平手友梨奈はずっと「不機嫌な子供」のタレントイメージなのは効果あると思う?

てちがHYBE JAPAN傘下のNAECOから出てクラウドナインに移籍した。鳴り物入りで韓国の大手に入り、広い展開が期待されたなかで今回の決定はちょっと半歩後退している印象は否めない。

でも、私が一番に気になるのが「てちっていわゆる"大人"になったのかな」という単純なことだったりする。今回の移籍に合わせていろんなゴシップがまたぞろぞろとでてきたし、概ね「傍若無人なわがままな女優」みたいな書き方だけど、私は真偽がどうというより世間的にはまだ未熟な印象が拭えていないのが気になる。

いや、「未熟な、不機嫌な子供」であることを周囲が望んでしまってるというべきか。

クラウドナインに移籍した最初の写真は「不機嫌そうに上半身をバンドで縛られてうなだれる」ものだった。

いまだに後期欅坂〜脱退直後のソロあたりの不安定な天才イメージを引っ張っているのは本人のためになるのか、あるいは本人が望んでやっているのかもわからない。少なくともプロモーションしたい側はてちの価値(なんか韻を踏んだっぽい)をそこに見てるんだなーって思う。

女優をメインにしてからのてちは元の70%くらいの魅力な気がする。小松菜奈さんと方向がダブって見えちゃうせいもあるかもしれない。でも同じ方向なら、しっかり大人の小松さんを選んでしまいそうになるよね。

散々言われてそうだけどてち一番よかったのが欅坂の最初の2年くらいで、いまだにその完成度(と言っていいのかな)に引きずられてる。Twitterでてち推しの人も、やっぱり欅坂時代の動画や写真をあげて「てちすごい」って言ってる人多いし。「うちの弁護士は手がかかる」も褒めないと!

でもソロの女優になってからも、なんだか周囲もあの時代の雰囲気を期待してるのかな。

よく考えることがある。18歳の頃のてちと今の天ちゃんはどっちが大人なんだろうか。同年代のかりんちゃんと森田とてちとで、どちらが大人なんだろうか。てちは欅坂でだんだんジェンダーの境界も薄れていく方向でも力を発揮していて、ある意味で森藤天はそれを継承して前に進めてるっぽく見える。

森藤天のどこか大人でありながら、固定された性別のイメージに縛られない感じというのはかなり現代的で、やすすがそんな3人にまったく追いついていない(「愛しあいなさい」を書いちゃうくらいだし)のが櫻坂、って気がする。

欅坂時代に子供のイメージであったとしても、それなりの時期を経て卒業して次のキャリアにいったメンバーはみんな大人だ。女優やタレント業を邁進する菅井さまからねる、アナウンサーになったあおたんなどなど混乱した10代のころを経てよくぞきっちり社会人にって感慨ある。

でもてちは常にある種の不機嫌な子供であることを求められ、そして本人もそれに乗っちゃうのが不思議なものと思う。

てちが積極的にさまざまななプロジェクトの制作チームと意見を交換しながら役などを作り上げていくのはインタビューなどで知られているし、欅坂時代から積極的にやっていたらしい。いわば大人として何かをやるみたいな姿勢がなくもなかったように思うんだけど、それが大人という本人のマスイメージになかなか繋がらないのはなかなかむずいものである。

不機嫌な子供が大人になるとき、そんなケースって誰がいるのかな。