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「ほぐしばい~よみほぐし実践編~」のつくりかた【編集稽古】その1


「もみほぐしは演技に置き換え可能か?」の問いをもとに、見ているだけで体がほぐれる演技「ほぐしばい」の探求を続ける俳優・辻村優子。
その新作「ほぐしばい~よみほぐし実践編~」は、4月21日に無事幕を下ろしました。たくさんのお運び本当にありがとうございました。

本作では、観客は施術台の上で横になり、テキストの発話と手技による施術を組み合わせたパフォーマンス「よみほぐし」を体験します。発話されるテキストは、複数人から採取された言葉によって構成されており、いくつかの(実際には)存在しない景色を描きます。辻村の口から語られるイメージは、手技によってもたされる固有の感覚と交差することで、どのような〈景色〉を立ち上げるのか。「ほぐしばい」プロジェクトの集大成となる、リラクゼーション型パフォーマンス最新作はいかにしてつくられたのか。

前回の【文章稽古】に引き続き、今回からは【編集稽古】の様子を。ボリュームたっぷり、全部で3回に分けてレポートしていきます!



編集担当は渋木すずさん

単語稽古・文章稽古のレポートをお読みいただければわかるように、今作はどうやってつくるのかを考えることにも稽古中の多くの時間が割かれています。それは、演劇をつくることに慣れている人にほど、もどかしい状態かもしれません。あるいは仕事の受注発注として考えた時にも依頼内容が定まっていない部分が多く、関係性によっては失礼にあたる可能性もあります。
でも、自分の企画だからこそそういった「つくり方」自体からつくりたいと考えていました。企画を立てている段階で、文章と編集セクションは特にその「つくり方」を一緒に練って下さる方がいいなと考えていました。さらに編集セクションは前々作「サロン乗る場」でいうと「ふるまい」のような位置付けになるんじゃないかな。そのイメージができたとき、ぜひまた渋木さんにお願いしようと思いました。

色んな稽古が重なる時期に

「サロン乗る場」で五感を5つのセクションに分けた時は、それぞれに必要な時間も短かったため、最初に決めた順序通り、ひとつずつ進めていきました。しかしが今回は1セクションあたりに要する稽古回数が多く、全てを順番通りに進めることは難しくなりました。
編集稽古は主に2月下旬~3月上旬で行いましたが、この時期、実は前回レポートした文章稽古、これからレポートを出す演出稽古も並走していました。それにより、偶然にも、同時期に複数人と台本を練る形になりました。

■1回目の稽古

編集稽古、1回目はまだまだ寒い2月中旬。
久しぶりの乗る場にて。
実はこの数日前に蜂巣さんとの文章稽古4回目があり、つまりアルバイト先のお店でカスハラに遭ってからまだ日が浅いタイミングだったため、精神的には病み上がりモード。
おやつ持参で甘いお茶を飲みながらやっていこう。
久しぶりにお会いする渋木さんに、まずこの半年のほぐしばいにまつわる話をするところから稽古はスタートしました。
渋木さんとのおしゃべりは、網の目が広がるようにじわじわと展開しました。ここでは、どんなトピックが出て来たか稽古のメモをもとに要約していきます。

・人を気持ちよくすることは

最初に渋木さんとのトピックに上がったことは「人を気持ちよくすることと人を殺すことは近い」
のっけから物騒ですね!でも、気持ちよくすることも痛くすることも、接触行為だってこと。そう見えない/見せてないってだけで、私たちは物理的な加害性を持っているよね、という、言ってしまえば当たり前だけど、普段は伏せられていることについて。
とくに隠したりはしてないのですが、私(辻村)は今年から武術を習っていて、そこでは、痛みや人が人を殺すってことがちゃんと「ある」こととして扱われているんですね。私はそれを健全なことだなと感じていて、むしろ痛いことや人が人を殺す可能性が「ない」とか「あるべきではない」ことでそれ以上考えるのが拒まれる日常や、心地よい形でしか接触が許されないことのほうにバランスの悪さを感じてしまう。
道場に通い始めてから、私の中では何かバランスがとれ始めているような気がしてるんです。

