯びているかのようだった。

 中国における李氏の存在意義を一言で表現するならば、「常に大衆目線の人」だ。頭脳明晰にして大衆目線、近年では中国はおろか、日本でも世界でもまれな政治家であった。李氏を失った中国の人々のショックは計り知れない。

 公表された死因は「心臓発作」で、68歳にしてこの世を去った。昨年10月に開催された中国共産党第20回党大会まで習近平国家主席に次ぐ党序列2位だったが、今年3月に習政権が3期目に入ると、首相を退き政界を引退した。

 李氏は北京大学法学部の出身で、かつ経済学博士号を持っており、その経済政策は「リコノミクス」とも言われ注目を集めた。習近平氏と李克強氏のツートップによる「習李体制」は2012年に始まった。

 当時、中国のエリート層が期待したのは、法学部出身者の李氏だからこそできる「法の支配」による国家の統治だった。経済発展を遂げ、生活が向上した沿海部の諸都市の人々は、ついに中国にも「次の時代が到来する」と期待していたのである。

 しかし、現実はそうならなかった。「リコノミクス」も一時的な脚光を浴びたが、ライバルの習氏により、李氏の存在は薄れていった。第20回党大会時で慣例となる68歳の引退年齢には達していなかったが、首相の座を振るい落とされ、あっという間にこの世を去った李氏の、死を悼む声は中国の法曹界からも漏れ聞こえた。

 かつて上海の大手法律事務所に所属していた中国人弁護士A氏はこう語る。

「李氏の評価は、我々法曹界の間では非常に高いものでした。彼はとても論理的な頭脳の持ち主で、なすべきことを着実に行っていました。グローバルに開かれた中国を目指し、世界を意識した行動を取っていたと思います」

常に大衆と向き合い、「草の根」の力を重視した

 なすべきことを着実に行う――そんな李氏の姿勢は中国の大衆に歓迎された。

 中国では前政権の胡錦涛時代からすでに失業が深刻で、大学生は「卒業と同時に失業」する現象が社会問題になっていた。いかに雇用を創出するかは李氏にとっても避けて通れぬ重要課題で、李氏はこの難題に対し「大衆による起業精神、大衆によるイノベーション」をぶち上げた。誰もが起業すれば失業は解消される――「草の根」が持つ力を信じたのである。

 この考えは、2014年に李氏が湖南大学(湖南省長沙市)を視察したときに初めて生まれたと言われている。

 視察中、学生から贈り物として渡された絵葉書を、李氏は「あなたたちは社会の起業家、私はあなたたちの消費者になろう」と言ってわざわざポケットマネーで購入したのは有名なエピソードだ。同大学には長沙市のお土産品のデザインや販売に携わる学生もいて、李氏はその起業家精神を高く評価していた。

 この年、天津市で開催された夏のダボス会議を訪れた李氏は「中国の大地で『草の根』の起業とイノベーションを起こす」と述べた。

 コロナ禍では、李氏の「露店経済(中国語で「地攤経済」)」が注目を集めた。かつて地面に布を広げて商品を売る露店商売は「中国の活力」そのものだったが、中国都市部の発展とともに、景観を損なう、ゴミで汚れる、イメージが悪いなどの理由で規制の対象になった。

 しかし「明日からでも始められる」というこの商売は、コロナ禍の失業者対策にはうってつけだった。2020年の全国人民代表大会(全人代)で李氏は、視察で訪れた四川省成都市や山東省煙台市の露店の取り組み事例を示し称賛した。

 すると、それを追うようにして上海市や江蘇省南京市、浙江省杭州市、遼寧省大連市など、多くの地方政府がこれに続いた。李氏には「こうした露店商売は中国経済の原点であり、失業者の救済策に十分なり得る」という考えがあった。

 このように李氏のまなざしの先には常に大衆が存在していた。視察中の李氏と共に写真に映る人々の顔が明るいのは、李氏を心から慕っていたこともあるのだろう。

 一方で、習氏の内心は容易に察しが付く。彼にとっては最大の政敵だということだ。

続々と表舞台から消える閣僚たち

 今年、3期目に入った習政権で、表舞台から引きずり下ろされる閣僚が相次いでいる。7月に外相を務めていた秦剛氏が解任され、王毅氏がこのポストに復帰した。10月には李尚福国防相が解任された。李尚福氏の前任の魏鳳和氏も3月の退任後から現在まで動静が途絶えているという。

