政治講座ⅴ873「韓国軍のベトナム人虐殺裁判」
この原稿を書くに当たり思い出したことがある。中学・高校の時期に聞いた話に、米国の軍人としてベトナム戦争に志願すると米国籍がもらえるなどという話があった。多分、兵士の募集をしていたのであろう。
市民権が無い者が志願・入営すると、忠誠を誓ったと看做され最低居住期間条件が免除になり、居住期間に関わらず入隊時(申請時)に市民権申請が可能になる(受理されるだけで認められるかは別)。既に入隊済みで1年以上経過した者も居住期間に関係なく市民権申請資格がある。
ベトナム戦争時には数を確保するため、素行不良者や就労が禁止されている観光ビザで入国した外国人への勧誘活動まで行われたが、脱走兵の増加や軍規の乱れを招いたことから戦争終結後に厳格化された。
当時は次のような世界情勢にあった中で、韓国軍はベトナムに出兵するのである。日本は朝鮮戦争やベトナム戦争には憲法第九条を盾にして、自衛隊の参戦を拒んできたのである。戦争が特需景気となり経済復興に寄与し日本の復興に邁進した。それは、戦争に負けて、国土が焦土化されたが、持ち前の技術力・生産力を発揮して経済を立て直ししたのである。
翻って韓国の工業技術力・産業発展の資本金はあったかというと、日本が朝鮮半島に社会資本の機材関係は北朝鮮にほとんど存在した。だから当初は北朝鮮の方が韓国に比べて裕福であったのである。北朝鮮には日本の産業機材が丸々手に入ったからである。一方、韓国は農業主体であり、最貧国と称される惨めな立場であった。そこで、最貧国から脱却するために、クーデターで政権を奪取した朴正煕大統領(創氏改名による日本名は高木 正雄)は大日本帝国時代の軍人であった縁を利用して、日本政府に経済援助を求めたのである。日本の佐藤栄作内閣総理大臣との間で日韓基本条約を批准して日韓両国の国交を正常化した。そこで日韓請求権で多額の資金をえた。同時に、1964年にベトナム戦争に韓国軍を派兵した傭兵資金を得たのである。その資金と日米両産業・技術支援で「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を達成した。
翻ってベトナム戦争は、フランスと共産党率いるベトミンとの間で起きた第一次インドシナ戦争に端を発する。
第一次インドシナ戦争は、1946年から1954年にベトナム民主共和国の独立をめぐってフランスとの間で展開した戦争。
1954年にフランスがインドシナ半島の再植民地化をやめた後、アメリカは南ベトナム国家への財政的・軍事的支援を行った。
ベトナム戦争は、当時南北に分断されていたベトナムで社会主義のベトナム民主共和国(北ベトナム)と資本主義のベトナム共和国(南ベトナム)が争った戦争であり、冷戦中に起こった資本主義と社会主義の代理戦争であるとされる
そして、1961年11月、クーデターにより政権を掌握した朴正煕国家再建最高会議議長はアメリカを訪問するとケネディ大統領に軍事政権の正統性を認めてもらうことやアメリカからの援助が減らされている状況を戦争特需によって打開すること、また共産主義の拡大が自国の存亡に繋がるという強い危機感を持っていたためにベトナムへの韓国軍の派兵を訴えた。ケネディ大統領は韓国の提案を当初は受け入れなかったが、ジョンソン大統領に代わると1964年から段階的に韓国軍の派兵を受け入れた
そこで、韓国軍の国際法違反(多分、そのような意識がない軍人の集まり)のベトナム人の民間人の虐殺が始まるのである。丁度、ウクライナに侵攻しているロシア人の民間のウクライナ人の殺害と同じようなことが行われたのである(補充兵の募集を死刑囚からも求めている)。 同様に、ライダイハン事件も起きているが、以前何回も取り上げているので、今回は民間ベトナム人殺害の裁判記事を紹介する。しかし、歴史は繰り返されていることには驚かされる。
皇紀2683年2月23日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
「民間人殺傷は正当行為」との韓国政府の主張退ける ベトナム戦争時の軍による虐殺、地裁が賠償命令
ベトナム戦争に派遣された韓国軍による民間人虐殺を巡り、韓国の裁判所が初めて韓国政府の責任を認めた。虐殺で家族を奪われたベトナム人女性が韓国政府を相手取り2020年に起こした訴訟で、ソウル中央地裁は今月7日、政府に慰謝料約3000万ウォン(約310万円)の支払いを命じた。韓国の弁護士らが国をまたいだ国家賠償訴訟を支援しており、日韓の懸案である元徴用工訴訟ともやや似た構図。一審判決は、国家の論理より被害者個人の救済を重視する結論を出した。(ソウル・木下大資)
◆参戦した韓国軍人が証言
原告は、1968年に韓国軍海兵隊の軍人らがベトナム中部の村で70人以上を虐殺したとされる事件の生存者グエン・ティ・タンさん(62)。きょうだいらを射殺され、自身も腹部に銃撃を受け重傷を負った。
地裁は、参戦した韓国の軍人の証言などから、タンさんの訴えの大部分を認めた。敵兵と住民を区別しにくいベトナム戦争の特性上、「民間人を殺傷したとしても正当行為だった」とする政府側の主張は退けられた。
韓国政府は65年にベトナム、米国との間でそれぞれ締結した約定書により、ベトナム人が韓国で裁判を提起することはできないとも主張。地裁は「軍当局間で締結した合意にすぎず、条約としての効力を持たない」として、被害者が韓国の裁判所に訴える権利は妨げないとした。
賠償請求権の消滅時効が過ぎたかどうかも争点だった。地裁は、近年になって韓国で虐殺の真相究明に取り組む民間団体が証拠資料を確保するまで、被害者が実質的に訴訟を起こせる状態ではなかったと指摘。「原告は訴訟を提起するまで、債権者の権利を行使できない障害事由があった」と判断した。
◆「被害者個人に焦点を合わせなければならない」
韓国軍のベトナム人民間人虐殺は、20年余り前に韓国の週刊誌報道をきっかけに浮上。進歩派の弁護士や市民らが被害者との連帯や真相究明を目指す活動を展開した。一方で、虐殺の暴露は参戦した軍人への名誉毀損(きそん)だとの保守的な考えも残る。ベトナム政府も内戦の記憶に触れることに消極的だったこともあり、韓国政府は虐殺を明確には認めてこなかった。
韓国軍による虐殺の被害者は9000人以上との見方があり、韓国メディアでは「今後、類似の訴訟が相次ぐ可能性がある」と懸念する論調もある。李鐘燮(イジョンソプ)国防相は「国防省が確認したところでは虐殺は全くない。判決には同意できない」との立場を示した。
原告代理人で、元徴用工訴訟も担当する林宰成(イムジェソン)弁護士は「こうした問題を、国家を中心とする外交問題として語ることは20世紀的な発想だ。被害者個人に焦点を合わせなければならない」と語る。
参考文献・参考資料
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