・女の形をしていることで

さて、この日私は例によってタイトなミニワンピを着ていきました。依然として「女らしさをまっすぐ楽しむ稽古」も続いています。
(それについては別の記事で。)

足を出すのに抵抗がある自分を味わい、楽しむ

女性を楽しむって、なんなんでしょう。そういえば男を楽しむとは言わない。私の身体って何なんだろう。女性の体を引き受けて「女の人ごっこ」遊びはできるけど、他人から「女なんだから」って視線を感じると、この身がちぎれそうなくらいムカつく。

・なんだってすぐ商品になってしまう

自分のためにする化粧は楽しい。服も。
でもそんな風に「自分のための時間」とかも含めたあらゆることがマーケットにされてしまっていて、その市場規模がひとたび大きくなってしまえば、個人的な小さな喜びさえインターネットの広告からは放っておいてもらえない。

・リラクゼーションサービスが孕む矛盾

セラピストとして人の体に触れる中で、少なからず「その人性」に触れてしまうことがあるけれど、でもそんな有機的なコミュニケーションは、リラクゼーションチェーンでは踏み込みが大きすぎて怖がられてしまう。ほどよく「自分のためにされている」と感じられるサービスが無難ですね。

「お客が想像してるマッサージ屋さん」の域を超えないでいること。お金を介して出会う関係の中で、ここはどんなお店でどんなサービスなのか、見えてる演出や知ってるものにあてはめつつ、受け取るサービスの質が支払額相応の期待を上回っていたらお得!
本当は触れられることは次の瞬間には何が起こるかわからないことであるにも関わらず、お金を介して初めて出会うお互いの「安心安全」を守るために、敢えて固有性を排除してる所がある。リラクゼーションサービスの提供って色々矛盾してると思う。
でも問題は、お金が介在することで生々しい一人の人間であることが消されてしまうような出会い方をせざるをえない状況の上で、どうやって私自身を消費させず、かつ私の仕事を受け取ってもらえるか。ここですよ!

・貧しい国で体験を売るということ

そこから、いま、日本が貧乏になっているから、お金の価値が下がってものの価値が上がってて、だから払っても払っても欲しいものが手に入らない「こんなに払ってるのに…!」のフラストレーションが溜まり続けている人が多いんじゃないかな、って話に展開していきました。
数年前には同じ値段でもっともらえたけど、貧乏国歴が長くなり始めて、ある金額のもつ価値だけが上がって「昔はこれくらい受け取れた」感覚からシフトできてないから、店側への期待値だけは据え置き。
5年前の4,400円と今の4,400円では提供価格同じでも原価が全然ちがいますよ、と。でもお客さん的にはその推移に(主に気持ちが)ついて行けてない。
私のアルバイトしてたお店でも値上げがあったけど、マネージャーから言われたのは「価格を上げた分、サービスの質を上げてください」でした。
だからそれじゃ意味ないんだってば!ってめっちゃ思いましたね。企業的には経営回復してもセラピストにとっては単純にブラック度上がるわけなので、結果離職率上がるだけじゃないですか。
技術には原価がかからないとでも?
や、そんなことマネージャーだってわかってるんだろうけど。

テーマ、なんか浮かんでるんです

実はこの日までの文章稽古や演出稽古を経る中で、今作のテーマというか話を組み立てるときのよすがみたいなものが、ぼんやりと言葉になりつつありました。
まず、発話のためのお話のテーマとして:「帰ろう」
それから、触れていくときの態度としてのサブテキストとして:「一緒に見る」
この2つを軸に、渋木さんと施術の流れと台本の構成を稽古したいな、と。

・「帰る」って、どこに?

