『公園物語』 その10
実は僕は英語ができる。
昔、一年弱、アメリカに行ったのだ。
そのときも、何か立ち止まりたくって急に決めた。
この時から何かを抱えてたのだ。
英語を学びたいというのを口実にして、社会人になる前に一年ぐらい「遊び」の期間を作ろうとした。
決めてから色々と調べて(調べてもらって)、格安で行けることになったのだ。
大学を一年休学して(公立だからタダなのである)、ビザを取得して、大学に申請して、カリフォルニアにある大学の語学プログラムに参加できることになった。
親に頼り切った、甘えた留学である。
しかし、そのおかげで日常会話には困らないぐらいには英語が話せるようになった。
少なくとも「話せるぜ」という雰囲気は出せる。
ホームステイ、大学のクリスチャン団体、ただただ友達になってくれた日本語を学んでいる学生たち、などなど、これまた助けられて、英語を習得したのである。恵まれている。
そうして習得した英語が、まさかの公園で役に立った。
ある日、小さな姉弟が公園で遊んでいた。
その子たちの会話は日本語ではなかった。
「中国語、、、?」
そこで、英語で話しかけてみた。
「???」
全然、通じない。
日本語もそんなに通じない。
それでもさすが子どもたち。
娘は一瞬で仲良くなっていた。
ここまで英語の使い所はない。むしろイキって使ってスベっただけ。
とそこに、その子たちの母が来た!
その母が英語が話せたのだ。
しっかりコミュニケーションを取ることができた。
向こうも驚いていた。
日本にいて、英語が話せる人と会話をしていること、
そしてなにより、グイグイくる僕の性格に衝撃を受けていた。
「あなたは日本人じゃないネ」と、言われた。
ちょっと嬉しかった。
また今度、お互いの家で遊ぼうね、というところまで仲良くなった。
子どもたちがもう仲良しだから、ハードルは低かった。
もうそれぞれうちに帰ろうという時、
「What is your job?(あの、お仕事は?)」
と、聞かれたので、
「Nothing…(無職…)」
と、答えた。
え、どうやって生活してるん?みたいな顔をしていたので、
「Actually…(実は、、、)」
と言って、自分がプロテスタントのクリスチャンであり、牧師になろうとしていることを伝えた。
そしたらその日一番のびっくりをしていた。
彼ら家族もクリスチャンだったのだ。
それどころか、宣教師だった。
まさか、、、
これがどれほど小さな確率か、
うちに帰って考えると鳥肌がたった。
この片田舎の狭い団地の中でそんな出会いがあるなんて。
日本にクリスチャンは1%もおらず、ましてや中国、、、
そして団地内でも話したことがない人もいる。
公園で仲良くなったということも。
すべてが不思議だった。
それでまた、すっごく仲良くなった。
この話はここで終わらない。
このあと、この家族とうちの奥さんも仲良くなって、その旦那さんとも仲良くなった。
そして彼が僕に、
彼の教会でやってる「チャーチスクール」の先生をやってくれないか、と誘ってくれたのだ。
仕事を辞めて半年後のことである。
働き方、内容、など、
今の自分の生き方に対して、
最高の条件だった。
不思議で、不思議で、
自分がただ、トロッコに乗せられて、どこかに運ばれているような、そんな感覚になった。
またそこから世界は広がっていくことになる。