【読み切り小説】ウルビ国の歩み
ウルビ国王は大帝国から脱出した。
薄暗い洞窟を抜けると、緑豊かな土地がある。そこで自らが王となり、新たな国を築いたのだ。
ウルビ国王は書き物を好んだ。
ウルビ国王は「私はまず憲法より始める」と言った。
ウルビ国王は、記録係を兼任した。
王子は「僕は経済を担当する」と進言して、経済大臣に就任した。
ウルビ国は誰がどう見ても人員不足だった。
国王は憲法を急がなければならなかった。
国王の名前は、ウルビス・エルドロッド。元々はかの大帝国の一都市の国家公務員だった。
ウルビスは灼熱の地、ラグウで育った。
ラグウはその昔、海の街だった。海が埋め立てられ、赤い街並みに変わる頃、ウルビスは都市へ出て、政治の勉強をするようになっていた。
やがて出世し、国家公務員として働くようになったが、ある時失墜し、地位を消失させてしまう。
ウルビスは家中から持てるだけの財産を持ち出して、当時十二歳になる一人息子を連れて、安住の地を求めて長きにわたる放浪の旅に出た。
これがウルビ国の始まりと言われる。
妻エリスとは、離婚していた。
王子は賢い少年だった。
名前は、サーニ・エルドロッド。
かつて政治学に没頭した父の後に続くかのように、経済学を専攻し、十八歳になる現在ではウルビ国の賢い経済大臣になったが、あどけなさも多少残っているため、若さゆえの奇想天外な発想や無鉄砲さはむしろ長所だと国王は捉えている。
周辺の地域とどのように関わって、国を存続させるか、それがこの小さな国の最初の課題だった。
とはいえ、やはり国は、国王が全てをしなければならない。王子は実は、王が思っているよりもずっと幼いのだ。
彼を養いつつ、国の運営をして、リトを維持していかなければならない。王の仕事は単純なものではない。
リトは、ウルビ王がこの土地を切り開いて国にしようという時に、すでにここにいた。
あたりに草木が生い茂る中で、地面に横たわっていたのだ。
ウルビ王はこの少女を抱き起こし、どうした、何があったと声をかけた。
リトは、目覚めた。
リトは、「わけがわからない、自分が少数派の民族というだけで迫害された」とだけ答えて、また気絶した。
ウルビ王は、この少女のことを気にしながら、国土づくりを進めた。
オオカミなどが出てきてこの少女を襲ったりしないように、リトの身体を見張りつつの森林開拓事業となった。
やがて、森の中にかろうじて広場と言えるくらいの空間ができあがる頃、リトは目を覚ました。
「わたしは、どうしたの?」
「おまえさんは、ここに気を失って倒れていたのだ。王子と共に国土を作っている間、ずっとおまえさんを心配していた」
「それはどうもありがとう。国を作るのは勝手だけど、実はこの土地はわたしと対応しているの。わたしはこのあたりの自然の守りびとなのよ。わたしをおろそかにしたらあなたの国も滅ぶよ。わたしの世話をしてくれるね?」
「なんということだ」
「まずはわたしを迫害したわたしの故郷とのつながりを回復しなければならないわ。わたしはどうしても故郷に居場所を持たなければならないの。そうしなければこの森にもいられなくなる。このままではこの土地も危うい。そうなる前になんとかしないと」
ウルビ王は少し面倒に思ったが、彼女を助けなければせっかくの国が台無しになると思ったので協力した。
やがて、リトは無事、故郷に居場所を取り戻すことができた。
「ありがとう王さま。どうぞ、国つくりを続けて。だけどわたしのことを忘れないでね。あなたの国が美しくいられるのは、この土地の自然であるわたしが生きているおかげなのだから」
ウルビ王には、リトがこの地球の一部のようなものだとわかった。彼女を中心とした国の運営方針を考えなければ、根本から滅ぶ可能性がある。
そこで思いついたのが憲法だった。
かの大帝国には、文章で書かれた憲法は存在しなかったが、新しい国には憲法があるべきで、そうすれば何かしらがうまくいくような気がした。
「この国の人民も、これから増やしていくつもりである。そうした時に、国民がリトを理解せずに、ぞんざいに扱ったりしたら大変だ。きちんとリトのことを説明する文章を作ろう」
ウルビ王は早速、立憲に取り掛かった。
ウルビ王はいつもブレーン要塞の王の居室にいた。
ある時にはリトを呼び出して何か話し込んだり、またある時は王子と共に音楽に興じたりしていた。
時々、別れた妻のエリスのことが頭をよぎり、魂が抜けたように王の意識は異世界へ飛んで行ってしまうことがあった。
要塞の付近にどうやら見えない「異世界への扉」があるらしい。
