【小説】『リトル・リト』 美大生活の終わりに
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あるところに、女がいた。名前をアキソラホホといった。彼女は自分がいつまでもは生きられないことを憂い、自分の分身をこの世に残す方法を思案した末、一冊の本をこの世に残すことにした。ところが本の完成の直後、彼女は死んでしまった。彼女は数少ない思い出を手土産に、他の誰もと同じように、ただ、この世から立ち去ったにすぎないのだ。
そして、この本を所蔵する美術大学附属図書館に、いまにもこの本をひらこうとする者があった。深緑色のコートを着たその人物は……
彼女の妹だった。名前をソエカゼといった。ソエカゼは黒い背表紙に銀色の文字で『リトル・リト』と書かれた書物を見つけると、棚からそれを抜き取り、机に持って行ってそれをひらいた。作者の名前を確認し、それが姉の書いたものに間違いないことを確認すると、小脇に抱え、借り出しの手続きをしに受付へ持って行った。
ソエカゼはこの美術大学で油画を学んでいた。美術大学生活最後の、いわゆる「卒業制作」を目の前にして、何をテーマに制作したらよいか、思い悩んでいた。ちょうどその時、姉が死ぬ間際に書いた本が、この大学にもあることを思い出し、姉の表現したかったことを、自分は絵で表現しようと思い至った。それを美大で最後の制作にしよう、と。
〜〜『リトル・リト』はリトという小さな少女が主人公の、ファンタジー冒険小説だ。本の中の記述によると、リトは先のとんがった大きな耳をしていて、長い髪を後頭部のあたりでひと束に結っており、赤色のワンピースを着ているらしい。
『リトル・リト』の世界には「ツリガネ」という魔法道具があった。ツリガネは生きている不思議な生物で、大きさは大体四十センチメートルから一メートルくらいのものが多くて、からだは茶色の色をし、形はさまざまなものがある。野生でよくいるのは、歯車のような形のツリガネだ。この歯車型のツリガネをからだに付けられた者は、そのツリガネを使った者によって、心身を操られてしまうという。
リトの弟のバルもまた、歯車型のツリガネで父親に操られた被害者の一人だった。ある日、大きなツリガネを背中に付けられたバルは、たちまち建築に姿を変えられてしまった。その建築は三角形が横に三つ繋がったような、奇妙な形の建造物で、広大な平原にただ一つポツンと建つことになった。この魔法をかけた主である父親は、バルが姿を変えた建築を、自分の城として、自らの住処とすることにした。
弟の姿が変えられるところを目の当たりにしたリトは、父親に反抗した。「お父さまはなんてひどいことを!」「バルをもとに戻して!」……ぎゃあぎゃあ騒ぐリトにうんざりした父親は、魔法でリトの記憶を奪って、これもまた魔法で、どこか遠くにリトを吹き飛ばしてしまった。
やがて目覚めると、リトは野生のツリガネがたくさんいる深い森の中で、浮遊する無数のツリガネたちに囲まれて、息をしていた。
ここがどこかも、自分の名前さえもわからないリトに、ツリガネたちは優しく声をかけてくれた。それからの数年間、リトはこの森でツリガネたちと一緒に暮らした。〜〜
姉の遺作を最後まで読み、ソエカゼは考えた。ひときわ印象に残った、冒頭のこの場面を絵にしてみたらどうだろう。
☆
ソエカゼが、姉の遺作を元にした油画の制作に取り掛かってから六週間が経過した。そして、美術専攻での中間講評会の日。
「原作の『リトル・リト』を書いたのは、数年前に病気で亡くなったわたしの姉です。わたしは、この小説を最後まで読み、中でも最も印象に残った場面を油画で表現しました」
教授1「まず、技法的な話として。物語を表したいなら一つの場面だけを描くんじゃなくて、絵巻物みたいなものにすることもできたんじゃない? 横長のキャンバスにしてさ。他にも、アニメーションっていう手もあったよね。何か別の方法にしていたら、もっと作品に広がりができたかもしれないのに」
教授2「そのシーンはソエカゼさんが印象に残ったっていうシーンでしょ。亡くなったお姉さんが本当に表現したかったのは、本当にそのシーンなのかわからないじゃないか。まあ、もうこの世にいない人に取材することはできないか」
教授3「そもそも、お姉さんの表現した物語をそのまんま絵にしただけじゃあ、二次創作と何も変わらないよ? 原作に取材した上で、翻訳をあなたは行うべきだった」
教授1「確かに」
教授3「言ってる意味わかる? 翻訳ってのは……」
「わ、わ、わたしは……」
「……姉がこの世に残したものにもう一度いのちを与えたかっただけなんです……っ!」
ソエカゼは、その場に泣き崩れた。
2
そもそも、わたしは姉の伝えたかったことをきちんと汲み取ることができていなかったのかもしれない。姉の作品を主題にすること自体に対しては、教授たちは何も言わなかったから、この切り口自体はきっと間違いではないのだろう。問題があったのは、わたしの課題の進めかただ。「自分が」印象に残ったというだけで絵を作ろうとしてしまった。あれは本当に自分本位で、確かに二次創作の域を出ないものであったに違いない。見苦しいことをした。しかし、六週間で進めていた絵はもう完成してしまった。これはこれで、産物としては上等だと思う。さて、やりかたを考えようか。
