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ぬいぐるみ side K

ある晴れた日の夕方のことだった。

初めてきみを見た時、

一目ですきになった。

だからわたしはきみを買って、

家に連れて帰ってきた。

わたしは部屋を見渡して、ひとまず、この新しいふわふわなぬいぐるみを置くのに良さそうな場所を探した。

ちょうど、ベッドのヘッドボードの上が空いているのに気がつくと、わたしは考えて、その日はきみをクロゼットの中にしまうことにした。

この部屋の中にきみの居場所を作るために、一つ工作をしようと思ったのだ。

わたしは机の横に立てかけてある、手作りの織り機を手に取った。そして、そこに百均のタコ糸を張って、横糸に白い毛糸を使って平織りを始めた。

わたしのその日の残りの時間を全て使って、やっとその布は完成した。

真っ白い、ただの無地の、ぶかっこうな長方形の布が仕上がった。


わたしは眠り、やがて朝がきた。

わたしは、クロゼットを開けて、きみを取り出した。

きみは昨日と何一つ変わらぬつぶらな瞳でわたしを見つめ返していた。

わたしは「おはよう、いずも」とつぶやいた。いずも、それがわたしの一晩かけて考えた、新しいぬいぐるみの名前だった。

わたしはベッドのヘッドボードの上に昨夜完成した布を敷き、その上にきみを座らせた。

今日からここがきみの席だよと伝えたが、きみは何も答えなかった。


わたしはきみを布の上から抱き上げ、わたしの机の上に座らせた。そしていつもの日記ノートを開き、きみに語りかけるような文章を綴り始めた。

『おはよう、いずも。今日からは、このノートもいずもに宛てて書くこととしよう。まず、「いずも」、というのは、きみの新しい名前です。自己紹介が遅れたね、わたしの名前はかづき。漢字で書くと、田宮・夏月。昨日から、きみの持ち主になりました。実は昨日からきみの置き場所を決めていたのだけれど、やはりどこか、きみの揺らがない定位置が必要だよね。クロゼットの中にしまったり取り出したりを繰り返すよりは、何があってもずっとそこにいる、みたいな場所が、やはりきみには必要なはず。そこでわたしは考えた。きみに一枚の絨毯を与えます。昨晩織りあがったばかりの、白い毛糸の布をわたしはきみに与えます。布はヘッドボードの上の隅に敷いておくから、普段はこの布の上に座っていてね。』

きみは何も答えなかった。


わたしは、毎朝、目覚めると、ヘッドボードの上のきみに向かって「おはよう、いずも」とつぶやいた。わたしは毎日のようにきみを抱き、「きみは可愛いね」と言いながら愛撫した。

わたしは時々、きみを机の上に座らせて、きみに宛てた文章をノートに書いた。

『やあ、いずも、今日も始まった。楽しく行こう。今日は出かける予定がある。いずもは連れて行けないから、お留守番をよろしくね。』

わたしはお腹が空いている時、きみも同じようにお腹が空いているのではないかと考えた。実際に、きみにお菓子を与えてみたが、きみは全くそれを受け取ろうとしなかった。そして、わたしが食事をして満たされると、きみのからだの中にワタが入っているから、きみがお腹を空かせることはないのだと思い直した。

わたしはよく、きみを膝の上に乗せて机に座り、ノートパソコンでYouTubeを開いた。そうしてきみにたくさんの音楽を聴かせた。懐かしのボーカロイドの曲から、ラジオで流れて以来、お気に入りの一曲となった新しい歌までを。きみは相変わらず何も答えないが、きっと楽しんでいるだろうとわたしは思っていた。この日の夜もわたしはきみに「音楽」を聴かせた。


そんなある日のことだった。

わたしは突然、きみを持っている自分や、きみに話しかける自分のことを気持ち悪く感じてしまった。きみに文章で話しかけたり、一緒に遊んだりせずに、どこか見えないところに置いて無視するのが一番いいのではないかという気がした。わたしはきみをクロゼットの中にしまい込んだ。もう二度と、出してやることはないかもしれない。本当は、捨てたっていい。きみは気持ちが悪いのだ。ぬいぐるみと一緒に遊ぶ二十三歳の女は異常だ。

……しかし、しまい込んでから、きみのことがだんだんとなんだか可哀想に感じられてきてしまった。やはりわたしにはきみを封印することなんてできないのかもしれない。きみは真っ暗なクロゼットの中で泣いているかもしれない。やはり見えるところに……ヘッドボードの上にいてくれたほうがきっといいのだ。わたしはきみを取り出して「ごめんね」と言った。きみにはきっと感情があるのだ。きみはきっと、わたしそのものだ。わたしが気持ち悪いと思ったのは、きみじゃなくて、きっと自分自身に対してだ。わたしはきみの頭をひと撫ですると、きみをもう一度ヘッドボードの白い布の上に座らせた。

きみは何も答えなかった。

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