#12 形而上の弁証法によるアウフヘーベン
札幌でちいさな貿易商社を経営している、ケニー(tsujikenzo)です。noteでは、Tweet以上、技術ブログ未満の、アウトプットを行っています。
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今日のテーマは、形而上の弁証法によるアウフヘーベンです。この記事は、ノンプロ研哲学部に寄稿したものです。
はじめに
2023年4月です。ChatGPTをはじめとする、生成系AIが盛り上がっています。Notion AIなども便利で「ブログ記事を書いて!」とか「以下の文章(1000文字くらいあるテキストを)を要約して!」のような使い方をすると、驚くべき出力を得られます。
普段から、考察することが多いわたしは、今の時代に必要なのは、哲学や倫理のリテラシーであると考え、所属しているコミュニティ(ノンプロ研)で哲学部を創部しました。部では、主に、プロンプトエンジニアだったり、AI倫理について、情報交換を行っております。
アウフヘーベン
生成系AIを使って、わたしがやりたいことは、「命題に対して、矛盾した対立するものを取り込んで、より包括的な理解に昇華すること」です。(チョットナニイッテルカワカンナイ)かんたんに言うと、「問題を与えると、それ以上の発展や進化を遂げる」ということです。
深津さんは「議論を深めてくれる」と表現しています。note、買いましょう。
弁証法
深津さんのnoteにもありますが、弁証法とは、主体と客体の相互作用によって、新たなものごとや状態が生み出されるというプロセスです。この、主体(自己意識を持つ自己や個人)と客体(主体の認識対象となる対象物、現象、物体、状態)をとらえる過程では、必ず矛盾が生じます。
矛盾を解決するために、主体に対して反論や批判を行い、新たな考え方や状態を生み出す(でも元の状態は維持している)法、それが弁証法です。
花は枯れてしまう
例を挙げながら、弁証法にトライしてみましょう。
花は枯れてしまうという命題を、弁証法的にアウフヘーベンするには、まずその命題が内包する矛盾を見つける必要があります。
一方で、花は美しいとされ、人々は花を愛でたり、花を贈り物として贈ったりすることがあります。このように、花が美しいとされる一方で、花は枯れてしまうという状況が矛盾していると言えます。
次に、この矛盾を解決するために、あえて反対の視点から考えてみます。
花が枯れてしまうという事実は、花の命を終えた後に花びらが散って地に還ることによって、新たな命を育む土壌を作るという役割を持っている、と言えます。
つまり、
「花は枯れる」という単純な命題(テーゼ)に対して
「花は枯れた後に種を蒔く」という反対命題(アンチテーゼ)をぶつけて、
「花が枯れることは、新たな命を育むための循環の中で必要な過程である」という総合命題(ジンテーゼ)を得る
という流れです。弁証法により、総合的な視野で花を理解することができるようになる、つまり、アウフヘーベンできたと言えるでしょう。
形而上とは
最後に、形而上(けいじじょう)です。「形而上」という用語は、主に哲学や宗教で用いられる言葉で、直訳すると「形(かたち)よりも上にある」という意味があります。より高次の現実や原理、存在などを指す言葉の「メタ」と似ていますが、厳密には違います。
「形而下」とは、「形而上」の対義語として使われる言葉で、物質的な世界や現象を指します。つまり、物質的な形態や現象に着目する考え方を指します。
形而上学的には、花の美しさはその花の存在そのものに由来するものとされます。つまり、花は自己の本質によって美しいものであり、その美しさは観察者の主観的な見方や価値判断によって生じるものではありません。
一方で、形而下学的には、花が美しいということは、花の観察者がそう感じることによって生じるものとされます。つまり、花の美しさは、観察者の主観的な見方や価値判断に依存しているということです。例えば、ある文化では特定の色や形が美しいとされる場合がありますが、他の文化では逆にそれが美しくないとされることもあります。
なので、「形而上の弁証法」と、あえてつけているのは、リテラシーを高めるためです。AIが導き出した答えをどう捉えたらよいかは、どこまでも我々によるのだと思います。