ファンとしては欅坂の一時復活は見たくないけど、卒業・脱退者がやりたがるとしたらわかる

※噂に全乗りの雑文なので眉唾で読んでね。

この前のグループ結成9周年で、メンバーが集まったことから出てきた「ほんとかよ〜」な記事。8割ウソくらいで捉えつつも、残りの2割は「メンバーとして活動末期のあの一年をどう思ってたのかな」という思いから、信じそうになる。

欅坂は未完だった。アイドルグループの活動中止に美しい完結もなにもあったもんじゃないかもしれないし、すべての活動中止や解散は連載漫画やバラエティ番組が終わるみたいにすべてグダグダのバッドエンド(by よかったときの中田あっちゃん)なのかもしれない。

だから欅をことさらに未完というのもなんだけど、当事者としては心残りだったのかなあ・・というふうには見えなくない。

櫻坂でゆいぽんセンター「隙間風よ」で誰鐘のセットを燃やし尽くし、高原に真っ白な墓標を建てた時点でファン側は物語を完結させた感覚はある。

だけど、てちやねる、すずもんと末期に崖の縁から手を離して谷底へ消えるみたいにやめていったメンバーの中では、「自分たちのやってきたことは未完だった」という感覚はあるんだろうか、とも思う。

欅末期てちとか、この人は全体でものづくりをしていきたい人なんだと思うけど、なんかなかなかできなくて憔悴していった印象は強い。思うようにものを作れない、理想の表現ができないストレスを抱えたまま次のライブのスケジュールが来るみたいなことを繰り返し、ひどいパフォを重ねていくとか、休演することが多々あった。

2019年くらいはほんと地獄みたいな時期だったというか。2期生が加入して選抜制度がスタートし、楽曲も爽やかな方向へ戻そうと、運営側が舵取りし直そうとしたのにてちは乗らなかったという。(まあ結果論だけど、「黒い羊」で欅のシングルが終わったのは、それはそれで完成度の高いディスコグラフィになったとは思うが)

てちはじめ、末期でぼろぼろになった中での不本意さってメンバー全員が共有してるものなんだろうか。欅坂は楽曲の印象どおりにまるでデスゲームみたいにメンバーが脱退していくというのがリアルタイムの印象だったけど、実際にはわりとメンバー間の仲はよく、今回の9周年に集まってたりする。

それなりに卒業・脱退後に個々で仕事していく中で、経験を積み精神も安定したことで、いまなら未完になった終わり際をどうにかできるとか思ってたりするんだろうか。てちやねるは自分たちの裁量でイベントをいまなら演出したものをやれるんじゃと思ってたりするのだろうか。

「大人になってからの、子供時代のトラウマとの決着」という物語性はファン側・運営側は櫻坂で実現してるけれど、元欅坂メンバーで、いま大人になった皆さんの人生のなかでそれは決着がついてないとかあるのかな、と、文春のニュースから思わなくもない。

特に、自分自身でライブの演出に参加し、全体を作ってきたてちに対して。ソロ以降はずっと演出される側として過ごしてきたけど、なんとなく欅坂時代以上に作品全体に関われた経験は今のところなさそう。

「いまならもう少しうまくやれる」思いはあるんだろうか。心残りを完結させたい気持ちはありそうだ、とはなんとなく感じるけれど。