まず「帰る」にまつわるそれぞれの持つ感触を話し合いました。
帰りたい、帰れない。家に帰っても帰った感じがしないこともある。
いつだって過去に帰りたい。そういう気持ちがある。でも、その過去の自分も過去に帰りたいんだろうと思う。だとしたら本当に帰り着く一番最初の過去はどこだ?
「帰りたい」は「どこかに行きたい」とは違うのかな?
ここは私のいる場所じゃない、浮浪している感じに「帰りたい」って言葉を当ててるのかもしれない。
帰れない時間が長くなりすぎて疲弊してる。外出時間が長くなってるとかじゃなくて、感覚的に。

話しているうちに、渋木さんと私の間に、この作品のお客さんにどんな「帰る」を渡したいかのイメージが立ち上がってきました。
サロンは「仮設的に自分に戻れる場所」だったが、今回はどっぷり「帰る」ことを思い出す感覚が味わえるような作品できるといいのかな。
でも、ノスタルジーに回収されない「帰る」の在り方。

・色んな「かえる」がある

カスハラ以降の私はお店に立っていても怖くて、ある日のオープン作業時、これからお客さんを迎えるんだと思ったらたまらなくなって
その場で先輩に「もう辞めようと思います」と伝えました。
そのとき先輩が言ったこと。
「さかまっきー(私の本名は酒巻)、これ副業なんだから!さかまっきー、本業あるじゃん、本業やんなよ!」(ほんといい先輩でした)
その言葉で「そうだ、私セラピストじゃなかった!いつでも降りて、本業にかえれるんだった!」とハッとさせられたのでした。

・調べてみましょう!

そうか、色んな「かえる」があるなら調べてみましょう!となり、
まずは「帰る」「還る」の意味から。

■帰る→1 自分の家や、もといた場所に戻る。「郷里へ—・る」「まもなく—・ってくる」
・2 今いる場所を離れて去る。「客が—・る」
・3 野球で、走者本塁を踏んで得点になる。「ヒットでランナーが—・る」

引用:帰る/還る(かえる)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

還る→「還る(かえる)」とは元の場所に戻るや元の状態に戻るという意味があり、いろいろな経過を経て元のところに戻ってくるという意味合いが含まれています。
「還る」には本来、円を描いて元へ戻る、または一度去った場所に戻るという意味があるため、「還る」は戻ってくるというプロセスが暗に焦点が当てられるときに用いられることがあります。「土に還る」が一例で、「土に還る」は亡くなって埋葬するという意味ですが、その意味の裏に人の一生において、さまざまな経緯を経て物質が有機化されて土へと戻っていくという一生というプロセスに重点が置かれるときに使われる表現です。
また「還る」には振り返るや元の場所や所有者に返すという意味もあります。

引用:「還る」の意味と読み方は?「帰る」「返る」との違い・類語も解説 | TRANS.Biz (trans-suite.jp)

他にもこんなのがありますよね

■返る
■変える
■孵る
■買える

漢字じゃない方向も色々ありますよね

(時間に)かえる
(場所に)かえる
~をかえる
~にかえる
~がかえる

・辻村が「なんかいい感じ」のとき、辻村は何をしているか

演技の面ではきっと、今回は辻村の居方が「サロン乗る場」の時以上に大事になってくるんじゃないか。渋木さんとの話は次にそんな展開に。

(渋木さん)「人の話を思い出しながら話す時の感じがいい。萌さんの川の話の経緯を自分に説明してくれたときとか。」
(渋木さん)「蜂巣さんの稽古の公園の映像見ました。自宅で稽古してるときの映像より演劇だ、と思った。」
(辻村)「自宅の映像撮った時とその稽古で何が違ったかっていうと、サブテキストをはっきり意識して、やる事を決めて演じた。
自宅でやった方は、何をどう話すかに注力していた。けど、公園の方は、相手の体の状態を優先させてた。どうなったら喋っていいかなという、相手を伺い続けている感じ。」

・「ほぐしばい」とは(暫定)

渋木さんに話していく中で、この半年「ほぐしばい」という言葉をかかげて自分が実践してきたことをあらためて振り返りました。そして、自分が「ほぐしばい」にとって要となるものをつかんでいたことに気がつきました。
その気づきは主に、PARAのクラスで体験したサウンドスケープ、それから屋根裏ハイツ『すみつくす』への出演。さらに2022年に出演した円盤に乗る派『仮想的な失調』本番中に感じた、客席の上に漂う空気に「触れた」と感じた時の記憶に依るものが大きいです。

