薩摩 芋太郎
「農民出身だから親近感が湧く!」 「いつも明るくて、人を殺すことを何よりも嫌ってた」 「泣かせてみせようホトトギス」 これが、私が巷で耳にする豊臣秀吉の噂。 言うまでもなく、戦国時代の英雄の一人である。 名古屋で農民の子として生まれ、 一念発起して同郷の織田信長軍団に入り、 BOSS信長のお気に入りとなってからはあれよあれよと言う間に出世を果たし、 信長の死後、いろんなライバルを蹴散らして最終的な日本統一を成していく。 晩年には海外進出を狙うも年には勝てず、元主君の姪っ子
石垣には3つ、種類があると思う 一つ目は「魅せる」石垣 二つ目は「威嚇する」石垣 三つ目は「守る」石垣 どれか一つだけ、というわけではなく、 複合的に存在している場合が殆どだと思う 「魅せる」石垣は、やっぱり感嘆の声をあげてしまう。職人技に、そしてその人たちを召し抱えることが出来る藩主に対して。 金沢城なんて、さすが前田家やと。 さすが加賀百万石やと。 「威嚇する」石垣もインパクトが強烈だ。 人の心をこんなにもへし折ってしまうのか、と愕然とする。大阪城の石垣を見て、正攻
リビングに掃除機をかけながら、私は感慨に耽っていた。 令和4年ももうすぐ終わる。 今年の私の漢字は 「満」。 本当に満ち足りた、満足のいく一年だった。 家族が誰一人体調を崩すことなく健康でいれた。 King Gnuのライブに行くことも出来た。 そして、令和元年から始まった足掛け4年に及ぶ、「天皇陵(主に古墳)ジャーニー」を完遂することが出来た。 そもそもの動機は、 日本史における「空白の4世紀」を 自分なりの解釈で埋めてみたいと思ったことだった。 日本の書物は712年成立
何故私たちは聖徳太子を知っているのか。 冠位十二階? 十七条の憲法? 遣隋使の派遣? 冠位十二階は、「家柄関係なく有能な人物を登用しましょう、身分によって色分けしましょう。」 十七条の憲法は、「和をもって尊しとしましょう、官僚たるものの心得です。」 遣隋使は、「日本という国の天子が、隋の国の天子に挨拶に来ましたよ。今後もよろしくね。」 で? 冠位十二階は豪族の権力を牽制するために、 十七条の憲法は官僚に倫理観を持たすために、 遣隋使は隋との国交を保ち、先進国の文化を吸収
藺相如。 読み方が全く分かりませんね。 「りんしょうじょ」 これが、貴方の名前の読み方です。 中国の戦国時代末期、だいたい今から2300年ほど前でしょうか。 秦の始皇帝に中華統一される前の、国々が乱立していた時代に生きてましたね。 貴方はその中の一国である趙という国の、宦官の食客でした。 その宦官に推薦され王様の使いとなり、貴方は類稀な度胸と賢さで王様の覚えめでたく、どんどんと出世されました。 沢山のエピソードがありますね。 「完璧」「怒髪天」 これらの語源は貴方が元に
今からおよそ2300年前の中国で貴方は生まれました。 日本でいえば弥生時代でしょうか。 春秋戦国時代という群雄割拠の、まさに国も人も思想も入り乱れた、そんな時代の中に貴方は生まれました。 前半生はあまり定かではないとのことですが、のちの貴方を見てると、厳しくも温かい人達の中で勉学に励み、武芸をされてたんではないかと思います。 貴方は、当時中国でも小さな、そして色んな国と国境を接している中山という国で育ち、その国は隣の趙という国に滅ぼされてしまいました。 国を失った貴方は、
貴方とは、もうかれこれ5年ほどのお付き合いになりますね。 思えば、貴方の事績と言われる 仏法興隆の詔 冠位十二階 一七条の憲法 遣隋使の派遣 全て大乗仏教の思想をベースとして行われている、にも関わらず、 遣隋使に持たせた国書の中身の、あの有名な一文 「日出ずる処の天子 書を日没する処の天子に致す 恙きや」 …あれで、隋の皇帝煬帝を怒らせましたね。 小野妹子が上手く?誤魔化したので貴方は知らないかも知れないけど。 私はすごく不思議だったのです。 のちに高句麗の僧・慧
私は凄く凝り性だ。 深掘りの癖が凄い。自分でも辟易する時がある。 もうちょっと、もうちょっと、と進んでいくうちに、気が付いたら誰も周りに居ないことが多々ある。ごめんね、皆。置いてけぼりにして。 近頃の私は、滋賀県長浜市にある小谷城が気になって仕方ない。 前回は、思いつきで登ったのと、クマとの遭遇に怯えたのとで、追手道から本丸までしか行けなかった。 それでもあの城の素晴らしさを堪能できたけれども、どうしても本丸から北へ、大嶽城(おおづくじょう)まで歩いてみたかった。 とい
私の家の近くには、帆立型古墳がある。 前方後円墳の、円じゃない部分がすごく短い、ドクロマーク💀のような古墳である。 ほぼ毎夜、私はその古墳の墳頂に続く階段40段を、10往復昇降している。 傍から見れば、雨乞いの儀式に見えてるかもしれないけどそうじゃない。 ヒップアップの為だ。 パーソナルトレーナーが言った、「ヒップアップには階段昇降と自転車が1番☆」に、忠実に従っている。 ずっと気になっていた、この古墳の被葬者のこと。 私が毎夜訪れているこの古墳には、どういう人が
最近、山城が気になって仕方がない。 今回は滋賀県長浜市にある、戦国大名浅井氏の城・小谷城に登ってみた。 滋賀県の北東に位置する標高495mの、地図上逆V字型小谷山に築かれた、山城である。 尾根伝いに、馬蹄状に築かれたその山城を、追手門から歩いてみる。害獣予防に張り巡らされた金網の扉を開くと、もう、それだけでこの山城に登ろうとする気が失せる。 あまりにも急峻な道を歩いて、尾根上にたどり着く。 まさに絶景。 右には深く切り込んだ谷、正面には虎御前山が見える。 ふと
仏教の成り立ちを調べていたら、見覚えのある名前と出会った。 覚鑁。 かくばん、と読む。ムズい。 何年か前に、和歌山県の根来寺で行われている覚鑁祭りを見に行った。 お琴の演奏や、若者のダンス。年に一度の町のお祭りと言った風情だったけど、その中で1つ、特に私にとってインパクトのあるイベントがあった。 僧兵による火縄銃の実践。 僧兵の姿を見るのも初めてなら、火縄銃を見るのも初めて、空砲を聞くのなんて尚更。 少し小高い場所から何人もの僧兵の姿を模した人達が、一斉に空を割