政治講座ⅴ1413「地政学のすすめ」
近年、政治を語る上での科学的分析が「地政学」と言われるものである。
地球が公軸に対して23.4度傾いて自転しているために色々な日照時間、季節、天候の変化を引き起こす。そして、自転が転向力(コリオリ力)を起こし北半球は台風は左巻きの渦を描く。南半球は右巻きの渦を描く。人間が住むところによって環境が違う。最近科学の発達で、色々な鉱物資源の採掘や精製ができる。鉱産資源の中では、石油・天然ガスなどがあり、過去にこのような資源を求めて戦争が起きた。最近はレアメタルなどが注目され、中国が戦略資源として寡占状態にある。このような資源の有無が地政学の要素となっている。
今回は、「地政学を解説する」報道記事を紹介する。
蛇足:「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」といへり。されば天より人を生じるには、・・・」『学問のすすめ』では貧富の差は学問の差であると福沢翁は説く。この著書には残念ながら『地政学』に関する解説はないが、その後に寄稿した『脱亜論』の内容に「地政学」の要素の解説がある。西洋の文明国からは「支那・朝鮮」と日本は地理的に近いから「支那・朝鮮」と同列の野蛮な国と思われるので、へたな付き合いは辞めて、西欧と付き合うようにするべきと140年前に地政学的見地から説いている。
皇紀2683年10月9日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
なぜロシアは広大な国土があるのに他国を攻めるのか?「プーチンになりきる」とヒントがわかる
田村耕太郎 によるストーリー •14 時間
海外で、今や「ビジネスパーソンがいま最も学ぶべき学問の一つ」と言われている“地政学”。
――地政学とは、「その国の元首になる“ロールプレイングゲーム”」。
主体的に、自らがその国のリーダーであったら、とその国の置かれた状況に自らを置いて考えてみる訓練である――と『地政学が最強の教養である “圧倒的教養”が身につく、たった1つの学問』(SBクリエイティブ)の著者、田村耕太郎は話します。
その地政学とは一体何なのか。同書籍の第2章の一部を抜粋して紹介します。
※本稿は、田村耕太郎『地政学が最強の教養である “圧倒的教養”が身につく、たった1つの学問』(SBクリエイティブ)の一部を抜粋・編集したものです。
地政学とは「その国の元首になる“ロールプレイングゲーム”」
地政学とは「その国の元首になる“ロールプレイングゲーム”」である。そして、「その国のトップの考え」に影響を与える要素に「地理」とその他「6つの要素」がある(下図参照)。
つまり、「『地理』と『6つの要素』にその国の条件を入れ込むことで、『その国のトップの考え』が決まる思考の枠組み」が「地政学の思考法」だ。そうして、「自分がその国のトップだったら、どう考えるか」、思いをめぐらせる。
では、「その国の元首になる“ロールプレイングゲーム”」とは具体的にどんなことなのだろうか。今何かと地政学リスクについて話題を提供してくれているロシアを例に考えてみたい。
「なぜロシアは大きな国土があるのに、他国を攻めるのか?」という疑問を持つ人がいるかもしれないので、このテーマについて少し深掘りをしてみよう。あなたもプーチン氏になってみる。あなたが、クレムリンの執務室にどっかりと座っていたらどういう世界が見えるだろうか?