特に、皮膚に感じるもの。触覚的なことが、私の場合は大事なようです。
音さえ空気の振動による触覚だと思ってる節があります。全身が耳、みたいな。
どうやら私にとっては、自分の外にあるものに意識を集中させることが、上演を立ち上げることに直結しているみたいです。
つまり、セリフを言う前にまず「聞く」がある。それは客席の気配かもしれない、相手との距離かも知れない、誰かの言葉かもしれない。とにかく体を耳にして「聞く」。聞いて、聞こえたものに触れ返す。そして自分から出る音や動きが起こす反響を聞き返す。その「聞く」と「出る」が同時に起きる感覚を湛えながら演じることが、今のところ自分の思う、パフォームを通してお客さんの体に変容をもたらせられる演技法(通称「ほぐしばい」)のように思います。

で、今作「ほぐしばい~よみほぐし実践編~」は当初から一貫して
「演技からテキストを立ち上げる」ことを掲げています。
上のような私にとっての演技の定義を代入するとしたら、
「演技からテキストを立ち上げる」とはつまり、
「聞く事からテキストを立ち上げる」と言えます。

・対立する二つの価値観をつつみこむ

以上のような、言ってしまえば非常に繊細な感覚を扱いつつ、
実は今回の作品にはもう一つ大きな方向がありました。
それは「ちゃんとエンターテインする」ということ。
いきなり話変わっちゃってすみません!
ある種のわかりやすい表現に落とし込み、お客さんをまっすぐ楽しませることから逃げないこと。
これは中尾幸志郎さんとの演出稽古と「宮城野稽古」と私が呼ぶ長いプロセスの中で、取り組もうと定めた方向でした。(これについてはまた後日!)

「サロン乗る場」では私のふるまいにはさりげなさが肝心でしたが、今回はむしろ「わかられ」が大事。やってんな~ってちょっと見えるくらいでも、それがお客さんにとってエンタメにできていることが大事。

リラクゼーションサービスの抱える矛盾を感じてる。俳優として時として感じる理不尽さがある。女性の形で生きているから引受けざるを得なかったことがあった。
だから本当に時々いやになる。
狭いけど安心していられる小さな自分の居場所から出たくない時がある。
自分の繊細な感性を抱きしめて他の人との交流を諦めたい時がある。
でも、なんか私は演技が好きで、演技をしている時間にしか演技はできないから、なんとか俳優をやっていかなくちゃいけない。
だから、そういう今の自分にとっては受け入れがたいことを、
もう一度まっすぐ、でも自分にとって大丈夫な方法でやってみる必要がある。

カスハラに遭って人を気持ちよくする仕事に(今は)希望を持てなくても
私は演技することが好きだし、もみほぐしを得意だし、私がどう思っても、業界は続くし、リラクゼーション業は絶えない。だったらやっていくしかない。

渋木さんと話したりした事々の文脈は、この作品をもちろん支えている。
でもそれが伝わらなくても、お客さんが楽しめるものを「私が」作れるようになることが、今回の制作にとってすごく大事。

この制作期間が始まる前から何度も考えてきたことでしたが、渋木さんを前に話していく中であらためてその結論に至りました。
ならばどんな工夫ができる?稽古はそんな風に展開していきました。

・そのための工夫

(渋木さん)テキストを初日前に公開する。予約した人は読んできてもらう?印刷したものを当パンで配る。施術受けた後に読むと、施術がよみがえって体がほぐれそう。

(渋木さん)コロナ禍の在宅勤務。日常と仕事が繋がって分けられなくなった。ぬか漬けをした。休憩のたびにぬかをまぜ、リセットした。
仕事する→ぬかを混ぜる→帰った感じになる
そし「よみほぐし」でどこかに帰ったような感覚を味わえたなら、配布されたテキストを読むことが、また帰る感覚を味わう仕掛けにできるかも

(渋木さん)録音をあとから送りつける。よみほぐしの声とテキストをお持ち帰り。

(辻村)お客さんが話しても大丈夫な設えにはしたいと思っている。台本の中にもお客さんが話しても大丈夫な時間をつくっている。「喋りたくなったら全然声出して丈夫ですし、リアクション取ってもらって大丈夫です」というセリフを入れよう!