『リトル・リト』……それは、姉がこの世に残した最後の遺物。これを通じて、姉が伝えたかったことは何なのだろう。
リトには、バルという弟がいた。父親に虐げられてしまう弟が。これは、わたしを重ねているのではないか。そんなことを考えるのはおこがましいと思っていたからいままで敢えて言語化していなかったけれど、姉がリトだとしたら、弟のバルは妹のわたしに当たるのかもしれない。そしてわたしたちの父親は、確かに酔うと暴力的になる人だ。大酒飲みの亭主関白で、しかも美食家で、いつも母に対してビールと美味しい料理を要求していた。
そういえば、リトル・リトではない別の姉の作品で、『ブンドーの玩具箱』という小説が(本にはなっていないけれど)あって、その小説、わたしも読ませてもらったことがあったな。その小説は、美食家で町長のハンゼロっていう男の家庭内の物語だった。妻なのに召使いとして家で働いているサロムっていう女の人と、本当の召使いのレティっていう女性がこの家の面倒を見ていて、二人とも幼い息子ブンドーの世話役も兼ねていて。ブンドーは、サロムが召使いとして家にいるもんだから、サロムが自分の本当の母親だということを知らずに育っているんだ。レティは、サロム想いの女の人で、サロムを召使い扱いするハンゼロに対して常々違和感というか怒りを感じていた。
ある日、ハンゼロはいつものような強い口調で「肉っぽいもの」をサロムやレティに要求していた。その時だった。レティの中で何かがぷっつりと切れた。レティは調理場から包丁を持ち出してハンゼロに突きつけた。「そんなに食いたきゃ自分の肉を食え、その丸い腹の肉をよ!」……騒ぎを聞いて息子ブンドーもそのダイニングにやってきた。レティは包丁を使ってその場でハンゼロを殺した。サロムのためだった。そしてレティは一家の家に火をつけ、サロムと幼いブンドーの手を引いて家を出た。古い生活を捨てて新しい土地に移るために。その時、ブンドーは燃え盛る自宅を見つめていた。家が、燃えている。顔も知らない(と思っている)母親が残した形見だという、赤いドレスを着た人形があの家の中の、玩具箱の中に残されているというのに。そしてその人形の名前は、確かリトだった気がする。
わたしは急遽、電車に乗って実家に帰り、姉の部屋から資料を探し出して、その小説を読み返してみた。やはりそうだ、あの人形の名前もリトだった。これは発見だ!
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もし姉がいま生きていたら、『ブンドーの玩具箱』も『リトル・リト』の続きものとして、きっと発表していただろう。そうか、『リトル・リト』は、一つの完結した物語ではなく、もっと大きな物語の一部分でしかないのかもしれない。きちんと書籍化されたこの『リトル・リト』だけでは……姉の世界を少しもわかったことにはならないのかもしれない。
わたしは、姉の部屋によく立ち入るようになっていった。姉の机とか、その周りとかに、姉の書いていた制作メモや、プロットを書いたものや、ラフスケッチなんかがたくさん残っているのを発見したのだ。これは、作者の身内だからこそできる、わたしにしかできないリサーチだ。この調子ならきっと教授も、わたしは意味のあることをやっていると、認めてくれるだろう。二次創作でしかないなどとは言わないはずだ。
とはいえ、まだリサーチの段階だ。わたしがいったいどんな作品を……油画とは限らないかもしれないが……作るのかは、いまの時点ではまだわからないのだ。ああ、前半の六週間で、これをやっておけばよかった!
姉はきっと、生きていたらもっと表現したいことがあったはずだ。それを、遺志を継ぐでもないけれど、姉の書ききれなかった「続き」をわたしが描く、ということをするというのはどうなんだろう? ……やはりそれは、違うよな。姉はきっとそんなことは望んでいない。では、わたしは何をしたらいいの?
とりあえず、「リト=姉」「バル=わたし」という仮説を立てて、いろいろと検証していこう。実はわたしは、高校生の時、うつ病になったことがあった。あの頃のわたし……が、建築にされたバルなのではないかと思うんだ。『リトル・リト』の物語では、リトは最後、バルに繋がれたツリガネを外して、バルを救うのだけど、それは姉が、本当はわたしを助けたかった、ということを表しているのではないかな? 姉は、実際は、うつで苦しむわたしを助けてはくれなかった。「ソエカゼが自殺をしたいのなら、わたしにはそれを止める権利はない」なんて言っていた。でも、「ソエカゼが死んだら、すぐには泣かないと思う」、「時間が経ってから泣くと思う」とも言っていた。きっと、姉は姉で、無力感を感じていたのだと思う。
……作品の内容からそのように考えることも、もしかして姉に失礼なのかな?
