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【短編小説】 『恥』③

サンノゼの街には、変な人がいっぱいいた。

腰を振りながら近づいてくる白い髭の黒人のじいさん、
どうみてもパジャマで歩いている若い金髪のお姉さん、
どうみても踊っているドレッド頭のお兄ちゃん、自動で進むスケボーみたいなハイテクな乗り物に乗っている僕ぐらいの少女、
どう考えても裸より恥ずかしいタンクトップを着ているノッポ、

でも間違いなく、日本で見た誰よりも、彼らは楽しそうだった。
恥ずかしさなんてものの外を、悠々と泳ぐ魚のように、カリフォルニアの日差しの中でキラキラして見えた。

僕のかいた恥が、誰かの役に立っている。
特別英語レッスンの先生が言った言葉が頭に残っている。
それを聞いてから、変な人がやけに目につく。
そして輝いて見える。

恥ってなんだろう。
恥ずかしいってなんだろう。

「お前、それ恥ずかしいよ」

ずっと僕を縛り付けていた言葉。

「それも、それも、それも。
 全部恥ずかしいことだよ」

あの時の見下した目が、今でも怖い。

でも間違いなく、アイツの言葉はこの人たちには届かない。
英語か日本語かの問題じゃない。
心に届かないんだ。
見下すアイツの方が恥をかくんだ。

日本にもアメリカにも、まだ友達と呼べる人はいないけど、目の前の変な人たちは、なんだか友達な気がした。

クスリと笑ってスクールバスに乗る。
相変わらずごちゃごちゃしている。
貧乏ゆすりとガムを噛む音と、笑い声で満ちている。

隣に丸メガネの女の子が座ってきてくれた。
ディスカッションの後にも話しかけてくれたその子は日本に興味があるらしい。
ゆっくり、わかりやすい言葉で、丁寧に質問を重ねてくれた。
どうしてもわからない時は、自分のカバンから電子辞書を出してきて、日本語を調べた。
英語がわからなくて申し訳なさそうにする僕に、日本語がわからなくてごめんねと言った。

そう言ってくれたから、安心して隣にいられた。
アメリカに来て1ヶ月が経つけど、誰かと一緒にいることは申し訳なかった。
満足に英語が話せない自分は、相手に気まずさを与えてしまうのではないか、気を使わせてしまうのではないか、そんなふうに気になってしまって、自分がしんどくなるのだ。
ふと顔を上げて周りを見てみると、そんなふうに気を使うような人たちじゃないのだ。
それも隣にこの子がいるからわかったことだ。
隣に誰かがいることが、こんなに心強いのかと嬉しくなった。

はっきりと自分を持っている。
それが相手にとってどれだけ心地よいことか、コミュニケーションをクリーンにするか、ここに来るまで知らなかった。
日本では自分を持つことは、言葉では応援されるけど、空気では押しつぶされるのだ。
あの時の息苦しさが、今になってわかる。
それでもどうしても出てくる「自分」が、僕は好きだったけど、知らぬ間に周りの否定的な目に晒されていたのだ。

丸メガネの女の子も、僕が日本でおばあちゃんにもらった怪しい黒の包み紙の「ノドグロ飴」を差し出した時には、即答でNoだった。
申し訳ないというそぶりは全く見せなかった。
それが僕は嬉しかった。
友達になれた気がした。

数学の授業を聞き流しながら、にやけていた。

いつからだろう。
年上と友達になれなくなったのは。
大人と友達になれなくなったのは。

昔、まだ「恥」を知らない頃は、いつだって誰だって、友達になれたんだ。
話す前から友達で、そのことを疑うことすら知らなかった。
たぶん総理大臣の髭にだって「触らせて!」って言えたんだ。

でも、いつからだろう。
失礼を恐れて触れるのが怖くなったのは。
友達と呼ぶのが怖くなったのは。

帰り道、バスの近くに観光客がいた。
カップルで写真を撮っていた。
「僕が撮りましょうか?」と習いたての英語を使ってみた。
「Oh! Thank you, my friend!」
そう言ったのは、ムキムキの20歳ぐらいのお兄さんだった。

その二人は、僕の目の前でキスをした。
僕は「うわ!」と思った。
でも、そう思う自分が恥ずかしいのかも、と思うぐらいに、
二人は幸せそうだった。

カメラは日本製だった。

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