孤独な跨境者の夢想
*11年前、韓国ソウルの誠信女子大で教鞭を執っていたときに、同大学日語日文学科が発行していた日本語の新聞『いずみ』53(2010年8月)に寄稿したエッセイ。今の私とは考え方がやや異なるところもあるが、おそらく誠信女子大に直接行かない限り見られない新聞(大学にももうないかもしれない)なので、記録としてここに掲載しておく。掲載にあたり、若干の斧鉞を加えた。蛇足だが、タイトルはジャン=ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』から着想を得ている。もちろん内容的には何の関係もない。(写真はソウルに住んでいたとき毎週のように通っていた大学路(テハンノ)のブックカフェTASCHEN。今はもうない)
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人文学の領域で近年頻繁に用いられる用語のひとつに〈越境〉というキーワードがある.これは文字通り「境を越える」という意味であるが,私はときどき〈越境〉ではなく,〈跨境〉ということばを好んで用いている.辞書に立項されている語ではないが,読んで字の如く〈境を跨ぐ〉という意味である.なぜ私がこのことばを用いるかというと,私自身の言語に対する姿勢がまさに〈跨境的〉であるからにほかならない.すなわち,日本語だけでもなく,韓国語だけでもなく,日韓両言語に各々等しく愛情を持ち,双方を自らの〈自己表現言語〉としたいのである.日本語話者としてだけではなく,韓国語話者としても生きたい.しかし,だからといって完全に韓国語のほうへ移行してしまうわけでもなく,日本語話者としての矜持も失いたくない.そうした一見やや二律背反するようにも見える強い欲望が常に私の根底にある.
経験的に言えば,我々の一部は,意識的にせよ無意識的にせよ,ある種のナショナリズム的な頓着から〈母語〉(この場合は〈母国語〉の場合もありうる)を過剰に擁護しようとするし,一方で,残りの人々は,ほぼ生得的に習得した母語よりも,苦労して身につけた「外国語」のほうにより強い愛情を注ごうとする.しかし,私はそうではなく,いずれの言語についても,身体の内部で〈拮抗〉するような形で,自らを語りうる可能性を持ったかけがえのない言語として受け入れたいのである.勿論,狭義のバイリンガルになるには既に遅すぎた私が,文字通り日本語と韓国語を等しく引き受けることは土台不可能である.英語を母語としながら,日本語で表現活動をする不世出の作家・リービ英雄のことばを借りるならば,私は,韓国語を「一生「外」から眺めて,永久の「読み手」であることを運命づけられた」存在である(『日本語を書く部屋』岩波書店).しかし,〈私のものではない〉他者の言語を敢えて〈私のもの〉とすることで,〈潜戸の外〉から眺めているだけの〈読み手〉とは一線を画し,当該言語の〈書き手〉あるいは〈作り手〉へと生まれ変わることができる.
こうした生き方は,目標言語の運用能力の問題というよりも,むしろ他者の言語に対する〈構え〉の問題である.単純に「上手」「下手」などといった表層的な次元の問題ばかりを気にして,いつまでも他者の言語に戦々兢々と接するのは虚しい.たとえ稚拙でも,〈他者の言語〉を〈自己の言語〉として受け入れ,その言語で精一杯の表現をしてみることが,潜戸の内部への第一歩であろう.また,仮に,その言語の「慣習」としては若干不自然な表現であっても,教師や母語話者は,「間違い」だと頭ごなしに否定せず,「面白い表現」だと肯定的に評価する余裕を持つべきである.そうすることで,非母語話者はさらに潜戸の内部へと踏み込んでいくことができるし,また,文学的な観点から見れば,実はそうした,非母語話者の〈新たな表現〉こそが,その言語の表現の幅を豊かにしていく可能性さえあるのである.
私は授業を通じて,他者の言語に対するこうした〈跨境的な生の実践〉を学生たちにも慫慂している.昨年度の学部3年生対象の講義では,韓国語の小説やエッセイなどを日本語に翻訳する作業を通じて,〈自己表現言語〉としての日本語や韓国語というものについて深く考える機会を設けた.勿論,それぞれ才能も能力も目標も異なるから一概には言えないが,志ある者にとって,言語に対してこうしたパッションの捧げ方もあるのだということを知ることは,多少なりとも裨益する所があろう.
