「遠い概念」ではなく「関わりある指針」としてのSDGs
SDGsのカードゲーム(地方創生版)を体験してきた。
こうして改まって「SDGsについて書く」のは、「今更感」が無いといえば嘘になる。でもこの「今更感」はサクッと乗り越えて進まないと、2030年は10年後だ。何よりSDGsのマークはドーナツなのだから。
僕らのような地域の零細飲食店は、地域の生態系の中で生かされている。それは今の立地環境で1年半店をやってきて感じる、紛れもない実感だ。
例えば、地域のことを深く知っていて、新参者の僕らと一緒に店を盛り上げてくれる方がいる。近所で美味しい小麦を作ってくれる方がいる。小麦の在庫を使いきってしまったら「うちのを使っていいよ」と持ってきてくれる別の近所の方がいる。地域外からさまざまな人たちを呼びこむ場をつくってくれている方がいる。10年20年単位で地域の魅力を増してくれている方なんて山のようにいるし、この地域に長く住んでくださっている全ての皆さんの膨大な営みの集積の上で、そしてこの地域の豊かな自然環境の中で、僕らの店は細々と営業をして、わずかながらも利益を上げさせてもらっている。それが「生かされている」の意味だ。
気がつけば、いろんなところで「生態系」という言葉が口を衝いて出るようになっていた。
僕は「海外」や「国際」について考えるのが苦手だった。関心が長続きしないのだ。認識としてはいつも、自分を起点にして、一番遠いところにあるものという感じ。頭の中では「近景/中景/遠景」といった感じで整理されていて、自分や家族や親しい友人たちは「近景」、近くに住む人たちや関心の近い人たち(中間共同体)が「中景」、日本という国やその先にある海外は「遠景」。2011年以降の僕の関心は、もっぱら近景と中景止まりだった。
でも、この「近・中・遠」という、自分からの距離感を尺度とした遠近法的な見方(世界観)では、どうやらいま起きていることは理解ができない、理解して次に進めない・・・そういう小さな躓きが自分の中に蓄積され続けた結果が、「生態系」という言葉に表れているように思う。
自分の身の回りにあるもので「スタンドアローン」なものは、何一つとしてない。あらゆるものは、何か別の物事と関係し、影響を与え、影響を受けあっている。それが僕がこの10年で徐々に獲得した新しい世界観だ。
SDGsのゲームの感想を書こうとして書きはじめたら、すっかり話が別の方向へ行ってしまった。もはや戻るべき地点がわからなくなったので、このまま書き進めますけど、また水曜日になったら自分が作るであろうドーナツ。材料は小麦粉と牛乳と砂糖と卵とバター。例えばその材料であるバターひとつ取ってみても、生産されるまでのルートを辿ったりするだけで、たぶん海外には5秒で繋がってしまう。長野の山間の小さな店のたった一つのドーナツは、比喩的な意味ではなく世界と繋がっている(生態系の中に存在している)。
今更で結構。その確かな実感の側からSDGsを見た時、それは自分からは「遠い概念」ではなく、自分と「関わりある指針」となる。
そういう意味で今回体験した「SDGs de 地方創生」は多くの示唆に富んでいたし、質の高いコーポラティブゲームでした。「SDGs」をひとつの共通言語として用いることで、いろいろな効果が期待できそう。近いうちに「2030SDGs」の方も体験したいと思います。
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