20240131 イラストエッセイ「ぼくが住んでいる漁村(新潟県胎内市村松浜)」9 村松浜小学校
ぼくが住んでいる新潟県胎内市の漁村には、昔、小学校があったのです。
長女はその小学校を卒業しましたが、次女が6年生の時に統合になり、廃校になりました。
ぼくの住んでいる漁村、村松浜集落には300世帯800人が暮らしていますけれど、30年前は500世帯、1000人以上の人口があったと思います。
小学校は、一年一クラスで、一クラスだいたい十人ぐらいだったかな。面白い子がたくさんいました。農家の子と漁村の子って、エートス(気質)が違うんですよ。方や農耕民族、方や狩猟採集民族ですから。笑
中学になるとこの二つの種族が混じり合ってね。だいたい、狩猟採集民族の方が元気が良くて勝つのです。笑
集落の小学校は、「文化の中心」でした。
PTA会長さんは、区長さんと並ぶ名士がなる役職です。
運動会は村の一大イベント。朝から弁当を作って、ばあちゃんたちがゴザを敷いて場所取りをして。万国旗がはためいて、かけっこのピストルが鳴って。
文化祭の出し物も、ちょっとした旅回り一座の興行みたいでね。これも村中の人が楽しみにしていた行事でした。
図画工作の展示はちょっとした展覧会みたい。
先生方の歓送迎会は、料亭でやるのです。
「古田先生にはお世話になったのう。今度は教頭先生におなりじゃと。」
「今度の先生は、若いおなご先生じゃが、大丈夫かのう?」
みたいな、昭和初期のような会話があったり。
20年前に少子化のため閉校になり、130年近い歴史を閉じて、築地小学校に統合されました。
130年といういと、この学校から日清、日露、太平洋戦争に出征した人もあったということですね。
今、村松浜小学校は廃墟のようになって、村の中心にたたずんでいます。
もう子供たちの声も聞こえません。
次女も制作に参加した「村松浜小学校ありがとう」の看板もすっかりはげて、べニア板が見えています。
お金のない自治体なので、ようやく解体が決まったと聞きます。
でも、解体されるとなるとそれはそれで寂しいものですね。
ふと、古い校舎の前にたたずむ、幼い頃の娘たちの幻を見たような気がしました。