欅坂〜櫻坂で、「不安定な子供を導くまっとうな大人」の松田里奈
まつりちゃんは櫻坂のまっとうな大人の代表だ。普通の陽キャに見えるが、絶望に晒されたグループをキャプテンとして牽引しつづけ、危機を乗り越え再生に導いた奇跡的なメンバーでもあるし、見えないところでブルージーな何かを想像させるメンバーでもある。
今更ながらまつりちゃんは大人らしさと明るさが繋がった人で、世の中にいそうで全然いない人な感じする(私調べで)。社会人から欅坂に入った経歴自体もそうだが、冠番組の活躍をはじめ、不安定な子供たちの活動でグループもオタも自家中毒で自滅しかけていたところを前に出て引っ張っていったことが凄い。
私はここで「櫻坂とは欅のトラウマを大人になることで調和する」みたいなことを書いてみているけれど、グループの大人への道のりすべての始まりは、まつりちゃんが沈黙のけやかけにて手を挙げ続けたところから始まった気もしてる。
しかもまつりちゃんのすごいといえばすごいのは、バラエティの過剰な適応が大人になる道ということで終わってないのもある。多分日向坂みたいにお笑いカテゴリでの過剰適応ぽくなく、もう少し広いジャンルの番組で活躍してるからかもしれない。
そんなまつりちゃんだが、隙があるようでない人という感じする。すごいことをさらっとしてる人だけど、物語性を楽曲やMVで見せ切れてないかなと。
とはいえまつりちゃん個人の櫻坂的な物語性がでた楽曲・MVを考えると、断片的なかたちで見受けられるのかもとは思う。
ついセンターを務めた「無念」が思い浮かぶが、あれはやすす(か、種花)が当時の櫻坂が紅白を逃したことによる運営から統括への公開説教みたいなもんでグロテスクなだけでなので、まつりちゃんの物語性とは別じゃないか。
あれって日向坂でくみてんセンターの「君は0から1になれ」も同じだ。歌詞はやすすの説教でセンター期間は2023年のあいだグループを停滞させた責任を取らせる晒しものにするみたいだった。楽曲はくみてんの個人性がある物語性にはなってなかったしグループの不満の責任を取らせる感じでひどかった。
キャプテンがセンターにされる楽曲は、物語性の表現じゃなく、運営が部下の直近の業績を外部公開して発奮させようとするみたいで聴いてられないところがある。バックスライブで「無念」をあきぽなど他のメンバーに歌わせたりするのは私はやだ。櫻坂は他に発掘しなおすべき曲あるし。選抜制導入後だとグロすぎるし。
とはいえ、MVなどの断片からまつりちゃんの大人ならではの不安定な部分、という物語性を見つけることができる気もする。
「ドローン旋回中」MVでのまつりちゃんのシーンがそうだ。鏡に向かって明るく振る舞う練習をしてるけれど、そんな自分をふとした瞬間に冷めて見ている。
あれは少なくともまつりちゃんの見え方としては、なんだか納得して見れたんじゃないかって。あれもまた大人の不安定さのひとつじゃないかって。
最近だと、りかちゃんとのユニット曲「縁起担ぎ」がそれっぽい。よく考えたら歌唱メンでもあるまつりちゃんのけっこう泥臭く活動してきた根性とか逆境みたいな物語性ある。わざと不安定なノイズや別のジャンルに切り替わるトラックは不安定だったグループの歴史を現すかのよう。ライブでダンスありだとどんな風になるのかな。
「明るく振る舞う人が実は陰湿」とか「実は孤独で暗い」とか、わかりやすい二面性の解釈があるとは思うけど、まつりちゃんはそのダークサイドに引き摺られないようにいままでやってきていている。
まつりちゃんの語られざる物語性をこれ以上望むなら、未来の櫻坂ドキュメンタリー映画に期待を寄せたほうがいいのかな〜って思わなくもないけれど。