しかし,こうしたスタンスに立ったとき,大きな桎梏となるのが,我々の周囲に深く浸透した〈母語話者信仰〉というアポリアである.越境作家・多和田葉子は,「外国語を創造するうえで難しいのは,言葉そのものよりも,偏見と戦うこと」だと喝破する(『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』岩波書店).これは肯綮に中った卓見だと言わなければならない.つまり,例えば,日本語で芸術表現をしている「外国人」に対して,「日本語がとてもお上手ですね」などと言うのは,ゴッホに向かって「ひまわりの描き方がとてもお上手ですね」と言うようなものなのだが,創作者が「外国人」だと「上手」「下手」という基準だけで全てを判断し,無神経にもこのような発言を,いかなる逡巡もなく,してしまうことが多いのである.そして,こうした発言は,何も創作者の場合のみならず,私のように〈跨境的な生〉を享受したい者にとっても,素直に喜べるものではない.さらには,やや意味合いは異なっても,その言語を高度に身につけた非母語話者や言語研究者に対しても無礼なものになりかねない.何気ない賞賛が,動もすると,最大の侮辱にもなりうるということ,そして最高の賛辞は実は〈沈黙〉であるということを我々は常に肝に銘じておかねばならないのである.無知な母語話者の思い上がりは呉々も慎まなければならない.と同時に,十分な言語学的素養もなしに,母語話者であるという,根拠たりえない理由だけで,母語を教えたり教材を書いたりする人々が跳梁跋扈し,しかもそれが黙認されている風潮ももっと激しく批判されねばならない.
こうした部分においては,日韓は欧米と比べて相対的に遅れを取っていると言えるかも知れない.日本語や韓国語は「想像の共同体」の中でそれぞれが恰も「日本人」と「韓国人」の〈所与の独占物〉のごとく認識されてきた.ノンネイティブの日本語や韓国語の表現者が殆どいないことがそのことを象徴的に示している.そうした表現者は,日本では,リービ英雄やデビット・ゾペティ,アーサー・ビナード,楊逸,シリン・ネザマフィなど,数えるほどしかいないし,韓国に至っては,私は即座にそのような作家を挙げることができない.李恢成,李良枝などといった,芥川賞を受賞した在日コリアンの優れた書き手たちもその母語は事実上みな日本語であった.こうした状況は,誤解を恐れずに言うならば,例えば,フランスなどにおける文学界の在り方と対蹠的である.当然,歴史的なコンテクストなどが異なるため,これらを同一の平面で論ずることはできないが,それにしても,こうした日韓の現状は,今後改善されていくべき事項であることは間違いない.
20世紀を代表する知識人エドワード・サイードが,自伝の中で「しかるべきところに収まっていることは重要ではなく,望ましくないとさえ思う」(邦訳『遠い場所の記憶』みすず書房)と書いていたことをふと思い出す.パレスチナに生まれ,エジプトで育ち,アメリカで教鞭を執っていた比較文学者のこの言辞は,私の深いところで響き続け,私がパトリから離れて,今ここ一衣帯水の隣国に身を置いていることを全面的に肯定してくれている.
もうすぐ私にとっての2度目のソウルの春がやってくる.たとえ仮の〈住処〉(demeure)であっても,韓国語がすべてに媒介するトポスの〈生活者〉になるというささやかな経験は,至福の時間である.今年も大都会ソウルの街を明るく黄色く彩る,愛でるべきレンギョウの花々が,この国の人々と私の一期一会の出会いを言祝いでくれることだろう.錦繡江山の地で〈跨境的な生〉を実践しつつ,喜怒哀楽に満ちたありとあらゆる韓国語の〈声〉と,女子大生たちのややデフォルメされた日本語の可憐な〈響き〉に耳を澄ませること.私は,この,圧倒的に知的な喜びに満ちた作業に,今年も,満腔の情熱を捧げたい.