平手友梨奈の最大の才能はコンテンポラリーダンスだった

"だった"と過去形でタイトル書いてしまったが、いまでもやってほしいと思ってる。

先日クラウドナインへの所属が公式に発表されたてちだが、本当のところを言うと合っているようでいささか合ってない事務所、という感がある。

Adoをはじめとした、すごい実力者だが厨二病ぽい人、という枠内でプロモーションを収めるしかないのかなー、というあたりが合ってなさというか。

てちにとって新事務所移籍はめでたいけれど、NAECOで世界展開を期待されたとこからクラウドナイン移籍という事実自体が、どんな週刊誌のだめ記事でもかなわない、いまのてちへの残酷な批評になってしまっている。

てちが欅坂時代に見せた可能性は、周囲の多くのサブカルな人たちをもおかしくさせていた。

ちょっと前はロキノンで渋谷陽一さんまでおかしくなってたり、立憲民主党の枝野さんが「不協和音」のカラオケマスターしてたり、FNS歌謡祭を作っているスタッフがビリー・アイリッシュとてちを並べて天才性をアピールして楽曲コラボ企画したりとか、まさにてちの可能性を見ていた現れだった。

中でも一番すごいケースはこれ。なんと全国地質調査業協会連合会の専務理事をやってた固そうなえらい83歳のおじいちゃんが、幻冬舎の自費出版プロジェクトで、てちのことを考え尽くした本「平手友梨奈 考」を書き、今年、出版してることだ。第二次世界大戦中を体験していて、6歳のときに樺太から本州に戻ってきたような人がここまでハマるとかすごくない?

どう考えてもこれまでアイドル趣味とか遠そうな人まで狂わせる、欅坂時代のてちの影響は相当だった。

そんなてちに、本人の自意識以上の期待をかけられる理由になったのは、私は「アイドルの枠内でコンテンポラリーダンスをやる才能があまりにも飛び抜けていたから」だと思ってる。

コンテンポラリーダンスはすっごいかんたんに言うと、そのダンスの振りだけで、まるで演劇や映画みたいに物語を伝えるというジャンルだ。テクニックの高さによってパフォの凄さを見せるというより、物語やコンセプトを表現することに注力されてる。

しかし、ふつうに暮らしていてコンテンポラリーを見る機会なんて限られてる。ダンスに詳しい関係者じゃないとなかなか見ない、ちょっとアカデミックなジャンルには違いない。

そんなコンテンポラリーダンスの当事者として、Takahiro先生からSeishiroさんなどが坂道の振り付けをやっているのは有名だ。

そして坂道グループとは、見方を変えればアイドルソングの分野でコンテンポラリーを実現するという、実はすっごく複雑なことをやっているのだった。

その意味で、てちは女優業とか純粋なダンス技術以上に、なによりコンテンポラリーをポピュラーの場で実現する才能がなにより優れていた。

一般の人はコンテンポラリーを見慣れているわけじゃない。音楽や映画大好きなサブカルの人でもなかなか観ないんじゃないかな。だからこそ、欅坂のパフォは「観たことのないなにか」になれたのかなって思う。

なにより、アイドルソングやJpopにコンテンポラリーを導入するってアプローチで激スベりせず、本当に物語性を持って自然に観れたことがすごかった。

当のTakahiro先生自身がなにかのjpopでコラボしてコンテンポラリーのパフォやってるのを観たことあるが、身もふたもなくいうと激イタだった。それくらいむずいのだ。

ところが、てちと欅坂に関しては月スカとか避雷針とかのパフォを納得させたことがすごい。しかも、アイドルソングのコンテンポラリーでリアルな物語性あるものとして捉えられるって言うこと自体が異例だった。あれはパフォはパフォで完結してなくて、グループとメンバーの運命と半分くらい延長線になってた。

てちは本人の内面や真意はわからんまま、見た感じは欅坂のわずか4年のキャリアで万華鏡みたいに激変していた。

山口百恵さんぽかったと良く言われるけど、私は最初は洞口依子さん、途中から小林聡美さんから尾崎豊さん、染谷翔太さんなど、いろんな役者さんが持つ雰囲気にくるくると変わっていったように見えてた。

やっぱり83歳のおじいちゃんも、ロキノン渋谷さんも、あの当時のてちが昭和から見てきた何かを思わせる雰囲気を感じとって、全員がてちの本心以上にいろんなことを語り出したりするピンクの銀河でふわふわ状態になってしまったんだと思う。

サブカルおじさんおばさん狂わせ10000%なてちだったけど、欅坂脱退後の活動でコンテンポラリーをやる機会は激減した。

人生とパフォが一致したかのような、欅坂の数々のパフォは、あとの仕事では演技力かダンス技術という凡庸なところに解釈が分かれた。演技力として観られ凡庸な俳優仕事になり、ソロでの楽曲は「ダンスの理由」とか純粋なダンス技術のパフォであり、物語性とは関係しないものだった。

でも、てちの俳優仕事はやがて小松菜奈さんの亜流以上のものはないかな、と思っちゃうし、ソロのダンスも三浦大知さん的だなと思う以上のものはないかなって。欅坂時代にあれだけインタビューしてたロキノンもみるみるうちにてちから離れたので「なんなん!?」とか思った。

当たり前だけどコンテンポラリーをやらせよう、なんて激スベりするリスキーなもので、どこもやらせない。だからFNS歌謡祭みたいな特別企画でだけやらせてる。

ビリー・アイリッシュ曲とのコラボのパフォは、現段階でのてちのコンテンポラリーの能力の高さがわかるものではあったし、素晴らしかったとおもう。

同時に、これはポピュラー音楽のなかで実現できる限界かもとも感じた。コンテンポラリーダンス専門でやる場合、それは拡張の高い舞台でパフォをやるしかないんだなって。だから欅坂時代は奇跡的なことで、もう二度と見ることはできないんだなと。

それでもまたJpopの圏内でのコンテンポラリーをやることはあるのかな、と私はぼんやり考えている。どうあれ、てちの最大の才能はそこだったから。

でも、今後Adoの歌に合わせたパフォとかでコンテンポラリーやられてたとしたらどうなのか。いま妄想したが激スベりする光景しか脳裏に浮かばんかった。