吃音の人がしてほしいこと
吃音の人がしてほしいこと。
実は「絶対こうしてほしい!」というものはありません。
今回はそんなお話です。
1、言葉の先取り
吃音は言葉が詰まることのことです。
たとえば「ありがとう」という単語を言うのに
「あ、あ、あ、ありがとう」
となってしまうことです。
人によってはありがとうと言うのに7秒かかったりするわけです。
僕は「ありがとうございました」の「ご」で必ずつっかえてしまうので、違和感たっぷりの間が空いてしまいます。
間があると、言葉に詰まらず喋れる人は、先に話したくなりますよね。
スムーズに話した方が時間がかからないですから。
これは「言葉の先取り」といいます。
だけど「言葉の先取り」は、吃音の人からすると大きな失敗体験なんです。
(言いたい言葉が言えなかった。…)
そんな喪失感に襲われるんです。非常に残念でならない。
!だから言葉の先取りはしないでほしい!
!吃音の人が最後まで言うのを待ってほしい!
…ではないんです。
2、相手との最適解を探す
吃音の人は、自分がどもっている間に、相手に待ってもらうことも気まずく、罪悪感に襲われるんです。
相手の時間を奪ってしまっている感覚に襲われることもあります。
だから時には言葉の先取りをしてほしいんです。
つまりわがままなんです。笑
「人の心はうつろいやすい」
と徒然草でも語られているように、その時々によって思うことが違うんです。
人と人のコミュニケーションには正攻法はありません。
唯一あるのは最適解。
この最適解は吃音という同じ障害を持っていても人によって変わります。
そしてこれは吃音者に限った話ではない。
誰かに求められるものは時代によって変わるもの。
たとえば、コロナ前の世界は、ラグビーワールドカップなど、人が多く集まるイベントに熱狂していました。
今年は残念ながら開催されなかった東京オリンピックも、開催されればさぞ盛り上がったことでしょう。
でも、コロナ後の世界はオンラインや物流が今までに無い速度で成長しています。
テイクアウトなども主流になってきましたね。
つまり「今、人が求めることを見抜く力」が大切なんです。
そしてその力は人とのコミュニケーションから得られるんです。
会話以外にもTwitterやInstagramなどのSNSを見たり、本を読んだり。
そして仕入れた知識をどこかで発信したり。
そうやってインプットとアウトプットを両輪として回し、「知識の呼吸」をして、常に身体の中を新鮮に保っておくんです。
3、吃音者は最適解を見つける練習をしている
相手が望むことをしてあげること。
当然ながらこれがコミュニケーションの極意。
吃音の人はたしかに喋ることが苦手。
だけど相手に言葉の先取りをしてほしい or してほしくないかをいつも考えています。
その時々で相手との最適解を探しています。
その時点で、相手の望むことを考えられるようになっているはずです。
吃音者がしてほしいことはその時々によって変わります。
吃音者自身もその時々によって考えが変わります。
だからこそ相手が求めるものはなんなのか、常に思考する人でありたいですね。