 興味深いのは、外相の座に再び納まった王毅氏がかつての王毅氏とはだいぶ異なる印象になっていたことだ。彼の発言は駐日大使時代(2004年9月~2007年9月、胡錦涛政権)とはギャップがあるどころか、今は習近平氏のご機嫌取りに必死な感じだ。前出の中国人弁護士A氏はこう語る。

かつての王毅氏は日中友好を常に意識して、反日発言はかなり控えていましたが、今では反日あおりの旗手に成り下がっているイメージです。こうしたことに良心の呵責があるのか、昔に比べるとかなり憔悴し切っている面持ちです」

 実際、今の中国の高級官僚たちは憔悴し切っている。国有企業の管理職出身で、中国の政治に詳しい東京在住の中国人B氏はこう語る。

「今の官僚たちは、指導者の本意や腹の内は何なのか、まったく読めなくなっています。だから、国務院会議で『××についてしっかりやろう』とスローガンが打ち出されても、官僚たちは会場で拍手するだけで具体的なことは一切しません。やらないほうが安全だからです。それだけ今の指導者は、考え方をコロコロと変化させるのです」

 こうした中国国内の迷走ぶりからは、絶大な権力を掌握した独裁者の不安定な心理を見て取ることができる。何をやっても不安でたまらない「お殿様」はもはやご乱心状態に近く、自分に累が及ぶことを恐れる官僚はもはや手も足も出せない――中国が今、こうした局面にあることは想像に難くない。

 保身のために機嫌をうかがい、指導者にこびる連中が多い中で、李氏は、自身の原則を曲げない人だったと言われている。

「法学者はそもそも原則を曲げてはならない、という使命を負います。李氏は王毅氏と違い、自分を曲げませんでした。だから我々法曹界の人間は李氏を尊敬しているのです。しかし、そんな彼だからこそ、退任してからはかなりの心労が重なったのでしょう」(前出の弁護士A氏)

なぜ急死?健康不安説もあったが、残る疑問

 死因は水泳中の心臓発作だと伝えられた。もともと李氏には「持病がある」「健康不安がある」などとささやかれていた。しかし、東京都内の中国人漢方医C氏は、「果たして『このような要人』が引退後にあっさりと亡くなってしまうのでしょうか」と、首をかしげてこう述べる。

「自分専門の医者をつけ、栄養価の高い食事を摂取し、高級漢方薬を服用するなど、ありとあらゆる手を使って長寿を全うしようというのが歴代の幹部に共通する余生なんですが…」

 冷静な判断力を失った指導者の“厄介者リスト”の筆頭に李氏が挙げられていたとも考えられる。その一方で、前出の弁護士A氏は「あくまで推測の域にすぎませんが」と前置きしてこう語った。

「(李氏の死因は)心労とも考えられます。造反などの動きがないかどうか、相当厳しい監視を受け続けていたのではないでしょうか

 今から34年前、改革派といわれる胡耀邦元総書記の死をきっかけに、学生が民主化を求めて天安門広場に集まった。そこに軍隊が発砲し多くの犠牲者を出したのが天安門事件だ。その後“お上への抗議”はタブー中のタブーとして封印されてきたが、昨年11月末、上海や北京などで習氏に「退陣要求」を突き付ける抗議デモが起こった。

 中国の人々の心が疲れ果て、限界に達しているならば、火は燃え広がりやすい状態だともいえる。それを警戒する習政権はさらに締め付けを強化するだろう。

 追い込まれた「草の根」のエネルギーが向かう先で、果たして「歴史は繰り返す」のだろうか。

「李克強前首相の急死」報道に警戒態勢が敷かれる理由、中国政府が恐れることとは?