ロシアは世界一の国土の広さで、その面積は約1710万平方キロメートル、日本の約45倍である。東西に大きくまたがるため11ものタイムゾーンがあり、同じ国内でも時差は最大10時間にわたる。そんな広大な国土を治める立場にいるのだ。その広大な国土に190を超える少数民族を抱えているのだ。 あなたは大豪邸に住んでいる。その中には自分たちとは慣習や言葉も違う人たちが多く住んでいる。それよりある意味異質な人たちと、その広大な豪邸の敷地の境を接しながら窓やドアは増えているのだ。家が大きければ大きいほど、増えた窓やドアから強盗や泥棒に侵入される可能性は高くなる。プーチン氏は、陸続きの国境線が延びれば延びるほど侵入される恐怖は増すのだ。
地理が決まれば気候も決まる。ロシアの国土の約60%は永久凍土である。そしてその国土の80%は無人であるといわれる。国土が広く見えて、「なぜあんな広い国に住みながらまだ領土を拡大しようとするのか」と思う人もいるだろうが、80%が無人で住めない場所だとしたらどうだろう。
そして、地理が決まれば、必然的に「周辺国」が決まる。実は、ロシアは国境を隣接する国が14もある。ただでさえ、家が広くて侵入者に「恐怖」を感じているのに、侵入可能な窓やドアが増えたら、あなたならどう思うだろうか。「恐怖」はさらに強まり、もうこうなると、「攻められる前に、こちらから攻める」というマインドになりかねない。
ロシアという国は永久凍土など、居住や移動に適さない土地が多い。そのせいもあり、農業の生産性は低い。ロシアの耕地面積は1億2200万ヘクタールで、日本の28倍もあるが、穀物の単位面積あたり収穫高は1ヘクタールあたり2.4トンで日本の4割ほどしかない。そして、交易や海洋進出のために活用したい港湾の多くが、冬場に凍結してしまう。
こうして、「地理」が決まることで、間接的に「歴史」も決まる。「攻められる前に、こちらから攻める」というマインドと、生きていくために「不凍港」を求める動きが合わさる。あなたなら、どうするか。そう、だからこそ、ロシアは常に国外に進出を繰り返してきた。
もちろん、私はだからといってロシアの過去や現在の行動を正当化はしない。しかしながら、価値判断を除いてロールプレイング思考訓練だけやる。その上で自分ならどうするか? オプションを導き出すことがとても大事なのだ。
自らをクレムリンの執務室に置いて、価値判断はせずに、自分がプーチンならどうするかを考えてみることに意義はある。もちろん、違うオプションを導き出すことを試みるなど、相手の立場に立つことはとても重要である。この訓練はビジネスに役立つだけでなく、実際の和平交渉やその進展を読むことにおいても有意義だ。
地政学は「戦争」でなく「平和」のための学問
どうだろう。このように「要素」で考えていくと、例えば「ロシアがウクライナに侵攻した」というニュース一つをとってみても、その受け取り方が結構変わってくるのではなかろうか?
持続する現実的な平和を確立するためには地政学的理解が欠かせないのだ。世界はジャングルの掟が支配する。フランシス・フクヤマ氏が『歴史の終わり』で説いたような世界はやってこなかった。世界に自由民主主義が自然と広がり、国際機関や国際社会が国際法を使って平和を保障してくれるような世界はまだまだやってこないだろう。
現実的には平和とは力の均衡状態のことを言う。今回のウクライナ戦争は、プーチン氏がウクライナにおけるNATOとロシアの均衡状態が崩れたと判断して起こした。むき出しの力を使って状況を変えようとするリーダーの置かれた立場を理解して手を打たなければ、現実的で持続する平和はやってこない。
そのために地政学的理解、つまりロールプレイング的思考訓練が必要なのだ。善悪でリーダーを判断して勧善懲悪を期待してはいけない。NATO側にもアメリカにも、国益・名誉・恐怖から来る地政学的判断がある。そこも理解して我々日本人は世論やビジネスの構築を目指すべきだろう。
ウクライナ戦争に勝るとも劣らないような地政学的リスクが、我々が住む日本近辺にもないわけではないのである。
「地理」が「6つの要素」すべてを決める
我々は世界中ほぼどこにでも旅ができて、ほぼ世界中からスマホ一つで色々なものをオーダーできる時代に生きている。そのため、「もうテクノロジーは地理を乗り越えてしまった」と思いがちである。しかし、地理による運命を書き換える能力はまだまだ我々人類は手にしていないのだ。
スマホのおかげで世界中からオーダーできると思われている品々は、デジタル化できる商品を除いて、ほとんどが海を渡って我々のもとに届いている。デジタル情報の99%も海底ケーブルを通じて届いている。海を制するものが世界を制する時代は変わっていないのだ。
一方で個人で旅行はできるが、国として物理的に、欧州や北米に引っ越せるわけではない。後述するが私はシンガポール建国の父である故リークワンユーさんから三度も「今の地理的条件で日本が小さく、貧しく、老いていくのは相当まずいよ。日本は引っ越せないんだよ」と指摘された。地理的な運命を、今の人類が乗り越えることは難しいのだ。
ウクライナ戦争も台湾情勢も朝鮮半島情勢もすべてが地理的な運命から来ている部分が大きい。どんな国に周りを囲まれるのかは変えられない。
天候は地理に左右される。日本に台風が来るのも、台風発生地帯より南に位置するシンガポールで台風がないのも地理のせいだ。ロシアのほとんどが極寒の地にあり、アメリカが肥沃で温暖な土地を多く持つのも地理的条件のせいである。今後は期待したいが、気候を自在に変化させるようなテクノロジーをまだ人類は持っていない。
地理的な位置で国民性も影響を受ける。大陸的、島国根性、半島感情など色々言われるが、それらも一理ある。日々、目に入る光景や暮らしの風景や人の出入りは地理に左右される。
天候や国民性や周りの国々により、その国の統治体系も影響を受ける。地理的な位置で、獲れる食物も利用できる資源も左右される。そこから起こってくる産業も変わってくる。
地球上のどこにあるのか? 緯度はどのへんなのか? 島なのか? 半島なのか? 大陸の真ん中にあるのか? これによって、国の運命は大きく変わる。今まで述べた要素によって歴史が作られてくる。歴史はその地理的条件から始まっているのだ。
かつてパンゲアという一つの大陸だった我々が住む世界も6つの大陸と多くの島に分かれてしまった。その後、我々人類が誕生した。そしてどこに住むのかによって我々の運命は左右されるようになってしまったのだ。
「地理」が習近平氏の支配体制を決めている?
