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【短編小説】 『音』 前編
世界から音が消えた。
平日の昼過ぎだった。
会話の途中、作曲の途中、授業の途中で突然、何の音もしなくなったのだ。
宇宙では音はないという。
それは空気がないからだという。
ここに空気はある。あってよかった。
しかし震えなくなったのだ。
波打たなくなったのである。
流れているのになぜ震えないのか。
風は吹くのに、音はしない。
僕らは混乱した。
狼狽えた。
しかし思いのほか、困らないことに、すぐに気がついた。
僕らの社会はとっくに、オンライン上で回るようになっていたのである。
僕の高校の授業も、プロジェクターに先生が文字を映し出すという方式にすぐさま変わった。
会話はグループLINEで事足りたし、
みんながスマホやパソコンを手放せなくなったが、それは音がなくなる前からそうだ。
デジタル化がさらに急速に進んでいったというだけだ。
僕は元々、四六時中音楽を聴いていた人だ。
歩いている時も、ご飯の時も、学校の授業以外はずっと聴いていた。
このことが起きた時、一番に嫌だと思ったのはそれだった。
しかしそれも簡単に、映像に取って代わった。
僕にはそもそも、リアルに友達はいない。
高校ではずっとイヤホンをつけていて、授業が終わったら極力すぐに帰る。
家に帰ってゲームをする。そこには顔の見えない仲間がたくさんいる。
これまでと何ら変わらない。チャットで進む会話。
クラスの奴らの会話が聞こえてこないのはむしろ心地が良かった。
とにかく世界は静寂に包まれたまま、そのまま動いていった。
音がなくなった日を基準に「音ロスト」以前、以後と言われた。
しかしその影響は、数ヶ月後にでてきた。
精神的に病む人が続出したのだ。
街を歩くとそれはよくわかった。
みんな下を向いて歩いている。
スマホと前を交互に見ながら、とても不安そうだ。
オンライン上には会話はある、仲間もいる、でもみんなはそれではダメみたいだ。
「静かなのに、いや静かだから、落ち着かない」
というつぶやきを見た。
「だれも挨拶もしない。
何を考えているのかわからない。
必要以上のやり取りはしない。
みんなどんどん一人の世界」
そんなポエムがバズっていた。
僕は以前よりも外に出るようになった。
外が静かで心地いいのだ。
外の音を聴きたくなくて、ずっと音楽を聴いていたのかもしれない。
街の中で人が集まっているのをすっかり見なくなった。
我が物顔で歩いていた大学生の集団や、ギャーギャー騒ぐ小学生のガキどももいない。
集まったって仕方がないのだ。
みんな一人だ、ざまぁみろ。
夕暮れの河川敷で、犬の散歩をしている人とジョギングをしている人がいる。
それもずいぶん少なくなった。
とにかく元気がなくなっていると、ネットの記事に書いていた。
そんな時、橋の近くのコンビニに人が集まっているのが見えた。
しかも、談笑している様子なのだ。
え、、、?! どういうこと?
となるぐらいに、ここ最近ではなかった光景なのだ。
以前なら決して近づかなかった集団に、思わず近づいていった。
どうして会話ができるんだ、、、?
あ! 手話だ、、、!
そのおじさん、おばさんの顔は生き生きしていた。
久しぶりに生の会話を見たのだ。
なぜか心が躍っていた。
一人のおばさんが僕に気づいてこっちを見た。
そしておそらく「こんにちは」の手話で、僕に挨拶をしてくれた。
恥ずかしくなって、軽い会釈をしてそこを立ち去ったが、なんだか僕は嬉しかった。
帰り道に調べてみたら、やっぱりあの手話は「こんにちは」だった。
そして、会釈の後、立ち去る僕に対してしていた手話は「また会いましょう」だった。
嬉しくなった。
また会いたいと言ってくれた。言ってくれた。
その夜のゲームでの"会話"は、なにか手応えがないような感覚がした。
いつもより心臓が鳴っている気がした。
つづく。