ふるまいよしこ によるストーリー • 2 時間

10月27日未明に急逝した中国の李克強前総理 Photo:Lintao Zhang/gettyimages© ダイヤモンド・オンライン

10月27日、中国の李克強前総理(以下、敬称略)が亡くなった。今年の3月まで中国政治のトップで活躍していた大物の突然の死に、中国国内もザワついている。自宅から遠い上海のプールで倒れたこともあり、まことしやかに毒殺説がささやかれているほどだ。政治のトップにいた10年間、李克強は何をしたのか。そして彼の死は中国の人たちにどのような意味をもたらしたのか?(フリーランスライター ふるまいよしこ)

3月の中国共産党大会で政治から引退した李克強しかし胡錦濤退場“事件”のおかげでほぼ話題にならず

 今年3月の政治大会で10年間務めた国務院(内閣に相当)総理を辞し、引退生活に入っていた、李克強が27日未明に急逝した。

 さっさと憲法を改正して任期を延長し第3期に突入した習近平・国家主席とは対象的に、李克強は前任者の温家宝・元総理と同じようにすべての権力を手放し、それ以降完全に政治の表舞台から姿を消した。引退当時の年齢はまだ67歳で、政府トップの暗黙の了解となってきた「68歳定年」に届かないまま権力の座を去ったことも、2歳年上の習近平と比較された。

 李のきっぱりとした引退の裏には体調不良があると伝えたメディアもあったが、これまで彼がどんな病気を抱えているかは明らかにされていなかった。

 特に3月の政府トップ交代の場では、久しぶりに公開の場に姿を現した胡錦濤の髪が真っ白になってめっきり老けており、さらに最も注目される採決の直前に職員によって議場から担ぎ出されるという、前代未聞の“事件”が起きた(参考:中国共産党大会「胡錦濤氏の強制退場」の衝撃、現地の大混乱に見る不穏な予感)。あまりに衝撃的な映像だったため、人々の関心は完全にこの件に集まり、同じ場で「裸退」(すべての権力を手放して退任すること)する李克強のことはあまり話題にならなかった。付け加えると、胡錦濤は実はアルツハイマーを患っており、担ぎ出されたのはそれが原因だったという。そのとき両脇を警備員に抱えられた胡錦濤が李の後ろを通りざまにその肩を叩き、李がそれになんとも言えない表情で応えている写真も、彼の死後ネットに流れている。

なぜ上海のプールで?早すぎる死に「毒殺説」まで流れる事態に

 それにしても、まだ68歳での死はさすがに若すぎる。数年前には、国家指導者たちに毎年巨額をかけての健康診断が行われていることを証明する内部資料が暴露されたばかりだ。そのような中でなぜ李が急死したのか、それも通常の居住地ではなく、上海のプールで……と、人々のさまざまな懐疑心を呼び起こし、ネットではまことしやかに「李克強毒殺」手段まで分析されていた。

 もし殺害となれば、その容疑は当然今の権力者に向けられることになる。だが、すでにきっぱりと「裸退」した李に今の権力者たちが手をかける必要があるかどうか、そしてなぜそれが今なのか……と考えると、その疑惑もまた度を越したものだと言わざるを得ないだろう。

 しかし、日常の健康状態に触れないまま「心臓発作」という死因しか明らかにされなかったこと、また運び込まれたのが上海の心臓疾患治療で著名な病院ではなく、「近いから」という理由で中医(漢方医)病院が選ばれたなどという説もあり、人々の疑心のネタになっている。死亡を伝える正式報道も詳細が一切省かれているため、「殺害」を信じたい人たちの気持ちはしばらく落ち着かないはずだ。

胡錦濤と温家宝の二人に次期国家主席候補とみなされていた人物

 李はもともと、前政権の胡錦濤と温家宝によって次期国家主席候補とみなされていた。そこに「紅二代」(中国共産党創設メンバーの子女)である習近平の存在が次期指導者として急浮上したが、それでも胡と温は李を国家主席に据えるつもりだった。だが、習にとってもう一人の「紅二代」次期指導者候補のライバルとみなされていた薄煕来が、家族による外国人殺害容疑や資産隠しなどが暴露されるという前代未聞の事件で失脚した結果、党内で激しい主導権争いが起き、習が国家主席、李が国務院総理となる案に落ち着いたとされる。このあたりは、すでに日本でも多くの分析書籍が出ているのでそちらをご覧いただきたい。