中国は、ロシアと同様、異様なほど広い国土を有している。その国土の多くの部分、特に内陸部は砂漠地帯などの乾燥地域が続く。内陸部の乾燥地帯は「ステップ気候」と呼ばれ、日本とは異なり大木が育つことはなく、背丈の低い草木が生える程度。草原気候とも言われる。
そこで安定的に食糧を生み出すには大河川から灌漑などの大規模な土木事業を行い水を確保するしかない。よって、大規模な土木工事をするために大量の動員が可能になるよう広い国土を中央集権的に治める制度が確立されてきた。欧州のように高い木々や山脈が大地をさえぎることがないので、複数の国に分かれることもなかった。
巨大な国を作り、それを中央集権で束ね、巨大なインフラを建設して生きていくために、道路や文字や暦や単位を統一し、巨大な領地を隅々まで管理するために官僚制度を作り出した。
『地政学が最強の教養である “圧倒的教養”が身につく、たった1つの学問』 (SBクリエイティブ) 田村耕太郎 著© ダイヤモンド・オンライン
また騎馬民族の存在も大きい。ステップ気候帯は定住には適さない環境のため、常に移動する生活スタイルが確立した集団が常に存在した。彼らは気候の変化によって南下し、機動力・狩猟能力に長けていたので、それを戦闘力に転換しやすく、常に定住する人々の脅威になった。
中国はその騎馬民族らから広い国境線を守るのに必死だったのだ。中国は万里の長城などの軍事インフラ構築や軍隊整備を行って、騎馬民族の来襲から自らを守るためにも、統一した文字や暦や単位や官僚制度を作り出した。
「中国はなぜ中央集権的なのか?」への答えが少し見えてきたのではないか。中国が中央集権的、強権的なのは、こういった中国の地理的な制約があるのだ。「地理」によって、「統治体系」が決まり、歴史が作られた。「地理」つまり「場所」というのは、国において、運命を決定づけてしまう重要な要素なのである。
脱亜論の参考現代語訳
世界の交通の道は便利になり、西洋文明の風は東に進み、至るところ、草も木もこの風になびかないことはない。
西洋の人物は古代と現在に大した違いはないのだが、その活動が古代は遅鈍、今は活発なのは、ただ交通の機関を利用し、勢いに乗じるがためである。
ゆえに最近、東洋に国がある民のために考えると、この文明が東に進んでくる勢いに抵抗して、これを防ぎきる覚悟であれば、それもよい。
しかし、いやしくも世界中の現状を観察し、事実上それが不可能なことを知る者は、世の移りにあわせ、共に文明の海に浮き沈み、文明の波に乗り、文明の苦楽をともにする以外にはないのである。
文明とは全く、麻疹はしかの流行のようなものだ。
目下、東京の麻疹は西国の長崎地方より東に進み、春の暖気と共に次第に蔓延するもののようである。
この時、流行病の害をにくみ、これを防ごうとするにしても、果してその手段はあるだろうか?
