見出し画像

遅れてきた賛美歌「Nothing special」。初期櫻坂OSRINの世界観が、ここに来て完成。【楽曲・MVレビュー】

櫻坂の初期とは、混乱や裏切りばかりの現世・欅坂から解脱した修道女のイメージが主にOSRINの手によるジャケット撮影によって作られていた。

なんだけど、現世から解脱した櫻坂当初はいろんな体制がてんやわんやで、ノバフォを素直に讃美歌と捉えるには無理ある楽曲だった。

BANや流れ弾も、やっぱり修道女的なイメージとは程遠い楽曲内容だったし、ジャケットだけだとシガー・ロスみたいなのに、中身はハロプロのアンジュルムみたいな表題曲。歌詞は今を捉えているかどうかもよくわからないもの。初期櫻坂の方向の定まらなさは、いま思い出してもトラウマになりそう。


とはいえOSRINの提示した、現世から遠ざかり、新たな道筋を探すイメージはあまりにも強い。一瞬だけ五月雨よのMVがイメージと近いところを突いたが、楽曲や歌詞がそれでもバラバラだった。

結局、OSRINのジャケットイメージに沿った表題曲は作られずじまいだったと思う。スタオバから櫻坂ならではの方向を掴んだ。でも、それは欅坂、すなわち忘れるべき現世の俗に戻っていくようなものなので、修道女が何か別の信じるものを探すという物語性は掘り下げられずじまいだった・・んじゃないかな。

そんな中でも、ライブの終盤の定番の「buddies」は讃美歌的なのはまちがいないし、「偶然の答え」もMVの同性愛の物語性の掘り下げは「新しい、別の信じるもの」を探した讃美歌って感じだった。それでも、なにか振り付けも衣装もMVもトータルで揃ったものとは言い難かった。

Nothing specialは、初期櫻坂もずいぶん遠ざかった今になって、初期櫻坂が見せるべきだった讃美歌がでてきたかのよう。ずっと作られなかった、OSRINの生み出したイメージにほぼ完璧に乗った曲と衣装と振り付け、ロケーションがある。

ゆーづ主演、いのちゅけ助演がここまでハマるとは。バラエティ組と括られがちなフロントだけど、選抜やバックスを行ったり来たりする、こころをかき乱されそうな立ち位置のみなさんでもある。

なんでもない日、というタイトルのなかで、それでも何かもがきながら道筋を探すというのは、初期の櫻坂の物語性そのものな感じ。

UDAGAWAでわざと歌詞もMVも振り付けもばらばらにしちゃえるくらい、今の櫻坂の完成度は高かったわけだけど、オタからすれば「櫻坂らしくない!」って批判がでたりした。

そのタイミングで、まったくの(初期)櫻坂らしい「辛い現世から脱した修道女の讃美歌」というものを作り上げているのも、種花の目論見どおりなんだろうか。OSRINここでNothing specialのためにジャケに帰ってきてほしいまである。

やや惜しいのが、光を探す修道女や現世の辛さみたいな物語性が、バックスなので表題の選抜から漏れた辛さみたいな内向きなせまいお話によみとられそうなとこ。

もうバックスイコール2軍みたいなのつまんなくない?櫻坂においては。なんかサイドA、サイドB的なグループ分けの方が適切まである。

もちろんこんなのは私のいいこちゃんな意見なのわかってる。ミーグリやグッズ販売など俗世の理屈でビジネスしてる以上、推しを選抜してもらうためのBuddiesのサバイバルゲームという俗まみれのフックは外れなさそう。

「マクドで野菜が食べたいんです」って言ってほんとに出したら売り上げ低下みたいな話で、ミーグリが事実上、選抜の可否に影響せず「実質ダブル表題ですよ〜」とか激ぬるなことしたらそれはそれで熱は下がるし、私にしても坂道のミーグリみたいなジャンクフードのジャンクたる部分をほんとは美味しいと感じてるのは否定しない。

アイドルビジネスの俗まみれななかで、(漠然としたキリスト教プロテスタント風味な)修道女の祈りという矛盾した感じは、ゆーづの悲哀とも無感情ともつかない表情にも重なるのだった。