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森田ひかるの"物語性リセット"能力炸裂。「UDAGAWA GENERATION」がシリアスになりすぎた物語性を破壊する【楽曲・MVレビュー】

考えてみれば表題における、るんちゃんセンター楽曲はセンターに選ばれた回数と比べて実は名作に恵まれてないような気もする。だけど、わざと名作にならないようにしてこそるんちゃんである、と私は思う。

るんちゃんの(もしくは、運営がるんちゃんに見出している)最もな力はグループがシリアスな物語性を積み上げ、レッドゾーンに近づいたところをリセットする力だ。

いったん櫻坂に改名した直後に、欅坂の物語性をぜんぶリセットするノバフォ。桜月、スタオバの苛烈な欅坂の再解釈を行い、物語性を獲得しなおした後の承認欲求。

正直言って欅坂の物語性が臨界点に来たあとの黒い羊のあとに、ノバフォが来た時の失望感はあったし、スタオバで殻を破ったあとでの承認欲求にクエスチョンが出た人も少なくなかった。だが、物語性をシリアスにしすぎたことでグループも運営全体も自壊したのが欅坂の顛末だったので、その最大のトラウマを繰り返さないために、るんちゃんによる定期的なリセットを行なっているようにみえる。

去年はしづが欅坂的な「気難しい子供」として自業自得、そしてIWTCと強硬的だったり、分裂的だったりする、精神を乱す部分がある楽曲を連続したこともあって、また内省的な方向に多かれ少なかれ物語性は進んでいた。

そして内向きなのは、近年の櫻坂の力は間違いなく欅坂トラウマを長い時間かけて払拭しようとしているせいだ。今回のUDAGAWAも、タイトル発表の段階で渋谷・宇田川〜欅坂のサイマジョはじめ渋谷を想起させる楽曲が多かったことから、例によって欅坂を見つめ直す「物語的な」楽曲と予想されていた。

でも、るんちゃんとクリエイティブチームはその逆を行った。徹底して物語性をBuddiesに予感させながら、物語性をリセットする方向を徹底した。そのことが楽曲とMVが潔すぎて感動した。

MV最初のほのてんかりんがインターネットミームになった、どっかのホテルでジャンプする知らないギャルの写真みたいに踊るシーンは、まるで10数メートルにも積み上げられたトランプで作った塔を壊してしまうような暗い快感さえある。

UDAGAWAはおそらく意図して歌詞も、楽曲も、MVも振り付けもそれぞれが別の方向を向くようにして作ってる。やすすの歌詞は大人になった欅坂世代の渋谷懐古とグループの物語性回帰なんだが、シライシ沙トリさんのジャジーさと妙な明るさのある楽曲は物語に導かせない。(シライシさんはそういえば欅坂「不協和音」で強硬な物語性に行きすぎたあとの、クールな「風に吹かれても」で熱を冷ます方向の楽曲にかかわっているし)

池田一真さんのMVもサーカスにする意味がほぼ謎。池田さんが欅坂の名作にMVとしてかかわり続けたのもあるし、ここで渋谷を舞台として再開発後の駅周辺を見つめるような物語性なんていくらでも選択できたはず。でも、そんなのわかりきっていてわざとそれをやらないんだろうなって思った。

TAKAHIRO先生はずっと欅坂、櫻坂と物語性を伝えるコンテンポラリーダンスを振り付けにしてきたのですっかり忘れてたけれど、もともとのTAKAHIRO先生は漫画「すごいよマサルさん」のギャグを振り付けに使いたがる、なんかランジャタイが振り付け師をやってるみたいな人だったと今回で思い出した。欅坂から数えてここまでTAKAHIRO先生の素みたいなハイテンション振り付けは初めてだろう。これもまた物語性をリセットするやりかたなのは間違いない。

唯一欅坂っぽいのはアイドルがアイドルを批評するアプローチ

私がある意味で「あー、欅坂っぽいな」とか思ったのはMV後半だ。

いや、ブランドのファッションショーみたいな奇抜なコス自体じゃなくて、欅坂ってグループアイドル(というか、やすすのakbや坂道かな)自体を批評するグループアイドルみたいなとこあったよねと。

サイマジョで「似たような服を着て似たような表情で」って、みんなが同じ服を着てパフォするアイドル自体に歌わせるという捻れた批評とか、「もう森へ帰ろうか」に見られたアイドル業に対する失望感とか。

その意味でMVのアプローチ自体はわかりやすいアイドル批評だよねとはおもう。サーカスで演じるメンバーたちとか、MV後半でるんちゃんの衣装が「明らかにアイドルにありがちな広いスカートのコス」とか、ベタで、一見楽しげなアイドルをわかりやすくパロディにしてるの。

なんでここでアイドルジャンルを全体的にサーカスにたとえてパロする意味があるのかというと、基本的に櫻坂自体はアイドルジャンルをすでに一回俯瞰したハイファイなとこあるので、あらためてその証明みたいなことしてるんだなって思う。「あらためてただの箱のサーカスみたいなアイドルじゃありませんよー」的な。

とはいえ「いや、櫻坂が物語性をリセットしてまで「私たちただのアイドルじゃありませんよー」ってアイドルがアイドルのパロディをやらなくたって、ファンはもうとっくにただのアイドルじゃないことなど知っとるわ」というのも確か。

欅坂の「似たような服を着て〜」が批評っぽいのを超えて、「似たような服」を着て生きてゆくおんなじ年齢や上の世帯の学生や社会人に響いたのに比べると、UDAGAWAサーカスは内向きの話でしかないので、アイドル批評アプローチが外に広がって行きにくいところはあるんだけど。

まあ、るんちゃんリセットの風景による戸惑いって各方面に渡るよね…まあこれから4期生が加入してくるし、そろそろ年度末だし、いったん大掃除しておこうね。ってことなんじゃかいかな。ファンは「なんだこれ」と思う曲やMVになってるのは確かだけど、いまは物語性の大掃除で「ああ、この本はここにあったのか」とかゆっくりする時間ってことでいいんじゃないのって評価。ほら、MVの最後にこれまでのMV衣装もでてくるしね。