 ただ、李は出世街道を上る前に大学で経済学を収めていた。歴代中国指導者として初めて正式な博士号を持つ人物であり、実務に携わる総理職への就任はふさわしいといえた(なお、他の指導者たちの経歴にも「博士」「修士」が並ぶが、それらはすべて李のように論文を書いて取得したわけではなく、「名誉」的な後付けばかりである)。その結果、就任当時にはすでに「世界第2の経済大国」となり、また「世界工場」の異名を取っていた中国の経済発展に注目する人たちに、その手腕を大きく期待された。李の発言は「克強経済学」(リコノミクス)などともてはやされた。

 訃報の後にも、その当時を懐かしむ書き込みや切り取り動画がネットに多く流れた。たとえば、「中国はもう後戻りしない。開放の門は大きく開かれても閉じられることはない」と述べたニュース映像、就任直後に流れた「中国の統計数字は人工的に操作されている」、また昨年の「中国人の年間収入は平均にすると3万元(約63万円)だが、実際には6億の人口が毎月1000元(約2万円)の収入で暮らしている」という発言などが広くシェアされた。

 これらはどれも発表当時、中国のトップリーダーによる思い切った発言だとして国際社会でも大きく取り沙汰されたものだ。もちろん、中国社会には自分たちの気持ちを代弁してくれたという思いが広がり、そのたびごとに「新しい政治」への期待が溢れた。人々が李の死に際して、あえてこれらの発言を発掘して流しているのは、当時の気持ちを思い出したからだろう。

 李が目指した経済政策は、1990年代末のWTO加盟直前に大胆な経済改革を進めた朱鎔基のそれに近いとされる。朱鎔基こそいまだに中国経済人の中で人気の政治家だが、実際に李が総理を務めた10年間、中国では何が起きたか。

李克強が総理を務めた10年間IT業界や予備校業界への締め付け、不動産業界の不調……

 まず、「国進民退」が誰の目にも明らかとなった。これは「国有経済が成長し、民営経済がやせ細る」という意味だ。WTO加盟を受けて大きく民営企業が成長した2000年代に比べ、2010年代はそうやって成長した新たな経済が「国のシステム」に取り込まれる時代となり、「新たな制度作り」が急速に進んだ。

 記憶に新しいところでは、IT業界の巨人「阿里巴巴 Alibaba」(以下、アリババ)の馬雲(ジャック・マー)会長(当時)による経済政策批判をきっかけに、大掛かりなIT業界の締め付けが始まり、さらに「子供と家族の負担を減らす」という理由で当時成長産業だった校外教育産業が潰された。これにより、高学歴の失業者が大量に出現。さらに新型コロナウイルスによる肺炎の大流行と行き過ぎた感染防止政策によって民間経済は停滞を余儀なくされ、10年どころか過去20年間に培われた新たな民間経済パワーは大きく挫折した。

 コロナ対策解消後の今になって、中国政府はあわてて民営経済の育成や支援を口にするようになったが、当時見捨てられ、切り捨てられて痛い目に遭った民間の士気はまだまだ低い。特に、高学歴者や若い世代には面従腹背がまん延し、政府が求めるような「一致団結」には至らないままだ。

 もちろん、そうした政策に李克強がどれほど主体的な役割を演じたかは分からない。習近平の一存によるものなのかもしれない。それでも李は間違いなくこの3月まで政府のトップ指導者の一人だったのである。特に、今やデフォルト騒ぎが続いている不動産業界が野放しだったこと、そして新たな時代の成長の柱だったIT産業や民間経済に対するあまりにも厳しい措置の数々において、李にその責任はないとは言い切れないはずだ。

李の訃報を中国メディアはどう伝えたか警戒態勢も、その理由は「偉大だったから」ではない

 李の訃報後、日本を含めた海外メディアは、そのニュースを中国メディアがどう伝えるかに注目した。これは中国報道あるあるで、その取り扱われ方が現政権による旧指導者への評価とみなされるからだ。

 ネットユーザーに日頃から「真理部」と呼ばれて皮肉られている共産党中央宣伝部は、27日のうちにメディアやネットプラットホーム運営各社に向けて、訃報を娯楽情報や商業活動と同じページや欄には載せないこと、さらに秋のイベントやカンフー映画などに関するすべての活動を中止するよう通達した。加えて「新華社、中央電視台、人民日報記事のみを転載すること」「ネットプラットホームのコメント欄をきちんと管理し、高すぎる評価を受けた言論には特に注意すること」などとする報道制限令を通知したことが分かっている。