(渋木さん)施術中は、施術者よりも被施術者の方が変化しているわけだから、「体のことを一緒に見ていく」という状態で会話が発生した場合には、辻村は評価ではなく事実をベースに発話した方がいい。現実に見えている事をただ言うくらいの発話。

このあたりで一回目の稽古は終わりの時間に。
色んな事を話しました。
最後に、今日は共有の日だったけど、この編集稽古のゴールはどこだろうね、という話に。

まず、大命題は、上演テキストが完成している事!
それから施術の手順が決まっている状態。それはつまりタイムラインが出来ていて、もみ譜が出来ているということ。

けれどタスクを消化しては全く意味がない事は二人ともわかってる。
大事なのは、「帰る」というキーワードをどのように体現させるか。
どこからこのテーマに光を当て、受け手がどうなって帰ればいいかを想定して、それを起こすのに必要な流れを考える。劇のはじまり方と終わり方も決める。
サブテキストの「一緒に見る」態度がお客さんの「帰る」体感にどう繋がっていくのか。
そもそも帰る事がなぜ良いとされているのか。
本当は帰らなくたっていいはずなのに。
「帰る」感覚はたしかにお客さんに味わってほしいと思いつつも、それがこちらからの「帰りましょう」というメッセージにはなりたくない。

「サロン乗る場」の時は、移動・場所・パラレルが大きなテーマになっていたが、今回も心身の状態やイメージの推移という意味では移動がある。
帰りたいってことは、今は帰ってないっていう前提なんだろうか?
家にいるはずなのに帰りたいと思うことだってあるんじゃないか。
だとしたら「帰れてない」状態ってどういうことなんだろう。

というわけで、ここからは宿題。
渋木さん:帰ってない状態のことを考えてみる。帰るに対するイメージを考えておく!
辻村:文章稽古で最後までシーンを立ち上げる!

「帰ってない状態=心と体に差異がある状態?ズレている状態なんじゃないの?」乗る場から二人で出る時に、ふとこんな会話を交わしました。
編集稽古は二回目に続きます!(レポートもその2に続きます!)

今回も長かった、最後までお読みくださり、ありがとうございました~!

🛸NEO表現まつりZ『ほぐしばいほぐす会』

毎回レポートを上げる頃には次が始まっているというね!
次回の「ほぐしばい」は
円盤に乗る場presents NEO表現まつりZでトークイベントを行います。
その名も『ほぐしばいほぐす会』!!



★「ほぐしばい」のこれまでとこれからを
辻村によるプレゼン+ゲストとのトークで紐解く90分!!★

自分の知覚の特性を見つめ、自身にあった演技法を探究したこの5年(乗る場では3年)……自身の演技論の言語化、作品化を繰り返す中で見えてきたものとは……?ほぐしばいとは一体なんだったのか⁈そのアーカイブも含めたプロジェクトの全容を一挙公開!!すべてのNEO表現者に送る、辻村の魂が叫ぶトークイベント!!!

【期間】
🧠6月29日㊏15:00〜
🫀6月30日㊐11:00〜
【会場】
おぐセンター 2F

【トークゲスト】
✨NEO表現まつりZ 辻村優子企画 『ほぐしばいほぐす会』 辻村と一緒におしゃべりしていただく 豪華ゲストはこちら!!✨
🧠6/29 15:00- 山田由梨さん@YYUUUUYYam(作家・演出家・俳優)
🫀6/30 11:00- 山中結莉さん@You_RiYamanaka(俳優・ムーブメントディレクター・演技教師)

贅沢貧乏5年ぶりの新作が控える由梨さんとはお互いの活動における「つくり方」について シアター風姿花伝でWSフェスがまもなくの結莉さんとは新国演劇研修所での学びとほぐしばいの「繋がり」についておしゃべりします!会場ではそれまでの創作資料や年表も展示します。
そしてそして、植村朔也さんによるテキストも!!!

チケットはこちらから!

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