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ベートーヴェンからあふれ出したシューマンのロマンチシズム
ポゴレリッチ
録音:1982年、10月
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異例の組み合わせ
イーヴォ・ポゴレリッチは、ドイツ・グラモフォンと契約し、1981年にレコード・デビューした後の2枚目。ベートーヴェンのラスト・ソナタとシューマンの変奏曲「交響的練習曲」を繋げるという誰もやっていない内容でアルバムを制作した。尋常ではない才能、鬼才ぶり。通常は、同じ作曲家でまとめるし、異なる作曲の作品を収録するにしても、その関係性は一目瞭然ということが多い。
グレン・グールドもデビューして間もない時点で、ベートーヴェンの後期ソナタを録音したが3曲まとめてだった。 グールドに限らず、ポリーニでもリヒテルでも、この3曲をまとめて録音し、アルバムにしているピアニストは多い。第32番だけを取り上げている方が異例だろう。ではなぜ彼はそうしたのか?
最初にこれを聴いた時は、シューマンの演奏がわざとらしく誇張されて聴こえた。シューマンの演奏については、宇野功芳がブルックナーとモーツァルトに関して述べたこと、「その演奏には、純粋さと透明度が絶対に必要なことではあるが、それだけでは足りない。独特の魅力がなくてはならない」が当てはまると思っている。
ケレン味たっぷりのポゴレリッチのシューマンには、強い拒否反応を覚えた。ポゴレリッチの演奏を「スタインウェイが彼の攻撃を受けて苦しんでいる」と評した評論家がいたが、そう言いたくなるのもよく分かるというのが実感。星でいったら2つか3つだろうと思った。
しかしべートーヴェンのラスト・ピアノ・ソナタと続けて、何度も聴くうちに、まったく違った景色が見えてきた。そして「なぜ彼がこの2曲をカップリングしたか」が徐々に分かってきた。
秘められた愛というロマンチシズム
ベートーヴェンの後期の曲は、弦楽四重奏でも第九でも、深遠な世界が展開されている。クラシック音楽の中でも、人類が持ったすべての楽曲の中でも、独特の地位を得ている。その中でも後期ピアノソナタ3曲は、独特で8楽章でひとつの思いを表現しているようなところがある。
当初ベートーヴェンは、ラスト・ソナタ第32番を、彼の永遠の恋人であり(彼の子供の母親でもあったかもしれない)アントニエ・ブレンターノに献呈することを考えていた。しかしそれはあまりに意味深であり、重大なポイントでもあるので、ルドルフ大公へ捧げるという無難なところに落ち着いた。
ベートーヴェンの思いとしては、32番だけでなく、3曲すべてをアントニエ・ブレンターノ(あるいはブレンターノ家全体)に捧げているのだろう。最初の30番・作品109は、アントニエが最も信頼し、ベートーヴェンも可愛がった長女のマキシミリアーネ(当時18歳)に献呈している。
アントニエ・ブレンターノは、ベートーヴェンの生涯の謎のひとつとされている”不滅の恋人”の最重要人物。『ベートーヴェンの精神分析』(福島章著)によると、ベートーヴェンは交響曲第7番の作曲が途中でまったく進まなくなるほどのスランプ状態にあったが、それをふたりの女性の懐妊によって乗り越えた、と書かれている。この説は、正式にはまだ認められてはいないようだが説得力がある。
ベートーヴェンほど、強い意志と感情をもとに創作活動をした人はいない。彼が作曲できない不調期を脱して、第7交響曲の第3楽章と第4楽章をあのような爆発的な曲想で書き、誰の依頼も受けていない安定した(家庭的な)交響曲第8番をすぐさま作曲したのには、特別な理由があっただろう。
クラシック音楽での”秘めた愛情”としては、ブラームスのクララ・シューマンへの愛があるし、シューマン自身も妻への愛情と強く結びついていた。ベートーヴェンのピアノソナタ第32番は、アントニエ・ブレンターノへの思いのすべてを音で表現したものと言える。それは最大のロマンチシズムでもあるだろう。
そこからシューマンのロマン派世界への連結というアイデアが生まれたのではないだろうか。第32番と「交響的エチュード」は変奏曲形式という点でも共通しているし、単純な主題をもとにしている点でも通底する。
そしてこうしたことを見抜けたのは、ポゴレリッチ自身もまた、自分のピアノの師匠であるアリザ・ケゼラーゼとの深い愛情があったからだろう。それを透徹した演奏技術で表現しているのは彼ならではの偉業と言える。
ベートーヴェンとシューマンの2曲を、「交響的エチュード」のフィナーレで華々しく結ぶとともに、軽快で快活な「トッカータ(作品7)」をエピローグのようにつけている。
この曲はシューマンがピアノを学んでいる兄たちに”練習用”として贈ったもので、ポゴレリッチは練習曲という連関から、この曲を「交響的練習曲」に繋げてアルバムの最後に置いたのかもしれない。
このようにさまざまなことを思わせたり、考えさせてくれる名演ディスク。