そうして、なぜそれがあるのか、どういう行動がその扉を開けてしまうのかと考えるようになった。
同じ頃、リトも何かウンウン唸っていた。
ウルビ王がどうしたのかと尋ねると、「故郷でのことなんだけど……」と言って悩み事を打ち明けた。
ウルビ王は「あまりこの国の外で無理をするなよ。おまえさんが滅ぶと私の国も終わるのだろう。私は国を離れることはできないが、おまえはその故郷とのつながりを絶ってはいけないのだろう。私の目の届かないところで、おまえさんが無理をしていないか心配だよ」
リトの細い身体を抱きしめてそう言った。
リトは「わたしはあなたがどこかへ飛んで行ってしまうあの現象が心配だよ……。ここの自然をずっと見てきたけれど、あなたのいう『扉』とやらを見たことは一度もなかった。きっとあれはこの土地じゃなくて、あなた自身に問題があるのよ」
そう言って王に抱かれたまま眠りに落ちた。
その後、ウルビ王たちは、色々と検証を行なった。
判明したのは、ウルビ王はリトに水浴びをさせたり、憲法について考えたりというような現実的なことをしていると、徐々に異世界から現実のウルビ国に戻ってこられるらしいということだった。扉の原因はいまだに不明だった。
ある日、ウルビ王は机に向かったまま、また異世界に意識が飛んでいた。
我に返ると、リトが王の顔を覗き込んでいた。
ウルビ王は「リト……」と言って頭を抱えた。
リトは「王さま、異世界に行っていたの? 王子がずっと王さまのことを呼んでいたのにも気がつかなかった?」
ウルビ王が斜め後方に目をやると、王子が心配そうな顔をしてこちらを見て立っていた。
王子は「父上、大丈夫? 耳元で呼んでも聞こえていないようだった」
「ああ、息子よ」
「ねえ父上、異世界ってどんな感じなの? 怖いところなの?」
ウルビ王は少しの間、考えた。そして、答えた。
「いつでも共通なのは、どこを見渡しても、あたり一面、一色の色しかない世界であるということだなあ。白黒ではなくて、赤っぽい紫っぽい色で統一されていて……人も動物も、私自身もその色をしているんだ。怖いなどということはないが、どこか夢見心地で、このまま帰れなくなりそうな不安がつきまとってくる感じはある。だけどその世界にいる時、気持ちがいいのも確かなのだよ。居心地がいいから王子やリトのことも記憶から薄れていってしまう……」
「国のことも、忘れてしまうの?」
リトが口を挟んだ。
「ああ、そうだ。いや、そうとも言えない。どこかウルビ国の面影があるような時もある。先ほどなどは知り合いのボニータという女と話した。いや、しかし、あのような知り合いがいたかなあ」
「父上、それ、夢だよ。目を開けたまま居眠りしているだけだよ」
「そうだといいんだがなあ」
リトと王子はしばらく王の様子を観察することにした。
王も王で、「リトの維持」のためにリトを世話しなければならない。国づくりも怠ってはならない。
「病気している場合ではないのだ……」
王はよろよろと立ち上がって、ブレーン要塞の外に出た。物置から一枚のタオルを持ち出して、リトに水浴びをさせるため水場に出かけていった。
それから二年後のある日のこと。ウルビ王は一人で異世界に行ったきり、二度と帰ってはこなかった。
☆
「これからどうするの?」
リトが尋ねた。
「大帝国に戻る。王なしで僕だけではこの国をやっていけない」
大きな荷物を持った王子が答えた。そして、続けてこう言った。
「ラグウに行ってみるよ。父上が育った土地で、今後は僕も仕事を探そうと思う」
「国民たちはどうするの?」
あれから二年が経ち、本当に小さな村ほどの規模ではあるが、国民がこの地に住むようになっていた。
「リト、きみがこの国の王さまになるんだ」
「わたしが?」
「きみならできるよ。大丈夫だよ。父上が残した憲法があるんだから」
「……そうね、国の基礎は王さまが作ってくれたものね、あとは憲法通りにすればいいだけなのだから、わたしにもきっとできるわ」
任せてよ、と、リトは微笑んだ。王子は続けて言った。
「でも、国運営の仕事にかかりすぎて、自分の世話をするのを忘れないようにね。きみがだめになると、この国の自然も滅んでしまうのだから」
「うん、わかっている。思えば、わたしっていけないことをしてたわね。王さまに世話をしてもらっておきながら、何も恩を返すことができなかった」
「そんなことはない。父上はきみを愛していた。きみがいてくれるだけでよかったんだ」
「そうかしら」
「そうだよ。さてと、僕はもう行かなくちゃ。じゃあ、リト、またね」
リトが王となったウルビ国には、いまでも密かに、毎日が訪れているという。