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数週間かけて、わたしが探っていたのは、終始「姉は何を伝えたかったのか」ということだったように思う。きっとこうなんじゃないかな、という仮説のようなものも、自分なりに見つけたように思う。
わたしはやがて、実家でのリサーチを終えてアパートに帰った。わたしが卒業制作として制作したのは、結局、絵だった。『リトル・リト』の挿絵として使われそうな、物語の場面を絵にしたポストカードを大量に制作して、「リトル・リトを姉妹の合作にしたらこうなるかな」みたいなことも試験的にやってみた。その一方で、「姉が何を伝えたかったか」ということはずっとメインに置いて、こちらはわたしの身長よりも大きなキャンバスを使って、油画で表現をした。キャンバスに描いたのは、横に並んで手を繋いで未来への階段を登っていく、二人の女の子(姉妹)の後ろ姿。階段の両端の、普通の階段なら手すりがあるべきところに、ひも状のリボンがどこまでも伸びている。妹がわのリボンは、上に向かってどこまでも伸びていくが、姉がわのリボンは、脆く、途中でほつれそうになっている。このリボンがどこかでぷつっと切れると、そこで命は終わってしまう。
そして、その作品を発表する最終講評会の時。
「原作の『リトル・リト』を書いたのは、数年前に病気で亡くなったわたしの姉です。わたしは、この作品を書いていた頃の姉のメモや過去の作品をかき集め、姉が一番伝えたかったことは何なのかをリサーチして探っていました。姉がこの原作を書くようになる少し前、わたしは高校生で、うつ病を患っていました。姉は、実際にはうつのわたしを見捨てるような言動をしていたのですが、きっと主人公に姉自身を投影し、犠牲にされる主人公の弟に妹であるわたしを投影して、物語の中でわたしを助けようとしたのかもしれません」
「そのことを考察し、この油画を制作しました。階段の上が未来を表していて、このリボンは命を表していて、リボンが断ち切られるとこの女の子たちの命が終わってしまいます。妹のリボンは丈夫ですが、姉のリボンは脆くほつれてきていて、いまにも命が終わりそうです。このようにして、原作者の姉が亡くなる前のわたしたち姉妹を表現しました。で、こちらのポストカードのイラストは、もしこの『リトル・リト』に、わたしが挿絵を描いて姉妹の合作にするとしたら、こんな挿絵にしたいというのを実験的にやってみたものです」
教授1「うん。前回の講評の時よりは良くなっている。だけど一つ聞いていい? 挿絵を描いてみた、というトライアルはいいとして、なぜポストカードにしたの? 他にもやりかたはあったと思うけど」
「それは、姉が制作のメモやプロットを、無地のポストカードに書いていたからです」
教授1「うーん、それだとせっかくのこのトライアルも、作品じゃなくてただのメモとして見られてしまうのではないかな」
「あ……」
教授1「それから、その油画だけど、妹がうつ病を患っているということも表せたらよかったかもね。例えばその階段の、妹が足を置いている段に、ヒビが入っているとか崩れかけているとか……まあ一つの意見だけどね」
教授3「でもそうしたってこの絵はなんだか説明的だよね」
教授2「だけどまあ、やるべきことはできているよ。ソエカゼさんの制作の動機は、お姉さんの死だと思うんだよね。そこを違和感というか、出発点にして、お姉さん中心の制作が、前回より断然できているとは思う」
教授3「うん。でも前半からもっと手を動かしていたら、もっとやれたよ。やっていて途中から面白くなってきたでしょ? 前半のほうでもっとやれていたら、もっと早くに面白くなって、作品はもっといいものができただろうに」
「あ……はい」
教授1「時間をたっぷり取っているはずの卒業制作にしては、作り込みが足りない。もっと手を動かさないと」
「うぅ……はい」
助手「時間です」
「……以上でわたしの発表を終わります。ありがとうございました」
5
三月の卒業制作展では、挿絵を描いたポストカードと最後に描いた油画に加えて、最初の六週間で制作した、冒頭のシーンを表した油画も、一緒に展示をした。
正直、この卒業制作がうまくいったのかどうかはわからない。教授の話を聞くとだめだったように思うけれど、わたしはわたしを認めたい。この美大生活最後の制作で、わたしの姉のことをたくさん考えられたから、きっとこれでよかったのかな。そう思っていたい。
わたしは作品を展示した展示室の壁を見渡した。「お姉ちゃん、わたしこんなことやってみたよ」そう呟いて展示室を後にした。