筆者はその手段は断じてないことを保証する。
有害一辺倒の流行病も、その勢いにはなお抵抗できない。
いわんや利益と害悪がともない、常に利益の多い文明はなおさらである。
これを防がないばかりではなく、つとめてその普及を助け、国民を早くその気風に染ませることが知識人の課題である。
近代西洋文明がわが日本に入ったのは、嘉永の開国を発端とする。
国民はようやくそれを採用するべきことを知り、しだいに活発の気風が生じたものの、進歩の道に横たわる老害の幕府というものがあり、これはいかんともできなかった。
幕府を保存しようとすると、文明は決して入ってくることができない。
なぜかといえば近代文明は日本の旧体制と両立するものではなく、旧体制を改革すれば、同時に幕府も滅亡してしまうからである。
だからといって、文明をふせいてその侵入を止めようとすれば、日本国の独立は維持できなかった。
なぜならば、世界文明の慌しい情勢は、東洋の孤島の眠りを許すものではなかったからだ。
ここにおいて、わが日本の人士は、国を重く、幕府を軽いとする大義に基づき、また、さいわいに神聖なる皇室の尊厳によって、断固として旧幕府を倒し、新政府を立てた。
政府も民間も区別なく、国中がいっさい万事、西洋近代文明を採り、ただ日本の旧法を改革したばかりではない。
アジア全域の中にあって、一つの新機軸を確立し、主義とするのはただ、脱亜の二字にあるのみである。
わが日本の国土はアジアの東端に位置するのであるが、国民の精神は既にアジアの旧習を脱し、西洋の文明に移っている。
しかしここに不幸なのは、隣国があり、その一を支那といい、一を朝鮮という。
この二国の人民も古来、アジア流の政治・宗教・風俗に養われてきたことは、わが日本国民と異ならないのである。だが人種の由来が特別なのか、または同様の政治・宗教・風俗のなかにいながら、遺伝した教育に違うものがあるためか、日・支・韓の三国を並べれば、日本に比べれば支那・韓国はよほど似ているのである。この二国の者たちは、自分の身の上についても、また自分の国に関しても、改革や進歩の道を知らない。
交通便利な世の中にあっては、文明の物ごとを見聞きしないわけではないが、耳や目の見聞は心を動かすことにならず、その古くさい慣習にしがみつくありさまは、百千年の昔とおなじである。
現在の、文明日に日に新たな活劇の場に、教育を論じれば儒教主義といい、学校で教えるべきは仁義礼智といい、一から十まで外見の虚飾ばかりにこだわり、実際においては真理や原則をわきまえることがない。
そればかりか、道徳さえ地を掃いたように消えはてて残酷破廉恥を極め、なお傲然として自省の念など持たない者のようだ。
筆者からこの二国をみれば、今の文明東進の情勢の中にあっては、とても独立を維持する道はない。幸い国の中に志士が現れ、国の開明進歩の手始めに、われらの明治維新のような政府の大改革を企て、政治を改めるとともに人心を一新するような活動があれば、それはまた別である。
もしそうならない場合は、今より数年たたぬうちに亡国となり、その国土は世界の文明諸国に分割されることは、一点の疑いもない。
なぜならば、麻疹と同じ文明開化の流行に遭いながら、支那・韓国の両国は伝染の自然法則に背き、無理にこれを避けようとして室内に閉じこもり、空気の流通を遮断して、窒息しているからだ。
「輔車唇歯」とは隣国が相互に援助しあう喩えであるが、今の支那朝鮮はわが日本のために髪一本ほどの役にも立たない。のみならず、西洋文明人の眼から見れば、三国が地理的に近接しているため、時には三国を同一視し、支那・韓国の評価で、わが日本を判断するということもありえるのだ。例えば、支那、朝鮮の政府が昔どおり専制で、法律は信頼できなければ、西洋の人は、日本もまた無法律の国かと疑うだろう。
支那、朝鮮の人が迷信深く、科学の何かを知らなければ、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思うに違いない。
支那人が卑屈で恥を知らなければ、日本人の義侠もその影に隠れ、朝鮮国に残酷な刑罰があれば、日本人もまた無情と推量されるのだ。
事例をかぞえれば、枚挙にいとまがない。
喩えるならば、軒を並べたある村や町内の者たちが、愚かで無法、しかも残忍で無情なときは、たまたまその町村内の、ある家の人が正当に振るまおうと注意しても、他人の悪行に隠れて埋没するようなものだ。
その影響が現実にあらわれ、間接にわが外交上の障害となっていることは実に少なくなく、わが日本国の一大不幸というべきである。
そうであるから、現在の戦略を考えるに、わが国は隣国の開明を待ち、共にアジアを発展させる猶予はないのである。むしろ、その仲間から脱出し、西洋の文明国と進退をともにし、その支那、朝鮮に接する方法も、隣国だからと特別の配慮をすることなく、まさに西洋人がこれに接するように処置すべきである。悪友と親しく交わる者も、また悪名を免れない。筆者は心の中で、東アジアの悪友を謝絶するものである。
参考文献・参考資料
なぜロシアは広大な国土があるのに他国を攻めるのか?「プーチンになりきる」とヒントがわかる (msn.com)
地球の自転とは?回転している向きや速度、動きを感じない理由 | 宇宙 | 科学部 | 部活トップ | バンダイによる、遊びと学びのココロ育むファミリーエンタメサイト (thewonder.it)
福沢諭吉著 伊藤正雄校注『学問のすすめ』旺文社 1967.12.20 初版発行
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