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美しいもの〜「塞王の楯」を読んで気づいたこと〜

石垣には3つ、種類があると思う
一つ目は「魅せる」石垣
二つ目は「威嚇する」石垣
三つ目は「守る」石垣

どれか一つだけ、というわけではなく、
複合的に存在している場合が殆どだと思う

「魅せる」石垣は、やっぱり感嘆の声をあげてしまう。職人技に、そしてその人たちを召し抱えることが出来る藩主に対して。
金沢城なんて、さすが前田家やと。
さすが加賀百万石やと。

「威嚇する」石垣もインパクトが強烈だ。
人の心をこんなにもへし折ってしまうのか、と愕然とする。大阪城の石垣を見て、正攻法で勝てる気がしないもの。
どちらも凄く目を引かれる。
視覚に訴えかけてくる。

でも、私の心の中でいつまでも燻り続け、
何度も何度も問いかけてくるのは
「守る」石垣だ。

「守る」というこの一点だけに集中し、
「魅せる」ことも「威嚇する」こともせず、
ただ無骨にそこに存在する。

だけど、どうやっても石垣はやっぱり石垣だ。
ただただ沢山の大小の石が積まれているだけ。
それ以上でもそれ以下でもない。
でもそれを積む人の想いが、時代が、
石垣に意味を持たせる。

平和な今、
それはただの石の塊かも知れない

見た目もそれほど美しいわけでもなく
二度見してしまうようなインパクトもないかもしれない。
誰も見向きもせず、放っておかれ
朽ち果てていくかも知れない。

だけどその無骨さの向こうに見えてくる
「守りたい」という一途な想いは
私にとって何よりも美しい。

役割を全うし、それ以上でもそれ以下でもなくそこで佇んでいる。
その素朴さと力強さが
私にとって何よりも心に刺さる。

そして、それを積みあげた人々の心が
すごく平凡な言葉になるけど
私は大好きだ。

私は何故こんなに石垣に惹かれているのか
何故沖縄まで行ってグスクを見尽くしたのか
何故そこに城があるからと言って山に登るのか

その衝動の理由が分かった気がする。

私は「美しいもの」が大好きだ。

ただ一念をもって静かにそこに存在する
泥の中の一輪の蓮のような存在が大好きだ。

2023年、いったい幾つの美しい石垣に出会えるだろう。

期待を込めて、「美しい石垣探し」のはじまりとしたい。

おしまい

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