 またネットユーザーによると、台湾人歌手の梁静茹さんの「可惜不是你」(残念ながらあなたじゃなかった)という歌が再生できなくなっているという報告もあった(なお、この曲は昨年安倍首相が殺害された際にも、再生不能になっている)。

 さらに、大学などにも、訃報についての学生たちの発言やネット書き込みに注目し、不当な発言は禁止、さらには集団で哀悼活動を行うなどの組織化、そうした活動への参加も制限するよう求める指令が下ったとされる。

 ただ、こうした警戒体制が取られるのは李が「偉大だったから」ではない。

 というのも、前述したように李が中国共産党の指導者の一人であったことは疑いなく、ここ10年間の失策の責任を負うべき立場にあることは間違いない。またそれ以前の1990年代終わりに李が河南省で党委員会書記を務めていた頃、同省で広がっていた、集団売血や輸血によるエイズ広域感染の実態を調べるように省の担当機関に命じた一方で、その事態を公にした研究者らを拘束した責任を問う声もある

 つまり、中国初の博士宰相であった李もまた間違いなく、中国共産党のシステムに従い、その中のルールを守って一歩一歩権力への道を登ってきた人間の一人だったのだから。

 中国政府が今恐れているのは、李の訃報によってかつてのその前例のない発言や行動が切り取られ、称賛され、持ち上げられることだ。そして庶民が現状への不満から、それを持ち上げることで現政権、現政府に当てつけるムードが拡散していくことなのである。

 李克強の突然の死が今の中国政治に与える影響はそれほどないだろう。だが、我々はこの事件を通じて、コロナゼロ対策以降の庶民の不満は決して収まっていないことを目の当たりにした。


急死した李克強前首相の遺体、厳戒態勢の中で火葬…追悼の動きが政権への抗議に発展警戒

読売新聞 によるストーリー • 11 時間


2日、北京で共産党指導部の執務室などがある中南海に掲げられた半旗=大原一郎撮影© 読売新聞

 【北京=川瀬大介、合肥(中国安徽省)=田村美穂】中国国営新華社通信によると、10月27日に68歳で急死した李克強(リークォーチャン)前首相の遺体が2日、北京市郊外の八宝山革命公墓で火葬された。当局は、李氏追悼の動きが政権への抗議に発展する事態を警戒し、市内に厳戒態勢を敷いた。

 新華社によると、火葬前には習近平(シージンピン)国家主席ら共産党最高指導部の政治局常務委員会のメンバー7人が最後の別れを告げた。ともに「共産主義青年団」(共青団)を政治基盤とする李氏を引き立ててきた胡錦濤(フージンタオ)前国家主席は参列しなかった模様で、花輪を贈った。追悼大会は行われず、この日の葬儀は2019年7月に死去した李鵬(リーポン)元首相と同じ格式だった。

 公墓周辺には2日朝から私服を含む警察官多数が配置され、交通規制も敷かれた。李氏が少年時代を過ごした安徽省合肥市の旧居前では、青色のベスト姿の治安ボランティア約200人が献花に訪れた人々の動きに目を光らせた。李氏の似顔絵と「国への尽力に感謝」とのメッセージを手にした男性の立ち入りが一時制限される場面もあった。

 江蘇省南京市から訪れた自動車会社員、陳中偉さん(22)は「(李氏の)貢献に感謝したい」と声を詰まらせた。

参考文献・参考資料

死せる孔明生ける仲達を走らす - Wikipedia

北京「天安門」厳戒態勢 李克強前首相あす火葬 ネットで追悼の動き制限 習政権で脇に追いやられ「国民の悲しみ爆発」警戒 (msn.com)

中国の不動産バブル崩壊が深刻化、李克強氏の急逝が中国経済にトドメを刺す理由 (msn.com)

中国「大衆目線のエリート」李克強前首相が急死、“天安門事件”の歴史は繰り返すのか? (msn.com)

「李克強前首相の急死」報道に警戒態勢が敷かれる理由、中国政府が恐れることとは? (msn.com)

急死した李克強前首相の遺体、厳戒態勢の中で火葬…追悼の動きが政権への抗議に発展警戒 (msn.com)

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