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【短編】狼少女とアイドル-前編
そこは狼のいる森の中だった。
アイドルとしての人気が絶頂に達したとわかったときに引退し、その後女優への華麗なる転身を遂げた私を、その監督はナメきった目で見た。
目だけではなく口から出る言葉の端々からも、私を見下していることがわかる。
本読みでまだ一文字しか読んでないのに「ハッ」と笑われた時は、首を180度回転させてやろうかと思った。
「ナメんじゃねぇぞ」
誰もいないトイレの鏡の前で、そう呟いて心を落ち着かせた。
私は元ヤンだ。狂犬と呼ばれていた。
トイレから出るとそこに、監督がニヤニヤしながら立っていた。
な、なんだこのオッサン、、、。
鏡を睨んでいたままの目をしているのを忘れて、ついイラついてしまった。
「お、いいね〜、その目」
しまった、、、。
狼狽えて何も言えないでいると、馴れ馴れしく肩を抱いて言った。
「なぁ、あんた元ヤンだろ?」
「ちょっと!」
そう言って振り解くと監督は壁にドンと背中を打った。
ずれたキャップの下でニヤリと笑っている。
「お前の役は狼に育てられた少女の役だ。
俺はお前のその目に、オーディションの時に気づいて決めた。
なぁ頼むよ。この映画の成功はお前にかかってるんだ」
「な、なんですか、、、?
どういうことなのよ、、、」
グッと真剣な目になる。
「当たり前だろう。主演なんだから。
あのな、この役は猫被ったままやられちゃ困るのよ。
あの大所帯のアイドルグループでトップに輝くってのは相当な強さがないとできないことだろう?
気の強さもそうだが、野生的な強さもだ。
欲もだろう。
それを剥き出しにしてもらいたいんだ」
「え、そんなこ」「だからな!」
私の言葉を遮って、強い語調で、
「アメリカに行け」
へ、、、?
次の日、私はアメリカにいた。
20時間のフライトでノースカロライナの空港に着いた時も、森の奥にある施設に向かう車の中でも、私は何が起こっているのかわかっていなかった。
とにかく渡された映画の台本を何度も読み、その役のことを考えていた。
新進気鋭の若手監督として知られる彼は、若手と言えど自分よりも二回りほども年上で、長い下積み生活を経てこの地位に上り詰めたという。
演劇の世界では名を知らぬ者はおらず、一部には熱狂的なファンがいると、Wikipediaに書いてあった。
台本を読むとそれは事実としか思えなかった。
素人の私でも、そこに込められた熱量と才能を感じ取ることができた。
そんな実力派の監督も、芸能界の大きな力には逆らえないのだろう。
オーディションで選んだとか言っていたけど、そんなものは私をやる気にさせる方便で、きっと事務所のゴリ押しで私を主演にしたのだろう。
だからあんなナメた態度で、見下した目つきだったのだ。
でもまぁそれは良い。これは私のチャンスだ。
この映画は私の転機になると、私は直感的にわかっていた。
元々、理論派ではないのだ。
野生の嗅覚にも似たもので、私はここまで上り詰めた。
その意味では、この台本の狼少女とシンパシーを感じていた。
それにしてもアメリカは、どれだけ広いんだろう。
飛行機でも思ったが、1日が移動で潰れるなんて、忙しいんだか、暇なんだか。
結局、空港から6時間かけて施設に着いた。
その施設は、この巨大な森の保護施設で、特別な訓練を受け、知識も深いレンジャーたちが常駐している。
今、アメリカで唯一の狼がいる森で、彼らが大切に見守っているのだ。
その施設に今、まさに狼少女がいるのだという。
3歳で森に捨てられた少女は12歳まで狼に育てられたのだ。
保護されて2年経つらしい。
レンジャーの一人、カミールさんが私たちを迎えてくれた。
強い、背筋のピンと伸びた30代の女性だ。
私とマネージャーと通訳の三人としっかり握手をして、優しい笑顔を見せてくれた。
彼女の部屋まで歩く中で色々を話を聞けた。
過去の狼少年少女がインドに多いこと、その社会復帰は難しいこと、失踪して再び行方不明になるケースが多いこと、
今いる少女の名前は尊敬するオリンピック選手の名からとってキャシーとしたこと、ようやく論理的に英語を使えるようになったこと、森で狼たちと過ごす時間を作っていること、などである。
カミールさんのキャシーに対する態度や言葉から、尊敬が感じられたことが意外だった。
保護する対象といった感じがしないのだ。
狼に育てられたこと、その期間のことを、可哀想、とか、ダメなこと、とか、微塵も思っていないと感じた。
地元で悪さをしていた時、周りの大人は私たちにそんな目を向けてきた。
私はそんな目を見返してやろうという怒りをエネルギーに変えて、ここまで走ってきたのだ。
母のような、友のような、兄弟のような、カミールさんとキャシーの関係を羨ましく思った。
私も抱きしめて欲しかった。
部屋のドアを開けると、その隅にしゃがんでいる少女がいた。
こちらをじっと見ている。
「キャシー、ハロー。調子はどう?」
カミールさんが話しかけると、
「ハロー。うん、いいよ」
と、流暢な発音で返す。
一目で賢い子だということがわかった。
しかし目が、目が野生を感じさせる。
カミールさんと話しながらも、私たち見知らぬ日本人たちからは一切目を離さない。
目の奥からこっちを見ている。
「こんにちは、キャシーさん。
急に来てしまってごめんなさい。
今日はよろしくお願いします」
できる限り丁寧に、尊敬を込めて話し、お辞儀をした。
通訳もできる限り丁寧な言い方をしてくれているようだった。
キャシーは驚いて、ペコリと頭を下げた。
「今日から一週間、この部屋で過ごすのよね?」
カミールさんが満面の笑みをこちらに向けた。
「え?」
と、マネージャーの方を向く。
目を合わさずにコクリと頷くマネージャー。
ああ、、、
「よ、よろしくお願いします、、、。」
カミールさんと握手をして、キャシーの方を向いた。
キャシーは部屋の隅で丸まって寝ている。
急なことで驚いているし、監督への怒りは当然あるが、少し嬉しい自分がいた。
なぜかはわからない、わからないが、私はこの子を好きだということはわかった。
続く