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【小説】シーザの心情

赤子の頃から、島に住んでいた。
その島はマンションやオフィスビルや研究所などがあり、割と適度に都会だった。その島には子供の時と成人してからで別々の名前を名乗るという風習があり、俺の子供の頃の名前はルーネイといった。

島にはファドという名前の幼なじみの男の子がいて、俺とファドはほとんど兄弟のように育った。大人になると、彼は島を出て、城下町に住処をこしらえて王子さまの教育係として働くまでになったそうだが、俺はずっと生まれ育った島を出なかった。ずっと、この島の研究所に薬学者として勤務していた。あの、事件が起こるまでは。

この島に移り住んできた、別の国の出身の、フィーリアという女性と結婚した。金髪と白色の肌が、彼女が異国生まれであることを物語っていた。生まれた子供たちも、彼女からの遺伝を受けて、白い肌をしていた。

黄色人種は島をでろ、と言われたのは、まだ八歳だった長男のルートが病気で死んでから一か月も経たない頃だった。黄色人種は島を出るっていったら、この島に生まれた大半の人種は追い出され、島はほとんど外国人のための土地になることを意味している。反対運動もむなしく、俺も例外ではなく島を追いやられることになった。仕方なく、いままでに作った薬とか、持てるだけの財産を持って、俺はひとり島を出て本土に移った。

俺はつまり難民になったということだと思った。城下町へ行ってみてキャサリン(ファドは成人して改名する際、女性の名前を選んだ。彼は心が女性に育っていた)のところに世話になろう、とも考えた。けれど、城下町は程遠かった。俺はたどり着いた住宅街の一軒一軒を渡り歩き、居候させてもらえるところがないか探していた。
そううまくはことが運ばず、途方にくれた。俺は気がつくと、へんぴな田舎町にたどり着いていた。

その家は山の麓にあった。俺が戸を叩くと、出てきたのは朗らかな印象の老婦人だった。
「突然ですみませんが、あなたの家で居候させてほしい」
俺はその人にも頼み込んだ。
その人は、俺のことを美しい人だと言った。俺は、ひょっとするとこの人は俺の服を脱がせるかもしれないと思い、身構えたが、その人はただ、俺を玄関から家に上げてくれただけだった。絵のモチーフになることだけを条件に、住まわせてくれるらしい。
その人の名前は、ネニコといった。


山での暮らしは、いままで俺が味わったことのない素晴らしさだった。日の出とともに起床し、夜は遅くても九時には眠る。生物としての俺が目覚め、心も体も、山の空気に研ぎ澄まされていくようだった。この環境のおかげか、長男が死んだことも、思い出すことは少なくなっていった。ネニコは午前中から夕方近くまで、椅子にただ腰掛けているだけの俺を見ながら、キャンバスに向かって男を描いていた。俺はネニコのことをだんだんすきになった。それは多分、家族としての愛着が湧いてきたということなのだろう、と思っていた。

やがて、俺がこの家に来て一年が経とうとする晩夏の頃、ネニコは突然、病の淵に倒れた。
俺は自分の開発した薬、「寿命を延ばす薬」を持っていたので、それをネニコに投与したが、実は俺の薬はどれも中途半端な開発途上品だった。

……もう、遅かったか。ネニコは俺の薬を飲んだのに、静かに沈むように死んでいった。俺は自分の開発した(これも開発途上の)「嫌な記憶を消す薬」を一粒、飲み込んだ。一粒じゃ足りないと思ったので、持っているだけ全部服薬した。迷いはなかった。俺はこの薬の生みの親として、致死量がどのくらいかをわかっていたのだ。


死ねなかった。目覚めると、俺は病室のベッドに寝かされていた。
看護師の一人が、俺に「ネニコさんというかたが、あなたを心配して入院させてくれたのです」というのを聞いて、耳を疑った。後からネニコから聞かされて知った話だが、あれは死んだのではなく、薬の強さによって眠り込んだだけらしい。目覚めたネニコは気を失っている俺を発見し、救急車を呼んでくれたとのことだった。

「ネニコさんも同じ病院内に入院していますからね」と、看護師は言った。俺はその後、未遂者であることを証明するかのように胃を洗浄され、二度と服薬自殺はしまいと心に決めた。胃洗浄はあまりに苦しいし、何よりもう「嫌な記憶を消す薬」も使い果たしてしまったのだ。

病室のベッドに横たわり、考えを巡らすだけの時間が続いた。考えはなぜか、死んだ息子のルートのことに至った。嫌な記憶を消す薬をあんなに飲んだのに、なぜだろう。ここにネニコがいないからかな。ルートはもう、この世にいない。この世にはいても、フィーリアと次男のルイザに会えることも二度とない。それなら、彼らみんなとは死別したようなものではないか。俺はそう思った。いや、違う、死んだのは俺か。俺が死んで、彼らは生きて生活をしている。いや本当は俺は生きてここにいるのだけど、彼らから見た俺は死んでいるようなものなのかも知れない。俺は大切なものを何もかも失って、本当に死んだつもりでいるんだから。


退院したのは、秋真っ盛りの頃だった。俺とネニコは二人一緒に、あの山に抱かれた麓の一軒家に帰っていった。

いままでずっと言えずにいてごめんなさい、と言って、俺は俺の過去をネニコに打ち明けた。心地よい夜風の吹く、家の縁側でのことだった。俺の隣に座るネニコは驚いたような顔をして、それでも、俺の話を聞いてくれた。
「家族はみんな、死んだのだと思って生きることにした。たとえ再びあの島に戻れるようになったとしても、きっと戻らない。島にいた過去は、全部捨ててしまいたいんだ」
長男が死んだという辛い現実を忘れるため。家族と一緒に島にいたら、この現実と向き合わなくちゃいけなくなるだろ? それは俺にとって何よりも辛いことなんだ。だからまだ生きているフィーリアのこともルイザのことも、いっそ何もかも捨てる。俺の居場所はここにするって決めた。
そういうようなことを言ったと思う。俺は心で泣いていた。
ここにはいつまでもいていいからね。ネニコは確かにそう言った。

やがて、その言葉通り、この家は俺の終の住処となった。

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