派遣を選んでしまった僕の末路
お久しぶりです。
ここ数ヶ月は心が荒んでいました。
今回は派遣社員という道を選んでしまった
私の末路をここに綴ろうと思います。
私は半年前、兵庫の明石市という所で
期間工をしていました。
工場勤務は自分が想像してたよりも過酷で
黙々と作業することが苦手な私にはとても耐えきれ難い環境でした。
6/25付で退職し、生まれ育った九州の地へ帰りました。
工場で働いてると、なかなかハローワークへ足を運ぶことができませんでした。
そこでネットで仕事を探し、決まった仕事がコールセンターの仕事でした。
7月から新たな人生のスタートという気持ちで
「よし、頑張るぞ‼︎」という気持ちで福岡へ帰ったはずなのに、7月の仕事は2週間足らずで雇い止めに遭いました。SBのコールセンターへお仕事に行っていました。はじめての職種でわからないことばかりなのが当たり前‼︎できないのが当たり前‼︎14日間の研修で全て覚えて当たり前スタイルではとても無理だし、人材を育てる気0というのは丸わかりでした。
派遣会社も私を守ってくれませんでした。明日から行かなくていいよ?って言われて、納得できるはずがありません。それは1人の人間だから、生活が私にもあります。でも、それでも守ってくれなかった。8月には不動産系のコールセンターを紹介を受け、仕事を選んでる暇もなく、わかりました。という2つ返事で行かせて頂いていたのですが、そこも思っていた人材じゃないという期待感を高く持っていられたようで、期待はずれでガッカリと言わんばかりに、明日から来なくていいと言われました。
その結果どうなったかと言いますと、携帯代も払えなければ、家賃、光熱費も払えない、ネットも払えない、奨学金の返済やローンの返済も滞るようになり、挙げ句の果てには9月から決まった仕事は、1日で往復1060円かかるような所へ飛ばされ、ご飯さえも食べれなくなりました。
保証人になってくれた母にも迷惑をかけることになり、心も病み、この先真っ暗状態でした。
この国に非正規雇用という制度を導入したがために、派遣会社という需要が増え、これで国民の生活が守られてるというのでしょうか?
国民は生活苦になった上に、税金ばかり引かれていく‼︎
国民の権利、最低限度の生活を守れるように
制作を打っていく必要が私はあると思います。
ほんとに今の自分は生きてる価値がないと思ってるし、派遣会社へ所属したことによって抱えてしまった負債額は150万近くあります。
自分の人生、この先真っ暗状態‼︎結婚とかもしたいのに、それさえも難しい状況に陥ってしまったのです。
これが、ハローワークという国の機関で仕事を探さず、ネットに頼り仕事を探してしまった人の末路です。
僕自身は、この人生を変えたいと思ってるし、生活を立て直したいと思っています。
生きることを私自身は諦めていない‼︎
人に迷惑ばかりかけてばかりな人生なんて
ほんとに情けなくなるし、死んだ方がマシだと思っていました。
でも、友達に誘われるがままに大阪に来て、泉大津という土地に出会って、市役所に相談しに行くと、手を差し伸べてくださる方もいらっしゃって、弁護士さんまで紹介していただきました。
だから、僕はなにがなんでも生活を立て直して
ちゃんと真っ直ぐに生きて、迷惑をかけた親・兄弟に胸張って会えるように、自分で尻拭いする必要があるのです。
私は、この国を恨むし、無責任すぎる派遣会社への恨みはこの胸の中に留めておこうと思います。