森田ひかるは櫻坂の天才。アイドルに必須な物語性をフラットにする才能が。
いろいろ考えた末に、森田るんちゃんは天才的なアイドルと言わざるを得ない。その天才性は、パフォとかビジュとかというより、特に物語性をフラットにしてしまうというところにある。
たくさんのbuddiesがるんちゃんを可愛いというけれど、私は逆にいつも一種の異様さを感じてしまう。この人は何者なんだろうという底知れなさ。
私は櫻坂とは「不安定な子供時代の問題を、大人になってから向き合う」現代的な物語性を持つグループと思う。さらに、暗にメンバーの表層が抱えている特定のジェンダーのイメージに固められたわけではない感じなども含め、おそらく種花の想定よりもモダンなテーマを持ったグループでもある。メンバーがナチュラルに先に行きすぎて、やすすが追いついてないまである。
しかし、るんちゃんはどうも大人も子供もないかのようだ。もっと言えば女性的でも男性的でもなく、かといって中性的な雰囲気とも違う。実は櫻坂の持つ物語性からことごとく外れている要素が多い。
るんちゃんの顔はかなり不思議。バラエティに出ている時は大きな目の下で膨らむ巨大な涙袋が目立つ。いつも苦笑なのか不敵なのかよくわかんない印象の笑みを浮かべてるが、どんな心中なのかが全然見えなかったりする。
ところがパフォになると、そんな涙袋が引っ込みフラットになり、頬全体の面積が広がる。まったく違う顔になるように見える。や、普通にパフォ用メイクなんだろうけど、印象としてやっぱり妙。
そんな特異な雰囲気もあってか、櫻坂の初期、るんちゃんはセンターとして徹底して物語性をリセットし、グループの印象を整地し直すことに機能してたように思う。
ノバフォは歌詞こそ脱退したてちの当て書きだったが、MVや楽曲から物語性を感じたことがあるだろうか。当時の欅末期が残したぐちゃぐちゃな廃墟のような物語性に対し、一度フラットに整地し直す力はどれほど助かるものだっただろうか。
欅トラウマへの向き合いみたいな「桜月」〜「自業自得」の中でも、るんちゃんCの「承認欲求」は唯一無関係な世界を提示していた。「承認欲求」はいま考えるとグループの物語性が欅トラウマ再訪に行きすぎないようにしてたとも言えるし、物語性ではなく楽曲やパフォの品質そのものに注力させるものだった気がする。
こうした物語性の過剰化を調整する才能。言い方はどうかしてるかもだが、「まるで地球人を観察する宇宙人みたいだ・・」って思う。いい意味で。いい意味で宇宙人ってなんだ。
ともかくグループ加入当初はわかりやすい美少女アイドルみたいだったのに、キャリアを重ねるごとに先述の異様さが加速してる。
人はるんちゃんの異様さを感じ取っていて、それを言葉にできないあまり「いちばん可愛いですね!」という最もわかりやすい解釈に落ち着いてしまうのではないか。