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清く、

死なんてない。
あるけど、死んだ後に行くというあの世なんてない。
あの世ってのは、おれたちが元々いた場所だ。
 
官人『ご入学おめでとうございます。誕生ガイダンスへようこそ。皆さんは、まだ生まれていません。これから、命を配布します。一人ひとつ取って、後ろの列に回してください。最後列の人は余りを回収に行くまで持っていてください。
全員に渡りましたか。
さて、いま皆さんに配布した命は、この先、皆さんがずっと持っているものです。絶対に失くさないでください。
これから、書類を提出してもらいます。この書類は、向こうの世界での皆さんの境遇を決める大事なものです。間違いのないように出してください。
それでは次に、ペアを組んでもらいます……。
 
これでガイダンスは終わりです。今から退室してもらいます。この部屋には二度と戻れませんので、忘れ物をなさらないように。
この先の渡り廊下の突き当たりには大きな窓が開いていて、その窓の外が向こう側の世界となっております。飛び降りる際はご注意ください……。』
 
 
そう、あのガイダンスの部屋には二度と戻れない。おれたちは死んでもこの世から出られない。
 
あの時官人が言っていたことを覚えている。死んで肉体を離れた後のことは、二通りあって、各自好きな方を選べるそうだ。
ひとつは、本(書籍)になること。自分の生きた人生が、記憶丸ごと書物になる。だけど人は死んだら本になるなんて知ったら、ほとんどの小説家は物語を書く意味を失うだろう。小説家だけじゃなくて、みんな、この世に何かを残そうとはしなくなるに違いない。おれだってそのひとりだもの。
もう一つは、木(樹木)になること。魂が植物に生まれかわることのメリットは、呼吸し続けられるという点では人生の続きを生きられるということだ。生前恵まれていた分、今度は自分が、他の生命のために生の源である酸素を作り出すことができるようになるというわけ。
 
木にならなかった方、つまり本になった者たちの記憶(本)を、貯蔵し、展示し、販売するのが彼女……官人の一人、ラビの仕事であった。短命に終わった者は必然的に短編となる。だけど中にはすごく分厚いのもあった。ハードカバーのもの、ソフトカバーのもの。背表紙の色も様々である。毎日数えきれない数の人間が死ぬから、すぐに図書館の棚はいっぱいになり、床に積み上がった不気味でカラフルな本たちは、彼女が見上げるほどになったという。
 
官人たちの言葉では、彼女たちを官人、おれのような普通の人間を世人、というらしい。ラビは「この世」に配属された、人生図書館(死者の記憶の本を収容する、この世に一つしかない施設)の司書をしている官人だ。官人は一般の世人には姿が見えない。そのため、人生図書館は世人に「いつも無人」だと思われていた。もっとも、世人たちはみんな、ここの本が全てかつては人間であったことなんて知らずに訪れているわけであるが。
 
このおれ、ヤマガタイチは、世人には珍しく生まれる前の記憶をもつ、世人歴十七年の男。通称「無人図書館」を訪れた時、官人が見えたので、ここが生まれる前に聞いた「人生図書館」なのだと知った。
「あれ。官人とは久しぶりに見たな。十七年ぶりに見た」
おれが思わずそう言うと、姿がおれに見えていることを知って、ラビは少し驚き、おれに微笑んで言った。「いらっしゃいませ! 『この世』はどうですか? 楽しめていますか?」
 
そもそも生きていない官人には寿命も親もなく、おれたち世人が、生まれる前の状態に近いらしい。生まれる前のおれらとの違いは、背中に白いつばさが生えていることくらいのものだ。ガイダンスのとこにいた、おれたちが先生と呼んだものはみんなつばさが生えていた。ガイダンスの中で彼らは、向こう側の世界(この世)を作り出し、運営しているのは世人ではなく官人なのだと語った。彼ら全員が腰に巻いている太くて厚みのあるえんじ色のリボンは、こっちでいうネクタイとほぼ同じようなものだそうだ。つばさとリボンがあったから、おれはこの女性が官人であるとすぐにわかった。おれはラビの質問に答えた。
「人生は、楽しいよ。でも今から、死んだ後どっちになろうかと毎日のように考えているんだ」
「あら! あの話、覚えていらっしゃるのね」
適当に本を手に取りながらおれも尋ねた。
「お前たちは? 生きていないって、楽しいか」
「まさか。人間の命を手にできるって、世人の特権だと思います。とても素敵なことなんですよ」
「終わりが来るのに?」
それには答えずに、ラビは言った。
「あなたたちは『生まれ落ちる』んです。なんで『落ち』たかわかりますか? 命が、とっても重いものだからですよ」
「それにしたって、一体あのガイダンスは何なんだ。あの時に書類を一種類少なく提出した、生まれる前に友達になった奴は、現世じゃ生まれつき難病を患っているよ。そいつも生まれる前の記憶は忘れてしまっているけどな」
「あれは」
ラビは言った。
「世界の取り決め……約束事なんです。あのようにやる決まりになっているの」
「お前、名前は」
「ラビ」
そう、この時に名前を知った。
「おれは、こっちではヤマガタイチ。山賀大知だ。」
「いいなあ、親につけてもらった名前。羨ましいな……」
「あっちでの名前は、覚えてるけど言わない」
 
     ◇
 
「ずっと尋ねたかったことがある。なんで生きても最後は死ななくちゃならないんだ? どうせ死ぬのに自分で最期を迎えてはならないのはなぜなんだ? こんな世界を作って、おれたちに与えて、何が楽しい。何が目的なんだ?」
ラビは困ったような顔をした。
「ええと、一つずつ答えてもいいですか? 死ななくちゃならないのは、他の生命がお腹を満たすためです。自分で最期を迎えてもいいんですけど、もったいないじゃないですか? 目的ですが、特にありません」
 
     ◇
 
おれは死んだ後たぶん本になるかもしれない。そうか、この世に十分、自分の生きた証を残せた人だけが、満足して、他の生命のために植物になるんだ。おれはと言ったら、死んだら今までのこと全部、本になるからと、この世に何にも残しちゃいないもの。帰り道の電車の中で、借りた本をめくりながらそう思った。

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